サンティアゴ・デ・コンポステラとレコンキスタ | 未音亭日乗

未音亭日乗

古楽ファンの勝手気ままなモノローグ。

先週「古楽の楽しみ」では、「聖地巡礼と音楽」というお題の下、スペインにあるサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂への巡礼にまつわる中世の音楽などが紹介されました。放送では「巡礼」を模してか、まずフランス国内を起点にいくつかある巡礼路とそれらに関連する音楽の紹介が続き、最終日が聖地そのものの紹介となりました(そこで流れたMC宮崎晴代さんのナレーションの一部を以下に引用)。

…ガリシア地方の小高い丘を登ると目の前が急に開け、乾いた平原のはるか先にサンティアゴ大聖堂がそびえ立っています。バロック様式の正面を入っていくと 有名な栄光の門に出会います。聖堂の横にあるキンターナ広場には巡礼事務所があり、巡礼者たちは皆ここで巡礼 証明書をもらうのです。巡礼者たちの持ち物の中で共通しているものがホタテ貝です。ホタテ貝はこの聖地に祀られている聖ヤコブを象徴するものだからですが、聖ヤコブという聖人はなぜこのサンティアゴ・デ・コンポステラに祀られているのでしょうか?

 聖ヤコブは、聖書に伝えられているところではキリストの十二使徒の一人で、キリストの昇天後もイエスの教えを広めようとします。ところがヤコブの布教を忌々しく思った ヘロデ王 に殺されてしまうのですが、弟子たちが闇に紛れて彼の遺体を小舟に乗せると不思議な力によってサンティアゴ・デ・コンポステラのすぐ近くの家に流れ着きました。弟子たちが遺体を上陸させるとヤコブの遺体はそこから空中に舞い上がり、太陽の真ん中に入って光り輝きだしました。ヤコブの遺体は東の方に進んだところで 下に降ろされたので、弟子たちはその場所に ヤコブを葬りました。一旦は聖ヤコブの遺骸が行方不明となってしまうのですが、その後星の導きでヤコブの墓が見つかったのでその場所にアルフォンス2世が教会を立て、スペイン語の聖ヤコブを意味するサンティアゴ という名前をこの大聖堂につけたのです。この話にはもちろんいろいろなバージョンがあるのですが、いずれにしても聖ヤコブの奇跡が十字軍の運動とも重なり、スペインの守護聖人として大切にされてきたのです。…

ちなみに亭主がこのキリスト教の聖地のことを最初に知ったのは学生時代、プルーストの長編小説「失われた時を求めて」の冒頭付近で語られる、紅茶に浸したプチット・マドレーヌを口にした瞬間に過去のの記憶がフラッシュバックしたという有名なエピソードにまつわるものでした。マドレーヌは帆立貝のような形をした焼き菓子ですが、帆立貝の別名が「コキーユ・サンジャック」であること、そのわけはサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼者が帆立貝を目印として身につけていたから、ということを初めて知ったというわけです。(サンジャックは聖ヤコブのフランス語表記であることもこの時に学びました。)

 

その後、大学院生の時に一夏をスイスの研究所で実験を手伝いながら過ごしていた際に、同じ実験にベルギーから参加していた院生との雑談の中で、彼が生涯に一度は訪れたい場所として挙げたのがサンティアゴ・デ・コンポステラでした。いうまでもなくベルギーはカトリック信仰に熱心な国で、彼も巡礼者として訪問することを望んでいたのだろうと思われます。

 

当時はもちろん、これまでもサンティアゴ・デ・コンポステラがどこにあるのかもよく知りませんでしたが、ヨーロッパでは誰もが知る名所だったというわけで、今回の放送を機に改めてその場所や巡礼ルートを調べてみました。

 

 

こうして眺めると、いかにもヨーロッパの最果ての地という感じです。ではなぜこのような辺境の地にある一寺院が一大巡礼地となったか?

 

実は先日「ムジカノーヴァ」を探しに行った本屋で偶然目にし、同時に買い求めたのが中公新書の最新刊、「レコンキスタ」(黒田祐我著、2024/9/19刊)でした。スカルラッティにまつわる調べ物をして以来、17-18世紀以降のスペインについてはおおよその知識はあったものの、それ以前については知りたくても素人向けのこれといった参考書がない状態に不満を持っていた亭主にとって、この本はそのギャップを埋めてくれる格好の読み物に思われました。実際読み始めると大変面白く、移動時間などに読み耽っているところですが、サンティアゴ・デ・コンポステラについても初めの方で取り上げられています。以下少し引用してみましょう。

 

レコンキスタ―「スペイン」を生んだ中世800年の戦争と平和 (中公新書 2820)

 

聖ヤコブ崇敬とレコンキスタ・イデオロギー

 820年代に聖ヤコブの遺骸が「発見」され、この場所に教会が建立された。巡礼地として名高いサンティアゴ・デ・コンポステーラのはじまりである。聖ヤコブ崇敬を盛り立てたのが、アストゥリアス王アルフォンソ2世であった。

 イエスの十二使徒のひとり、ぜべダイの子ヤコブあるいは大ヤコブとも称される聖ヤコブには、イベリア半島に伝道し、殉教の後、その遺骸が同半島に移送されたという伝承があった。それが歴史的事実であるか否かは、ここでは重要でない。考えるべきなのは、この時期にその遺骸が「発見」されねばならなかった必然性である。

 ちょうどこの時代は、カロリング朝フランク王国がシャルルマーニュ(在位768~814年)のもとで最盛期を迎え、後述するように、イベリア半島東北部に影響を及ぼしてきている時期にあたる。カロリング朝はローマ教皇と手を携え、西ローマ帝国の復活を目論んだ。そこでアストゥリアス王国教会は、聖ペテロの後継者を主張するローマ教皇、そのローマと結託したカロリング朝教会、そして西ゴート王国時代の伝統を継承するアンダルスのモサラベ教会とも異なる、自立した教会組織を模索した可能性が高い。であるからこそ、ローマと比肩しうる使徒として、イベリア半島に所縁のある聖ヤコブを盛り立てる必要があったのであろう。

 聖ヤコブの遺骸が「発見」され教会が建てられた場所は、本来、ガリシアの土着信仰に関連する聖地であった。アルフォンソ2世が聖ヤコブ教会をガリシアに建立したのには、いまだアストゥリアス王権に服従しているとはいいがたいガリシア社会を聖ヤコブ信仰のもとに統合して取り込み、その支配を安定させる意図もあった。つまりは、国内をまとめ上げ、対外的にも固有の精神的かつ宗教的な支柱として、聖ヤコブが必要とされたのである。

この短い断片だけからも、「レコンキスタ」をめぐる本書のスコープの大きさは想像がつくと思われます。

 

 

本書を読み始めると、途端に冒頭にあるスペインの州や主要都市名を示した地図と首っ引きの状態になりますが、これはスペインが実は複雑なモザイク国家で、それぞれに長く複雑な歴史を持つことに我々が無知だからです。例えば、上の引用に登場するアストゥリアス王国は、7世紀ごろに半島南部から始まったイスラム化を逃れた北部で成立した最初のキリスト教国で、ここがいわゆるレコンキスタの起点と位置付けられています。(スペイン皇太子がこの地名を冠した称号を持つ意味もこれでわかるというもの。)とはいえ、これはいわば「神話」としてのレコンキスタであり、実際の歴史ははるかに込み入ったものであることを本書は教えてくれます。

 

また、ドメニコ・スカルラッティはスペイン宮廷に仕えている間に、ポルトガル王ジョアン5世(スカルラッティのハープシコードの弟子でスペイン皇太子に嫁いだマリア・バルバラの父)から「サンティアゴ騎士団」叙勲の栄を付与されますが、それがイベリア半島でどういう象徴的意味を持っていたかが実感を持って想像できるようになります。

 

ところで、亭主はスペイン料理をこよなく愛し、週末に気が向けばパエリアなどを作りますが、これはスペイン東部バレンシアの米料理。また、これもよく作るイカの墨煮、こちらは北部バスク地方の料理だとか。「タコのガリシア風」も大好きでよく作りますが、ガリシアが北西端、ポルトガルの北に位置していることを今度こそは覚えられそうです。