突然ですが、英語に関する問題です。数字の「1」、英語では「one」と「unity」という2通りの表現がありますが、これはなぜでしょう?

 

ついでにもうひとつ、英語では「理性的」を「rational」といいますが、元になった「ratio」は「数比、比率」という意味です。なぜ「理性的」が「数比」から派生したのか?

 

仕事でウン十年にわたり英語で物理学関係の論文を書いてきた亭主、これらのギモンを漠然と感じつつも長年ずっと放置してきましたが、表題の本を読んで思いがけずもその答えを知ることに。(…実はまだ読み終わったのは「訳者解題」の部分ですが、これが大変すばらしく、大いに目を開かれました。)

 

音楽教程 (講談社学術文庫)

 

「音楽教程」は古代ローマ帝国末期の紀元510年頃、著者ボエティウスが30歳前後に書かれたもので、古代ギリシャの音楽理論を後世へと伝える上で重要な役割を果たした著作とされています。亭主もその存在だけは知っていましたが、本邦初訳として昨年末に講談社学術文庫の一冊に加えられたのを知りゲット。訳者は誰あろう、やはり本邦初訳でラモーの「和声論」(音楽之友社、2018年)を世に送り出した伊藤友計さんです。

 

ここでまず冒頭の第一問について。よく知られているように、古代ギリシャの数学者ピタゴラスから始まった楽音の理解は、弦の振動における長さと音高の比、という数比に基づいていました。(例えば2:1はオクターブ、3:2は5度音程など。)そして、伊藤さんによると「…現代の感覚では奇妙なことではあるが、古来〈数〉とは「2」から始まり、「1」は数とは見なされず、数を生み出す基となる〈単位〉として認識されていたことが指摘されねばならない。」ラテン語の「unitas」もこの意味での「1」で、〈単位1〉と訳されています。

 

つまり、英語で1をunityというとき、その背景にあるのは古代ギリシャ以来の数比に基づいた数学的思考がある、というわけです。それにしても「数」は2から始まる、という認識は実に衝撃的です。(これは英語圏で幼児が言葉を覚える際に、まず「数えられるかどうか(加算 vs 非加算)」で対象を分けることから始まる、という話とも関係しているような…)

 

そして第2問、これはピタゴラス派の哲学者たちが理性をもって世界を理解する上で「数比」を基にしていたことにあります。ボエティウスが掲げた「数学的四科」、つまり音楽、算術、幾何学、天文学はいずれも数比を基本にした学問。そのような一科目である音楽を扱った「音楽教程」の中でも、音楽は耳という感覚によって捉えられる音響現象というよりも、理性や知性によって把握され理解される「関係性」に重点を置くべきとされており、そこで数比に基づく音の関係と協和/不協和との対応が延々と議論されているとのこと。

 

もう一つ重要なことは、このような数比による世界理解=理性の働きがキリスト教の信仰とも一致する、という新プラトン主義的な思考の広がりです。

 

ここから見えてくるのは、「理性による世界理解=数比による世界理解」という思考で、これなら「ratio」から「rational」が派生するのは実に自然です。

 

この数比という思考あるいは世界認識のパターン、実に18世紀の啓蒙思想時代まで連綿と人々を支配しており、実はラモーの「和声論」にもそれが色濃く現れているとか。ラモーは「和声論」執筆当時は音響物理学の知識を持っておらず、ピタゴラスーボエテイウス的な数比の伝統を引き継いで和声論を展開しており、その後、上方倍音列の知見を得て理論の基盤を数比から科学へと転換しようとするもうまくいかなかったとのこと。

 

「和声論」におけるこのような数比論への拘りを問題視したダランベールは、それを無用の長物とみなし、彼が書いたラモー理論の簡易版「ラモー氏の音楽理論の基礎と実践」の再販(1762年)で、

我々は、第1版の時と同じように、音響体の共鳴の中にラモー氏が見いだそうとした幾何比例、算術比例、調和比例と数列に関するあらゆる考察をこの版から排除した。なぜなら、ラモー氏はこれらの比例を全く考慮に入れずにすませることができたはずだと我々は確信しているからである。それらの比例は音楽理論ではまったく役に立たないし、あえて言うならば、見せかけにすぎない。(同書178頁)

と言わしめるに至ります。要するにラモーの「和声論」が晦渋である理由は、時代遅れの数比理論への無用なこだわりにある、というわけです。

 

こうしてみると、伊藤氏の解題記事は、古代ギリシャ哲学・アリストテレス主義から中世スコラ哲学を経由して18世紀初頭まで連綿と続いた「数比的な世界観」の一部である音楽理論と、それ以降の近代的な音楽理論の間には深淵とも言うべき断絶があることを教えてくれます。(ラモーはまさにそのような時代の「分水嶺」だったと言えるでしょう。)

 

これは自然科学における世界観ともまさに表裏一体で、この解題記事でもフランシス・ベーコンの著作「ノヴム・オルガヌム」(1620年)で「新しい思考の道具」として帰納法と実験的手法の重要性が提案されたことを紹介しながらその点について論じています。

 

というわけで、「いにしえの有名な音楽理論書」の邦訳ということで興味本位に手を取った亭主でしたが、思いがけずも科学史・科学哲学まで及ぶ広い視界を得ることができました。