表題のCD新譜が先月リリースされたのを知り、早速入手してこの週末に拝聴しました。

 

「アルファ」と言えば古楽の老舗レーベルですが、シュタイアーにとってはここからCDを出すのは初めて、ということのようで、亭主にとってはむしろその方がびっくり。

 

 

アルバムタイトルだけを見るとなんとなく思わせぶりですが、「瞑想」の対象になっているのはグレゴリオ聖歌からの引用である「定旋律(Cantus firmus)」。なかでもプログラムの中心は、中世・ルネサンス期から18世紀までの数百年にわたって繰り返し引用された「パンジェ・リングァ」というイムヌス(讃歌)で、以下の譜面(中世音楽合唱団のHPから借用)の中の第3節(c)にある「ソラドシラソ…」という音形です。(移動ド階名で「ドレファミレド…」と言った方がわかりやすい?)

 

 

ここでシュタイアーがこの定旋律に基づいた音楽の終着点として念頭に置いているのは、バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻、ホ長調の前奏曲とフーガで、フーガの主題「E-F#-A-G#-F#-E」はまさにこの音形から取られています。

 

 

バッハはこの主題をヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー(1656-1746)による「音楽のアリアドネ」(1702)という曲集で知ったと推測され、このアルバムでもこの曲集から4つの前奏曲とフーガが取り上げられています。(下段写真:ちなみにこの「前奏曲とフーガ」という形式や、調を移動しながらの曲集というコンセプトはバッハの平均律クラヴィーア曲集に通じるもので、バッハもこれをお手本にしたように見えます。)

 

さらに、フィッシャーに次いで多く取り上げられたのがフローベルガーの作品。特に、組曲第20番の「わが身に来たるべき死への瞑想」については、一時期自分でもよく弾いていた曲だけに、「えっこの曲もそうなの?」と驚かされました。(同じことがルイ・クープランのパヴァーヌにも言えます。)

 

ちなみに、このプログラムには特定の音型を音高を変えつつ繰り返すゼクエンツというもう一つの技法もお題になっていて、シュタイアーのライナーノートによると、前出のバッハによるホ長調の前奏曲に出てくる「E-B-C#-G#」という音形がこれに関係しているようにも読めます。

 

というわけで、これまで亭主にとっては名前だけだったJ.C.F. フィッシャーに突然興味が湧いた亭主、早速IMSLPから「音楽のアリアドネ」をダウンロードし、ハープシコードでポロポロ…。1734年製ハスの楽器(複製)を自在に繰るシュタイアーのゴージャスなサウンドには適うはずもありませんが、1曲1曲が短い上にバッハのそれよりは易しい作りなので、初見でも十分に楽しめます。

 

 

さて、いろいろトリビアを書いてきましたが、やはりシュタイアーのライナーノートにある蘊蓄に勝るものはないので、関係する部分を以下に邦訳で掲げておきます。

 

(なお、CDの半分近くを占めるシュタイアー自作の「アンクランゲ」、バリバリの不協和音に基づく音楽で、残念ながら亭主の好みではありませんでしたのでノーコメントです。)

「瞑想」 

アンドレアス・シュタイアー

 

音楽はしばしば音楽について書かれる。あるテーマや問題はすぐには解決できず、結果として何世代にもわたって続く。特に2つのモチーフが、この録音で紹介される作品のほとんどを貫いている。その最初のモチーフは、古代の定旋律(カントゥス・フィルムス)で、このプログラムの構造的枠組みを確立している。ヨハン・カスパー・フェルディナント・フィッシャーとヨハン・ゼバスティアン・バッハによるホ長調のフーガは、この主題(トマス・アクィナスが作曲したとされる聖体拝領賛歌「パンジェ・リングァ」(1264年頃)の2行目)を冒頭と末尾で明確に用いている。ホ長調のE-F#-A-G#-F#-E[ド-レ-ファ-ミ-レ-ド]というこの音列は、何世紀にもわたって何度も取り上げられ、作り直されることになる。有名な例としては、ジョスカンの『Missa Pange lingua』(1515年頃)の「Christe eleison」だけでなく、モーツァルトの『ジュピター交響曲』(1788年)の最終楽章が挙げられる。後者の作品では、定旋律が主題の最初の4音に集約され、ハ長調に移調されている: C-D-F-E。

 

ここに収録された作品のうち、さらに3曲がこの主題を使っている: ヨハン・ヤコブ・フローベルガーのリチェルカーレ第4番(ト調-ミクソリディア旋法)、同じ作曲家のファンタジア第2番(ホ調-フリジア旋法)、そしてヨハン・ヨーゼフ・フックスの有名な対位法理論書『グラドゥス・アド・パルナッスム』(1725)の短い例(同じくホ調―フリジア旋法)である。フックスの論考の中で、このパンジェ・リングァほど多くの編曲が施された定旋律は他にない。ここで演奏されている短い楽章は、フックスの最後のバージョンである。

 

バッハはこのプログラムの消失点であり、ここで紹介されているパンジェ・リングァの様々な編曲のどれがバッハに知られていたのかという疑問がすぐに浮かぶ。カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが、J.S.バッハの最初の伝記作者であるヨハン・ニコラウス・フォルケルに宛てた手紙には、大変若い頃のバッハが、他の多くの作曲家の作品とともに、フローベルガーの作品を「愛し、研究していた」と記されている。しかし、バッハがフィッシャーの『アリアドネ・ムジカ』に大いに親しんでいたことは確かである。この曲は、24の長調と短調のうち19の調による前奏曲とフーガを半音階順に並べたもので、『平均律クラヴィーア曲集』の作曲を準備するバッハにとって最も重要なインスピレーションの源のひとつであったことは間違いない。また、バッハはフィッシャーに敬意を表し、フィッシャーのフーガの2つの主題を移調せずにほぼそのまま『平均律クラヴィーア曲集』に取り入れた。

 

フックスの対位法の例は、バッハのホ長調のフーガの直接的な知的背景へと私たちを導いてくれる。フックスの『グラドゥス・アド・パルナッスム』は、18世紀に書かれた対位法の教科書の中で、長い間最も影響力のあるものだった。ルネサンス後期のイタリアの声楽ポリフォニー様式であるスティレ・アンティコを扱ったもので、ジョヴァンニ・ピエルルイジ・パレストリーナ(1525-1595)の作品に最も純粋な形で現れており、彼のミサ曲やモテットは数世紀にわたってカトリック教会音楽の理想とされていた。バッハのホ長調のフーガは、おそらく1730年代後半に作曲されたもので、彼の全作品の中で最も純粋なスティレ・アンティコの例である。バッハがこのスタイルを追求したのは、1733年にすでに作曲していたキリエとグローリアに加え、ミサ曲の残りの部分を作曲し、後にロ短調のミサ曲として知られるようになるミサ・トータを創作することを、ほぼ同時期に決心したことと関連しているに違いない。バッハが『グラドゥス・アド・パルナッスム』に(再び?)取り憑かれたのもこの頃である。クリストフ・ヴォルフがもっともらしく推測しているように、バッハは同時期に哲学と音楽を学ぶ若い学生ローレンツ・ミズラーとも親しくなり、彼に『グラドゥス・アド・パルナッスム』のラテン語テキストをドイツ語に翻訳するよう勧めた。

 

すでに述べたように、バッハの時代、作曲家が他の作曲家のフーガの主題を用いることは珍しいことではなかった。このような主題の多くは常識とされ、何人かの作曲家が連続して、互いの作品を明確に参照しながら、対位法的な競争の精神で創作された。そのため、バッハのホ長調の2つの楽章の中の前奏曲は、フィッシャーの同じ調の前奏曲と動機的、雰囲気的な親和性を示している。フィッシャーの冒頭のジェスチャーは、E-B-C#-G#という音符を中心に形作られている。これらの同じ4つの音は、最初のEを1オクターブ低く移調したもので、バッハの前奏曲の冒頭を形成している。

 

オクターヴ、5度、6度、3度というこの音程の並びは、このプログラムの2番目の主題を形成している。この曲は、フィッシャーの前奏曲イ長調の主題を形成し、2つの偉大な哀歌、ルイ・クープランの嬰ヘ短調のパヴァーヌとフローベルガーの「わが身に来たるべき死への瞑想」で重要な表現的役割を果たしている。ベートーヴェンがチェロとピアノのためのソナタイ長調の冒頭で同じ音列を使っているだけでなく、ワーグナーの『パルジファル』でも鐘が同じ音程で鳴っている。(以下略)