10代の頃からゲイ映画とあらば必ず観て、そして今ではBLドラマとあらば必ず観る。

なんででしょうねえ。例えば配信サイトには韓国発の男女恋愛ドラマが山のようにあり、中にはクオリティ・人気共にとても高い作品もあるのにまったく食指が動かず、ですもの。

「それは何故?」という問いは依然として私の中に残り続けています。

 

ところで、いい脚本でいい演出、いいスタッフ、そして俳優がいい演技をしているクオリティ高い作品がそりゃいいだろうと思うし、観たいと思いますが、それを好きになるかどうかはちょっと別のところにあります。またはそれが高評価だったとしても現実にはそれが必ずしも売れるわけではありません。「絶対的良さ」ってあるんじゃないかとは思うのだけど、でも当たり前のことですが「いい」というのは多くは主観だからなのでしょうか。
自分にとって「これってクオリティ的にダメだし、ちっとも面白くない」と思うものでも別の人にとって大好きな作品だったりしてびっくりすることがあります。
でも私にとって「これ、クオリティとしてはダメなんだろうけど、どうしても好き好き大好き!」という作品がいくつもあることを思えば、そこにある「いい」という気持ちがとても個人的なものだということに気付かないわけに行きません。
 
じゃあ自分の中で「いい」とか「悪い」を判断する基準とは・・・、と考えてしまいます。
結局、それを決めるのに、個人の「性癖」が関わっていると思うわ。
 
そんなわけで、私は作品について自分にとって『ここが好きじゃないな・・・』と思うことってSNSやブログに書かないようにしてたんだけど、あえて書いてみようと思います。そこに自分の性癖が炙り出されてくると思うから。
 
『Cutie Pie』
ファンの人たち、すみません。そんなわけで『Cutie Pie』持ってきちゃいました。結構ファンもいると思います。
まず最初に言えばNuNewは魅力的だと思っています。とてもツボです。この先々も追っていきたいと思っています。
そして『Why R U?』をプロデュースしたAoftionが初監督としてどこまでやるかは、すごく気になっています。
作品は、脚本をもう少し整理されたらどうだろう、と思っています。もう少しタイトにしたほうがいいんじゃないかと毎話思っています。
しかし私のしんどさはそこではありません。
物語としては、
本当はお互いに対して幼いころから愛情を持っているのに、成長するにつれてちょっとした感情のすれ違いのため、相手からの愛情が確信できない。さらにはどこか自分に自信がない。真実の自分を相手に見せたら嫌われてしまうと思ってしまっている。そんな登場人物たちが相手からの愛情を信じ、そして自分が偽りない姿でいられるための物語
であるとは思っています。
しかし、高い経済力を持っている登場人物たちが、ことあるごとに好きな相手のすべてを知ろうとしたり、束縛しようとするシーンが出てくるたびに本当にしんどい・・・。
その理由が「心配」であったり「守りたい」「お世話したい」などの愛情から来るものであればあるほど、しんどい・・・
きっとですね、自由を愛する登場人物のためにもう一方は最終的に彼に自由を謳歌させたいと思っている、そう物語は進むのだろうと思ってはいるんですよ。でもそこには「相手のことをすべて把握したうえで」みたいな条件が付帯しているんですよきっと。
多分、その点に私が感じるストレス、それが性癖と言うものに関わっているのだと思います。
束縛する・されるということは勿論、相手が自分のことをほぼ把握したいという感情に、私は激しい窮屈さとストレスを感じてしまうのです。
愛する人との間に無用な摩擦を避けるため小さな嘘をつく登場人物のその気持ちもしんどさを感じます。そうやって嘘をつかなければ許されないという状況が、たとえ小さなものだとしても私にとってはストレスだと感じます。その嘘を愛の名のもとに暴き立てようとするにいたっては、私の身もきうっと縮こまっていくようで苦しい。
理由は何であれ「いきなり相手の家に引っ越しを余儀なくされる」「行動を制限される」「家から閉め出される」など・・・この辛さ。これは私が育った環境が作り出した私の「性癖」からくる辛さだと思うのです。それは、才能溢れる上にキュートなNuNewを、随分演技がこなれてきたMaxNatを、そして今回初めて見る若手の俳優たちを楽しみに観てはいるものの、かなり強いストレスを感じてしまうことも否めません。
自分と相手との間に「よくわからない」という余白を残したままの関係、そういうのが描かれていると私は安心するのですが、多くの場合、恋愛って結構窮屈に描かれていたりするんですよね・・・。
 
この作品を観ている若いタイの女の子たちは、強い愛情表現は軽い束縛とセットになって「ああ、わたし、そんなに愛されているのね・・・」と感じるのかしら。タイだけでなく、日本だってそう感じる人はいっぱいいるのかもしれません。ただ私はきっと若いころから今に至るまで、どうしてもそう思えない人生を歩んでいます。
ちょっと話がズレますが、実は「身長差」というのも苦手なんです。
男子と男子の物語はそれほど身長差がない物語が多く、それにどこか安心感を得るところがあります。
ところが男性同士であっても一方が明らかに「ちっちゃくて可愛い」と、どこか落ち着かない気がするのです。(そういう構図の作品でも結局は好きな作品はいっぱいあるのですが)
多分、私はそれほど高身長ではないにしろ、こどもの頃から「後ろから3番目」ぐらいのポジションであり、「小さくて可愛い女の子」扱いを受けたことがないからだと思います。
現実の自分は男女問わずそれほど身長差がない、という相手だととても落ち着きます。私よりすごく高いとちょっとビビるし、私より結構低いと何故か無条件に「守ってあげたい」みたいな気持ちが沸いてきます。それは無意識に生まれる感情なので、これも「性癖」というのだろうなあ、と思います。
そして私は、その身長差だけで感情的に揺さぶられることに何故かビビってしまい、同じぐらいの体格の人たち同士の物語にこれまた無意識にほっとしているのです。
あ、ちなみに「性癖」をセックスや性的な感情にのみフォーカスを置いた嗜好、みたいな使い方をよく見るけど、元々は「人間の心理・行動上に現出する癖や偏り、嗜好、傾向、性格のこと」です。
Wikiに出てきましたが 「その人のパーソナリティに根ざし、生活スタイルを方向づけるような行動傾向を指して用いられるのが本来の用法 」というのが特にわかりやすいですね。
なにかを好きになったとき、その「好き」の感情でいっぱいになるのですが、それを左右しているのは性癖なのでしょうね。
好きな作品が同じ人と話していると、他のことでいろんな共通点を感じることも、それに関係しているんでしょうね。