フレスコバルディ家のファミリー・ヒストリー | 未音亭日乗

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古楽ファンの勝手気ままなモノローグ。

先月末に王子ホール(東京)で収録された平崎真弓&ロレンツォ・ギエルミのデュオ・リサイタルがテレビで放映されたのを、この週末に録画で拝聴。この演奏会には「ヴェネチアからドレスデンへ」というお題がついており、演目の前半にはカステッロ、ウッチェリーニ、パンドルフィ・メアッリといった亭主の知らない17世紀イタリアの音楽家によるヴァイオリン作品が並び、途中フレスコバルディによる鍵盤独奏曲を挟んで、18世紀のピセンデル、ヴェラチーニらいずれもドレスデンにゆかりのある音楽家のソナタが取り上げられました。

 

このご両人、既に共演のキャリアも長いようで(もう15年ぐらいとか)、練達のデュオという印象です。また、平崎真弓さんの自由自在な弓捌きから紡ぎ出される響きは実に多彩。超高速音列(ディミニューション?)による装飾(変奏)などは圧巻で、もう怖いものなし、という感じです。マイクのセッティングがよかったのか、ギエルミのハープシコードの音もよく聞こえ、通奏低音とはいえなかなかに丁々発止の掛け合いも聴きごたえがありました。(残念ながら、番組尺の関係で相当な数の曲がカットされていましたが、代わりにお二人のインタビュー映像が流れ、特にギエルミのそれは興味深いものがありました。)

 

とはいえ、週末ハープシコード奏者の亭主が今回特に興味を掻き立てられたのが、フレスコバルディの鍵盤作品「フレスコバルダによるアリア」です。ジャン・ロンドーのアルバム「メランコリー・グレース」(2021)を聴いて以来、17世紀の鍵盤音楽への関心が燻っていた亭主、目の前でそのような一曲が奏されるのを目にし、久しぶりにフレスコバルディの楽譜(ベーレンライター版)をひっぱり出してきました。件の曲がトッカータ集第2巻(1637)の巻末近くに収まっているのを見つけ、さっそく楽器に向かうことしばし。(この時代の音楽で困ることの一つがテンポの取り方ですが、ギエルミの演奏のおかげでようやく具体的なイメージが湧いた感じです。)

 

 

ジローラモ・フレスコバルディ(1583-1643)といえば、ローマ・カトリックの総本山、ヴァチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂のオルガニストとして活躍した斯界の重鎮で、鍵盤をはじめ器楽音楽に本格的に取り組んだ最初の音楽家の一人ともみなされています。加えて、その様式が後世に与えた影響も大きいとされており(前述の演奏会で彼が取り上げられた理由もそれ)、弟子のフローベルガーを通じてフランスとドイツの両方のバロック・オルガン楽派に影響を与えたと考えられています。(バッハもフレスコバルディのオルガン曲集《音楽の花束》の写譜を所蔵していたことがよく知られています。)

 

そこで、ついでに彼のことをもう少し調べてみようとグーグル検索をかけたところ、トップに出てきたウィキペディアの記事に次いで2番目にヒットしたのが、日欧商事という会社が取扱うイタリア・ワインのブランド「フレスコバルディ」でした。

 

それによると、「フレスコバルディはトスカーナの大地の多様性を称賛し洗練された最高品質のワインを造ることに情熱を注ぐ、イタリアを代表する世界的な生産者です」とあり、その下に「30代目当主 ランベルト・フレスコバルディ氏」と書かれた男性肖像写真が掲げられています。

 

「…第30代か。随分と長いな…」と思いつつさらに続きを読むと、「フレスコバルディ家の歴史は1000年以上前に遡り、常にトスカーナの歴史と深い繋がりがあります。フィレンツェが最盛期を迎えていた中世の時代に、フレスコバルディ家は英国王室の財務管理を担っており、銀行家として影響力を強めていきました。その後まもなく、ルネッサンスの開花とともにサンタ・トリニタ橋やサント・スピリト大聖堂の建設など重要なプロジェクトや芸術家たちの支援者となります」と続きます。

 

以下10世紀、14世紀、といくつかの世紀ごとにフレスコバルディ家の活躍を手短に紹介する記事を目で追っていたところ、17世紀のところで「バロック音楽家でオルガニスト、作曲家のジローラモ・フレスコバルディが活躍。バッハをはじめとする後世の音楽家たちに、音楽史に残る多大なる影響を与えました」とあり、「え~、もしかしてこのフレスコバルディ家、あの大鍵盤奏者を輩出した一族なんかぁ!?」とびっくり仰天。

 

イントロの文章にあったように、フレスコバルディ家は12-13世紀ごろにフィレンツェを拠点に銀行業で財をなし、同じ頃にワイン醸造も始め、14世紀には英国王室にまで輸出するようになるなどこちらでも大成功したようです。フィレンツェの銀行家といえば何といってもメディチ家が有名ですが、フレスコバルディ家はそれより1世紀ほど先んじていたようにも見えます。

 

ちなみに、これらの記事はワインメーカー「フレスコバルディ」社のwebページ(frescobaldi.com)にある該当記事(日本語にも対応)「私たちの歴史」からの抜粋となっている模様。

 

少し気になることとして、ジローラモが生まれたというフェラーラはフィレンツェとは少し離れています。銀行家/ワインメーカーであるフレスコバルディ家の関係者がフェラーラに住んでいたのかどうかも含め、亭主がざっとネット上を調べた限り音楽家ジローラモ・フレスコバルディ側の記事にはその辺の事情を記したものは見当たらないようです。というわけで、とりあえずワインメーカーの記事を信じるしかないですが、これが本当だとするとなかなか面白い話です。

 

それにしてもフレスコバルディのワイン、さらなる話のネタとして近いうちにネットでポチってご賞味させて頂こうと思っているところです。