「ウェイブス: ラモー・ラヴェル・アルカンの音楽」by ブルース・リウ | 未音亭日乗

未音亭日乗

古楽ファンの勝手気ままなモノローグ。

一昨年のショパン国際ピアノコンクール、直後の日本のメディアでは日本人入賞者の反田恭平氏や小林愛実さんの消息しか伝わってきませんでしたが、その後しばらくしてから優勝者のブルース・リウ氏に関する話題も散見するようになりました。

 

そうこうするうちに、先月には彼のスタジオ録音による表題のCDデビューアルバムがリリースされました。ところが、収録曲のリストを眺めるとショパンが一曲も取り上げられていないだけでなく、クラヴサンの代表的なレパートリーであるラモーの作品が(もちろんピアノ演奏で)少なからず入っています。大いに気になり始めた亭主、結局新譜を落手してこの週末にじっくり拝聴することに。

 

WAVES: Music by Rameau, Ravel, Alkan

 

<ブルースという名前>

ブルース・リウは、両親が中国人で1997年フランスはパリの生まれ。4歳の時に両親が離婚し、6歳で父親に連れられてフレンチ・カナダの中心地モントリオールに移住。当地のモントリオール音楽院で教育をうけたとのことで、基本的にフランス語・フランス文化圏の出身者と思われます。

 

一方で、彼のファーストネームとみなされているブルースという名前、実は3年前に自分で選んで称するようになったとのこと(ちなみに本名(?)は劉曉禹 = Liu Xiaoyu)。本人曰く、俳優のブルース・リーが好きだったのと、昔から風貌が彼に似ていると言われたからだそうです(確かに…)。

 

そういえば、亭主も大昔にポスドクとしてカナダに住んでいた頃、知り合いの香港出身の大学院生が自分ことを「アンジェラ」と名乗っていたのを思い出します。どう見ても中国人の彼女にその訳を訊ねたところ、香港ではある年齢になると皆自分でそういう名前を付けるのが習慣だ、との答えでした。(確かに、香港出身の有名人を見ても、古くはブルース・リーやアグネス・チャンから、最近バンクーバーに渡ったアグネス・チョウさんまで大勢思い付きます。)

 

香港もカナダも旧英国植民地であることから推察するに、このようなEnglish given nameを名乗るのは大英帝国の臣民であるこを示す英国式の習慣のようで、フレンチ・カナダの中国人社会も例外ではないということかもしれません。

 

とあるメディアではこのような背景を持つブルース・リウのことを「コスモポリタン」と呼んでいましたが、このコスモポリタンという言葉、元はと言えば英国が自国の生活・習慣を持ち込んだ世界中の植民地における支配階級の生き方を指していたもので、ほのかに帝国主義的な匂いがします。そのような帝国主義時代を経た結果、世界の共通語は英語となり、名前も英語風の方がメディアでの流通にも有利であることも確か。(本人もそのことを意識しているようです。)

 

<フランス・サロン音楽の系譜>

フレデリック・ショパン(1810-1849)といえば、亭主も含めて大抵の人にとっては「ポーランドの国民的な作曲家」という位置付けになっています。が、彼の父親ニコラは16歳の時にロレーヌからポーランドに移住したフランス人だったそうで、ニコラは当地で重宝されたフランス語の能力で地位を築いたとのこと。(そもそもChopinという名前も発音も明らかにフランス由来。)もちろん、生まれも育ちもポーランドのフレデリックは、意識としてはポーランドこそが我が祖国と思っていたようですが、音楽生活では最終的にパリのサロンでの私的演奏会が活躍の中心となります。ちなみに、シャルル=ヴァランタン・アルカン(1813-1888)はユダヤ系フランス人でショパンと3歳違いの同時代人。同じようにパリのサロン文化を担っていた音楽家とみなすことができます。

 

ところでサロン音楽といえば、その系譜を辿ればフランス革命以前の王室、あるいは貴族のそれにたどり着くわけで、そこで演奏されていた音楽はフランソワ・クープランやラモーの音楽でした。その特徴はと言えば、お互いを知る小さな知的サークルでの内輪受けを旨とした「音楽による隠喩・肖像画」。ドイツ音楽が標榜する絶対音楽とはある意味で対極にある標題音楽です。

 

音楽史の上では、フランス革命が起きた18世紀末は一つの大きな区切りですが、その理由は音楽の上で何か断絶があるというより、これを境に音楽の聴衆・パトロンが一般市民へと大きく「拡大」し、好まれる音楽にも質的な変化が生じたからです。これをサロン音楽から見れば、革命によってそれが消え去ったわけではなく、単にサロンの主催者が王侯貴族に限らなくなった、というだけのことだと思われます。(しかも、自分たちの文化といったものを持たなかった新興ブルジョア階級の人々は、憧れの的でもあった王侯貴族のそれをモデルにしました。)そして「音楽による隠喩・肖像画」という伝統は、ショパンやアルカン、さらにはフランク、ドビュッシーを経由してラヴェルへと引き継がれていると考えてよいでしょう。

 

こうして見ると、ブルース・リウのアルバムのコンセプトは「サロン音楽の伝統」、音楽文化におけるフランス的なものを思い起こさせるプロジェクトと見立てることができます。(「ウェイブス」という「お題」もその伝統に則ったというわけです。)それはまた、ブルース・リウ自身が(中国人という出自を傍に置いて)フランスを音楽における自分のアイデンティティの拠り所であると宣言する場にもなっているように見えます。

 

ちなみに、ブルース・リウの演奏を聴いていると、ラモーの作品がスカルラッティのように技巧的に洗練された(ピアニスティックな)作品のように聞こえてくるところが新鮮です。その点、アルカンの作品もまさに名人芸的であるのは言うまでもありませんが、ラヴェルの「鏡」がこれほどの超絶技巧的作品に聞こえたのも初めてで、このアルバムの白眉と言えるでしょう。亭主はその目眩くような音の流れと煌めきにしばし圧倒されながら聴き惚れていました。