最近の朝古楽を聴きながら、そういえばこのところフィリップ・ジャルスキーの美声にご無沙汰しているなぁ、と気になり始めた亭主、久しぶりにネット上で検索をかけてみたところ、亭主の知らないCDがゾロゾロと4-5枚も出てきました。そこで、これらのうち直ぐに手に入りそうなもの4枚をHMVの通販サイトでポチることに。その中の1枚は、彼とアンサンブル・アルタセルセによるデビュー版として2002年に出たCDの再版で、ベネデット・フェラーリというマイナーな作曲家の独唱曲を収めたもの。 注文してみると、これが一番入庫に時間がかかったようで、結局先週になって揃いで到着。他の3枚は「ウィーンのカルダーラ/マザランの音楽会」、「現世の虚しさ・バロック時代のオラトリオからのアリア」、そして「忘れられたアリア集」です。

 

 

Benedetto Ferrari: Musich

 

La Vanita Del Mondo

 

というわけで、この週末に早速拝聴したのがフェラーリによるデビュー版と「現世の虚しさ」の2枚でした。後者の原題は「La vanita del mondo」(ピエトロ・トッリ(1650-1737)のオラトリオから取られたもの)、発売元の邦訳題名も分かりやすくてなかなか秀逸ですが、亭主的には「諸行無常」の方がぴったり来ます。以下に引用するライナーノート中のジャルスキー自身の言葉にもあるように、この音盤はCOVID-19のパンデミックが始まった2020年に録音され、その年の暮れにリリースされたもの。

レコーディングを20年以上続けてきて、私はこのところ新しいアルバムを、すでに歌った作品を補完するプロジェクトと捉えようとしている。これまでバロック・オペラやモテットのアリアを数多く録音してきたが、イタリアのオラトリオについては、ワーナーとの最初のコラボレーションであるアレッサンドロ・スカルラッティの「エルサレムの王セディーチャ」でジェラール・レーヌの心優しい息子を歌った以外は、まだ取り組んでいない。しかし、このジャンルは私が特に好きなジャンルであり、この時代の多くの作曲家は、例えば旧約聖書という偉大にして聖なる物語を音楽にするよう求められたとき、しばしば自分自身のベストを尽くしたと私は信じている。

 聖人や、時には神そのものを音楽で表現するには、王子や王妃の情熱を表現するよりも、より強い霊的感覚が求められる。 17世紀末になると、作曲家たちはオペラよりもむしろオラトリオについて、対位法に十分な注意を払いつつ特別な様式を発展させた。その語り口がオペラよりも静的なものであったことは確かだが、パンデミックに襲われたこの年、私はこれらの音楽に今までになく深い共感を持って世界における人間の有り様を考えさせられることになった。

 上記に関連して、このアルバムはそれ自体が奇跡のようなものだ。ロックダウンの最中、2020年4月に録音されるはずだったこのアルバムは、6月に集まって期限内に完成できるかどうか最後の瞬間までわからなかった。その間の数ヶ月は演奏することもできなかったので、このアルバムは、私にとってもアルタセルセの音楽家たちにとってもいわば解放だった。「現世の虚しさ」という題名の意味は説明するまでもなく、これには3世紀以上も前に書かれたアリアが持つ力と同じように、この危機が私たちの良心を呼び覚ますように、という願いが込められている。

                                P. ジャルスキー

ここで冒頭に言及されているA.スカルラッティのオラトリオへの出演は1999年、まさにジャルスキーの歌手デビューとなった公演で、ジェラール・レーヌ(カウンターテナー・指揮)とイル・セミナリオ・ムジカーレによるものでした(CDもあるようです)。フェラーリの音盤を聴いていると、その頃はかくもありなんと思えるジャルスキーのどこまでも透き通ったソプラノの美声に陶然とさせられます。

 

一方、「諸行無常」のアルバムの方はまさに今の彼の声、フォルテになると少し口を横にきつく開いて母音が「イーっ」と聞こえる感じの声です。この発声、亭主の耳にはやや無理しているようにも聞こえ、やはり加齢の影響を想像してしまいます。が、その点を除けば、歌詞の内容に即して声の表情を自在に変える様はまさに変幻自在。声の透明感も依然として素晴らしいものがあります。

 

また、プログラムの中で驚いたのがヘンデルの「時と悟りの勝利」というオラトリオ(1707年版)からのアリア、「Lascia la spina, cogli la rosa」。この曲、彼のオペラ「リナルド」の中の有名なアリア「涙の流れるままに」とほぼ全く同じでびっくり。ここでもヘンデルの自作の使い回しが露見したわけですが、逆に当時二十歳そこそこの若者だったヘンデルがこれほど完成されたアリアをものしていたことに、改めて彼の早熟ぶりを垣間見る思いでした。

 

それにしても、「ジュデイッタ」など旧約聖書を題材にとったアリアの歌詞を(英訳で)眺めるにつけ、その世界が新約聖書(福音書)のそれとは全くの別世界であることを痛感させられます。そこにあるのは荒ぶる神と、その下で理不尽に痛めつけられるユダヤの人々。ひたすら救世主の到来を待ち続ける預言者や、深い絶望の淵でその言葉に一縷の望みを託す民の姿です。

 

これらの音楽が作られた17世紀は、飢饉やペストなどの伝染病、さらには宗教戦争でヨーロッパが荒廃した時代でもあり、旧約聖書で描かれた世界と強く共鳴したのだろうと想像できます。そして21世紀のこんにち、我々はコロナ禍に襲われ、ウクライナや中東ではまさかの本物の戦争までもが起きているという現実を目の前にし、旧約の登場人物たちの感情や行動にかつてないリアリティーを感じてしまう今日この頃です。