この冬。

いろんなことをブログに書きたかったがなかなか集中して書く時間を取ることが出来なかった。

『Only friends』最終回を見てから感じたことを書きたかった。

『愛の香り~I Feel You Linger in the Air』についてはなにも書いてないじゃないか!あまりに良すぎてただ圧倒されていたからなー。

そして『Last Twilight』だよ。

第1話観終わってすぐに、もう言葉にしたかった。

それは実は私にとっては珍しい。

大抵どの作品も、まずは最初のうちは「わーーーー!!」って言いながらただドラマを堪能している。ひたすら、ただそのままを丸ごと受け止めている。でも5話ぐらいになったあたりでもう一度1話から見返して、ドラマの演出面での面白さについてなにやら書きたくなるのが私にとって書くことの原動力だ。

でも、『Last Twilight』では第1話からあるひとつの衝撃がビリビリと走って、それはずっと現在の9話を観終わってもなお、続いている。

衝撃。それはこの『Last Twilight』を観て、やっとAof Noppharnach監督がこれまで作ってきた作品すべてに通じる1つの大きな核に気付いたのだ。

Aof監督のテーマは「相互理解」ではないか・・・?

一番最初に見たAof監督作『Dark Blue Kiss』では母親になかなかカミングアウトができないKao(New)と、父親の理解とサポートを受けているPete(Tay)のシーンがとても印象的だった。Peteは父親にカムアウトしているが、それでも社会に相対することで悩んだり苛立ったりしている。

Pete「どうして俺たちは他人よりいい人間だって証明しなくちゃいけないんだ」

Kao「俺たちのセクシャリティが親をがっかりさせるからだよね」

Pete「俺は自分がなりたいからいい人間になろうとしてるわけで、ゲイだからいい人間になりたいわけじゃない」

また、後半には

「理解され受け入れられることはすべてのこどもたちが家族に望んでいること」

という言葉もある。

久しく見返してはいないが、親と子、個人と社会、そして恋人同士でもそれぞれをどう受け入れ、どう理解していくかは、このドラマのひとつの見どころになっていたと私は記憶している。

 

そして『Bad Buddy』。

Pran(Nanon)とPat(Ohm)のそれぞれの両親の中でPranの母親が何があってもふたりの交際を認めなかった。一旦は家出をしたふたりだが、戻ってきてその後2年は交際を諦めたフリをして過ごし、Pranはその後海外に赴任し、そうやって時間を稼いだ。

この件(くだり)は正直言えば私は好きではなかった。過去の親の確執は親のものだし、自分は自分の気持ちを遂行すればいいのに、と私だったら思う。これについてはAof監督が話している。

親に理解させることは簡単ではない。でも親も子供を理解したいと思っている。でも一度憎んだ相手を許すことは時間がかかるし、理解することも時間もかかる。その時間を描きたかった。

と、そんな内容だったと思う。

親へのカムアウトに関する表現は様々な作品の中で描かれている。殆どが子供のセクシャリティを親が認める過程について描いているが、『Bad Buddy』ではそれだけでなく、子供の側からも親の感情を理解する、つまり理解のベクトルが双方向から向かっていることを目指す、BLドラマの中では珍しい作品になっている。

 

『Moonlight Chicken』では、Wen(Mix)とJim(Earth)の物語に並行して、耳が聞こえなくなったHeart(Gemini)とLi Ming(Fourth)の物語がある。生活環境が違う二人だが、お互いに歩み寄り近づいていく部分が感動的だった。ここにもLi MingがHeartを理解するためにまずは共通言語=手話を覚え、そこでHeartはようやく自分の気持ちを伝えていきながら今度はLi Mingの家庭に関する複雑な感情を理解していく。この辺りが『Last Twilight』に繋がっていったのではないか。

 

そして。『Last Twilight』。

始まる前からこれが、元はバドミントン選手だったDay(Sea)が視力を失っていく話であり、その恋人役がMhok(Jimmy)で、間違いなく泣けるに違いない良作との前評判が高い作品だった。

でも1話を観終わったときに、これが「視力を失っていくことを可哀そうだと涙する物語」とか「その彼を献身的に支える恋人の愛の物語」という文脈とは違うな、と思った。現在健常である人が障害を持った人の姿に同情して涙する、というものではない、という監督の姿勢が1話から滲んでいる。

Dayは確かにMhokによって変わっていくが、しかしMhokもDayから多くのものを得、知り、そして変わっていくのである。

同情だけでは人の心は動かない。それはDayのかつてのバドミントンのパートナーであり秘かに恋をしていたAugust(Ohm Thipakorn)との回で描かれている。

AugustにはダブルスのパートナーだったDayへの友情があり、視力を失った彼への深い同情もある。それは勿論「愛情」の一種である。しかし恋愛感情ではなかったし、もっとも大きかったのは、相手の存在を丸ごと受け止めようとする類の愛情ではなかった

 

Mhokは、それがどんな感情から始まったのか・・・。

ただ、まずはDayをとにかく理解しようと試みた。

Mhokの経験から培った思考や感情からDayに物申したり助言したりすることをやめ、視力を失った人間が現実にどのような困難を受けるのかを自ら経験することで理解しようとすることから始めた。Dayに寄り添いつつ、Dayが求めているのは決して同情ではなく、一人の人間としての尊厳を理解してもらいたいと思っていること、それを肌で感じ取っていく。

Dayは同じ視覚障碍者でありサポーターのOn(Kun)から、DayもMhokを理解する必要があることをやんわりとアドバイスされる。自分に時間を与えろ、と彼は言うのだ。「Mhokに時間を与えろ」ではなく「自分に時間を与えろ」と。ここも非常に興味深い指摘だ。

さらに続けて、視覚障碍者が健常者と一緒にいることは簡単ではないが、お互いを理解しあえることを待つ時間が必要ではないか、その待っている時間を自分自身に与えてはどうかというような内容をOnはそっと伝えるのだ。

健常者側は「障碍者と共にいることは簡単ではないのだろう」と想像している。

しかし障碍者側も「健常者と共にいることは簡単ではない」のだ。しかしその両方から歩み寄って、お互いの最適な「場所」を見つけ出す必要があるのではないか。

そして、確かに彼らは視覚に障害を持っているが、自立的で主体的な人間なのである。このOnの一連のセリフはそれを暗に示していて、このセリフにとても痺れてしまった。

 

ところでこれはどんな立場にも置き換えられる。例えば性的マジョリティ側と性的マイノリティ側、お金持ちと貧乏な人、若者と老人、某国と某国、などなど。

視覚を失いつつあるDayの物語、は自分にとってはまったくの絵空事ではない。これを観ている私は40代から緑内障が発症している。緑内障はそのままにしておけば失明する病気である。また年齢的にもシニアの領域に入り、そのうちには耳が聞こえないとか体が動かなくなっていくとか思考にノイズが入るとか、何らかの障害が生じてくる。誰もが等しくそうだ。だから余計に「涙を禁じ得ない障碍者の物語」ではなく、誰にとってもリアルな物語なのではないか。

 

恋愛の原動力は、相手の見た目だったり、幼いころから刷り込まれた関係性だったり、相手の包容力だったり、場合によっては経済力だったりするかもしれない。

しかしAof監督は常に継続していく愛情の形を作品で描いている。そこにある「愛」は、相手への尊敬と理解で成り立っている。そうでないとその愛は継続していかない。そしてそれは片方からだけの気持ちではなく、相互からのものでないと成立しない。

Aof監督がもっとも伝えたいものは、きっとそれなんだと思う。

 

この物語で傑出しているのがMhokの「待ち方」「寄り添い方」である。

元々は相手への共感性が高く、感情がすぐに昂り、喧嘩っ早い男なのだ。

しかし彼はDayを知ることで「待つ」ことを知る。

August登場回。

Mhokの心の中に嫉妬がなかったわけではない筈だが、嫉妬で行動をしなかったところが私にはとても心地良かった。Augustに対してはっきりと敵意を見せたり阻んだりせず、まずはなによりもDayの感情を尊重しながらふたりの感情や行動を読み取ったうえで行動する。

それはDayの兄、Night(Mark Pakin)への態度にも表れている。Dayが何故Nightを憎むのか9話まではMhokは知ることがない。しかしMhokは、NightがDayのことを思い、支えているのだろうことをわかっている。そのことをMhokからDayに伝えたり説得しようとはしない。ただ、Day自身がいつかNightの真意について気付くことを待っている。

そんなMhokを、俳優Jimmyがとてもリアリティのある表情で演じているところが本当に素晴らしい。勿論、視覚を失っていく不安や、これまで持っていたプライドが崩れそうになることと戦っているSeaの、どこか無垢を思わせる演技も素晴らしいことは言うまでもないが。

 

私たちは基本、自立的で主体的である方がきっと生きていきやすい。そしてどんな環境であれ結局は「ひとり」であり、だからこそ「他人」を必要としている。その時々で私たちはMhokであるのか、Dayであるのか。Nightになるのか、Augustになるのか。物語の中のMeeになるのか。

そして今、自分は誰かを少しでも理解したいと思いながら、1歩、誰かの側に近寄ることが出来ているだろうか・・・。

 

オーナメント

『Bad Buddy』での合宿と逃避行で行った海辺の村、『1000stars』の国境の村、『Moonlight Chicken』のパタヤ・・・などなど、Aof監督は物語の中で都市部以外の場所、しかもかなりの田舎に行くのだが、今回も『Last Twilight』9話で結婚式に出席するために南部の田舎に行っている。そういう、ひとりの監督の作品の中に通底するモチーフを見つけていくのも醍醐味だよね。

いよいよ今夜は第10話。(2024年1月12日現在)

ちょっと慌てて書きなぐっちゃった。あとでまた加筆訂正するかもだけどまずはブログを残しておく。