投稿ネタというやつに初めて参加してみました、こんにちは(?)
小・中・高とそれぞれあった修学旅行。
わたしは修学旅行というものが、ずっと憂鬱で仕方ありませんでした。
特に小学校😞
そもそも集団行動が苦手で、みんなで同じ場所に向かわなければならないことをとても重荷に感じてしまう性格でした。
通っていた地方の公立小学校の修学旅行の行き先は、鎌倉と東京。
どちらもとても面白い場所だったのですが、どうしてもみんなで行動することへの苦痛を拭い去ることができず😔結果、後日父に頼んで同じ場所を父と二人で巡るということになってしまったのでした🌀
小6のときのクラス写真。いちばん右に立っているのがわたし💭
というのも、班行動では班のメンバーの子たちが「あれが見たい」「あそこに行きたい」と自由気ままに主張。
でも集合時刻は決まっていて、それに間に合わせるには全部は回っていられない…
わたしは時間を守るのに必死で、班の子を説得したり、行く順番を考え直したり、最終的には自分の行きたかった場所を我慢することで、なんとか辻褄を合わせたのでした。
わたしは昔からよく、「協調性があって、共感力が高い」と評していただくことがあります。
でも、実際には全然そうではなくて、わたしは子どものころから自分の協調性のなさに悩んできました。
たぶんわたしの場合、自分のもつ性質と性質がねじれているのが問題の気がしています。
「我が強くて自分の強い意見があり、それを自己主張できる」
これは、たぶん楽。
周りは苦労するかもしれないけど😥笑
真逆はどうでしょう。
「自分の意見が特になく、周りに合わせるのが苦ではない」
これもきっと楽なのではないかと思います💭
特にこだわりがなければ、周囲の意見に合わせるのはとても簡単なはず。
ではわたしの場合はどうかというと、
「本当は我が強くて自分の強い意見があるが、周りに嫌な思いをさせたくないのでそれを主張できず、みんなに合わせることになる」
です。
こう書くと八方美人な感じがしますね🌀
もちろん「嫌われたくない」という気持ちは0ではないのですが、実際にはひとに嫌われることはあまりどうでもよくて、誰かがストレスを抱えること自体がストレスというか。
たとえばわたしが我を通してわたしの思いどおりにしてしまったとして、それによって嫌われることというより、「本当はこうしたかったのにそうできなかった」とストレスを感じてしまう人がいる、という事実にストレスを感じてしまうんですよね…伝わるでしょうか(ややこしい)
そんなわけで、「自分の主張や意見がある」と「それを周りに主張できない」という相容れない性質・状況のねじれのせいで、わたしはどんな集団にいても鬱屈した気持ちを抱えやすくなってしまいます。
自分が周りに合わせるのが苦手であることは、小学校入学直後から薄々感じていることではあったのですが、決定打となったのがこの小学校の修学旅行でした🌀
こう書くとネガティブな感じがしてしまいますが、自分の性質を把握して、その対処法を考えられるきっかけになったという意味ではとてもよかったと思っているし、いまとなってはいい思い出です😌
お互いがうまい具合に自分の希望を通し合えるような関係性やコミュニティを、これからも大事にしていきたいなぁと思います