昨日の午後は午前にバタバタしながらも色んなことがこなせたからがっつりエアロビクスができました。
運動できるって幸せだなぁ。
さて、11月14日は三つの記念が重なる我が家にはとても大切な日です。
ひとつは妻の誕生日。
人間五十年〜
織田信長が舞った「敦盛」にも出てくる年。
50歳になりました。
元気いっぱいの妻ですが、最近更年期の症状も少しずつでてきてやはり年には勝てないねって話もしています。
日ごろの食事にできるだけ大豆成分を取り入れ外部から女性ホルモンにいいものを取り入れてあげることが今の私にできること。
私自身のためにもなるから女性ホルモンのこともっと勉強しよう。
昨日のうちに宴の準備は済ませましたよ!!
そして前夜祭で妻の大好物のキチン南蛮を作りました。
二度揚げしたフライを揚げたてのまま甘酢タレでしっかり煮浸し。
衣と中身に甘酢タレがしっかり絡むことが極意!
自家製タルタルソースもベストマッチ!
妻もめちゃくちゃ喜んでくれました。
ケーキも先程美味い美味いとモリモリ食べてくれましたよ(^^)
さて、その11月14日に向けて過去に私は私はふたつの準備をしました。
2003年の時の話です。
妻と知り合ったのは2000年秋ごろ。
そして2001年春ぐらいから付き合い始めました。
私が彼女に惹かれたというよりは彼女が私に猛烈なアプローチし、根負けした結果なんだけど。
妻は私の顔が第一印象でビビッと来たらしい。
私はどこが魅力ってわけではなく肌が合うというか一緒にいて沈黙が続いてもそれはそれでいい時間が過ごせるという点がよかったんでしょうね。
付き合っている期間、私の第二の故郷福島に旅行に行ったり、人生初フルマラソンになるホノルルマラソンに同行してもらったり、ともに大好きな野球をいっぱい見に行ったり等楽しい時間をすごしました。
特に喧嘩はありません。
私の堅苦しい性格を彼女は徐々に緩くほぐしてくれました。
そんな彼女と将来を考えるようになったのは付き合って間もないころ。
お互い結婚を考える年でもあったので。
でも、自分に自信をあまり持てていなかった私は何か背中を押してくれるきっかけが欲しくていろいろしました。
フルマラソン始めたことや思い切って小樽から宗谷岬まで自転車で一人縦断旅行したことも。
それでも自信が持てない自分にとってふとこんな情報が。
2003年(平成15年)社会保険労務士試験の合格発表日は11月14日。
知ったのは2003年の3月ぐらいだったと思います。
もともと人事系のキャリアが多く、社会保険労務士は合格率6%の超難関国家資格ではありましたがいつかは取りたいなとおぼろげながら思っていた私。
スイッチが入りました。
試験まで5か月。
正直言って全然時間が足りません。
それでも頑張って勉強してやるだけやったら合格発表日に自信をもってプロポーズできるんじゃないかと。
夢に日付を打ちました。
そして背水の陣を引きました。
その年の11月14日は金曜日。
会社にお願いして休みをいただきその日を含めた2泊三日を石垣島の旅行に充てました。
旅行の手配も彼女には言わず。
そして基本参考書、サブテキストなどを買い込み仕事が終わって一息ついた夜9時ごろから毎晩4時間の猛勉強。
眠くなったりつらくなっても頑張れるようにメントール系のアロマオイルをタオルにしみこませ、鼻から吸い込んで気合を入れなおすようなドーピングまがいのことまでして。
試験当日までおかげさまで体調を崩すことなく自分なりに立てた計画通りに準備をしたものの、これほどまでプレッシャーのかかる試験は今までの国家試験や資格検定、また高校大学受験でも経験しませんでした。
このタイミングを逃せばきちんと話すことなく、二人の縁まで切れてしまいそうで。
試験は8月下旬の日曜日。
その直前に彼女にはこんな試験受けるから終了したら一緒にご飯食べようって話だけしていました。
試験当日は暑く、午前午後で合計6時間ある試験は体力気力も奪います。
それなりの自信をもって試験に挑んだものの思った以上に難関で重箱の隅をつつくような問題ばかり。
さらに一番得意であった労働基準法が壊滅的にできなくて精神的に追い詰められました。
試験中にもこれはやばいという文字が頭をぐるぐる・・・・・・・。
その時の問題用紙がこちら。
試験終業後、最寄り駅まで向かう途中の受験生のいろんな話が耳に入ります。
労働基準法、全然できなかったという言葉が大半。
みんなできなかったんだ。
でも安心はできない。
社会保険労務士試験は何点取ったら合格という試験ではありません。
あらかじめ決められている合格者数や合格率にあわせて変動します。
ただ、科目ごとに設定された最低基準点を取らないと合計点がどれだけよくても不合格。
私も周りも気にしていたのはその「足きり」があるのか。
難関、奇問すぎて平均点が低すぎる場合は一定の救済措置もあります。
その救済措置があるのか。そんな思いがぐるぐるします。
最寄駅から電車に乗り、待ち合わせの場所に向かうと彼女が車を停めて待っていてくれました。
ちょっと車で走った海辺で彼女が買ってきてくれたうな丼をいただきました。
彼女は「お疲れ様」。それぐらいしかいいませんでした。
多分私の顔つきからあまり状況が良くなかったのを悟ったんでしょうね。
その日はご飯を食べて少し話をして帰宅。
早速各試験学校が発表した解答速報を見て回ります。
結論からして、救済措置の可能性がある奇問ばかりの試験内容。
ただ、合格発表日まで2か月あります。
その2か月は、私にとって精神的に地獄でした。
いつも頭の片隅に試験の結果がもやもやあります。
受験者同士のネット掲示板でもネガティブな投稿ばかり。
はぁ、早く結果が出てほしい。
どちらの結果になっても自分の気持ちは伝えようと腹をくくるしかありませんでした。
ここまで頑張ったんだ。落ちても悔いはないはず。
そう言い聞かせて。
【中編に続く】