ひょんなことから、昨日(6月13日)夕方に催されたNHK交響楽団の第2067回公演をNHKホールにて拝聴。

 

きっかけはというと、アマオケでの活動を大いにエンジョイしているらしい平成生まれの家人2人と話をしていたところ、最近になって「プロオケの演奏を生で聴いたことがない」と聞かされてびっくり。やはり社会人なのでウィークデーのコンサートには足を運びにくい(特に北関東在住だと東京での演奏会は遠い)のだろうと想像しますが、チケット代がバカにならないことも要因のひとつのようです。

 

そこで、昨日はちょうど家族の祝賀イベントの日だったので、皆が集まりやすい東京近郊でその日に予定されているプロオケのコンサートをプレゼントすることにして、適当な演奏会はないものかと検索したところ、前述のN響演奏会がヒット。公演日の1週間前でしたがそれなりに席は空いており、連番で席を予約することに。

 

というわけで、昨日は15時ごろ渋谷に集合し、「渋谷ヒカリエ」の11階にあるイタリアンレストランで軽く祝賀イベントを行った後、18時の開演を前に徒歩で代々木公園にある同ホールに向かいました。

 

土曜日夕方とあって渋谷駅とその周辺はかなりの人出で、信号で人流が堰き止められるたびに交差点は大混雑。代々木公園が近づくについれ多少は人は減るものの、あちこちに人がたむろしたり行列を作ったりしています。

 

ところで、亭主が前回最後にNHKホールに足を踏み入れたのは、かのマウリツィオ・ポリーニ(1942-2024)が来日公演の際に特別に催した「青年のためのコンサート」でした。いつのことだったかとネットで調べてみると、何と45年前の1981年(!)。当時と比べて渋谷界隈の街並みは激変しましたが、丹下健三の代表作として名高い国立競技場の吊り屋根やNHKホールの四角張った建物は昔ながらの姿をとどめていて、なんとも懐かしい限りです。

 

   

 

さて、指揮者にヤープ・ヴァン・ズヴェーデン、ピアノ協奏曲のソリストにコンラッド・タオを迎えた曲目(Aプログラム)は

・ワーグナー/楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 前奏曲

・モーツァルト/ピアノ協奏曲 第17番 ト長調 K. 453

・バルトーク/管弦楽のための協奏曲

と、時代もスタイルも異なる3曲からなるものでした。これらのうち、メインディッシュであるモーツァルトとバルトークの作品は、平成生まれのアマオケ団員には馴染みがない(聴かないし、やらない)らしく、あまりピンと来なかった(?)ような素振りでした。(年配リスナーである亭主共はもちろん大いに堪能。ヴァン・ズヴェーデンもニューヨーク・フィルを率いて行ったヨーロッパ公演の様子をテレビで拝見していたこともあり、その棒捌きの巧さを再確認。久しぶりに耳の保養になりました。)

 

 

それにしても気になったのが聴衆の客層で、客席やロビーを見渡して目につくのはやはり中高年男性です。特に女性が少なかったらしく、(連れ合い曰く)「女子トイレがそれほど混んでいないことからも実感できる」とのこと。N響を支える教養主義的なクラシック音楽ファンが昭和世代の男性であることを、この客層がはからずもあぶり出している、というわけです。

 

もちろん興行側であるN響も既にこのことは十分意識しているようで、若い世代を引き込もうと29歳以下が半額にになるユースチケットを用意しています。が、昨日の公演を見る限り、これも功を奏しているとは言い難いようです。

 

このような状況では、前述のポリーニの取り組みが当時とは全く違った重みをもって見えてきます。彼は、このころ(1980年代)から若者がもっとクラシック音楽に親しめるようにと、一般公演とは別のプログラムで30歳以下の聴衆向けに安価にチケットを提供する演奏会を催していたようで、1981年以後の来日時にも必ず「青少年のためのコンサート」を設けていました。

 

   

 

一方で、当時の亭主共は「有名なピアニストの演奏が安く聴けてラッキー」という程度にしか受け取らず。彼以外にこのような取り組みをする著名演奏家も皆無という状況でした。今から思うに、招聘経費がかさむ海外演奏家の儲けを担保したい興行主にとって、このような廉価版の演奏会は(建前はともかくホンネでは)「はた迷惑」ぐらいの意識だったかも(?)。これに比べると、ポリーニの先見性は端倪すべからざるものがあると言えます。(彼の達見は誰にも共有されることなく、コトここに至っていることについては残念としか言いようがありませんが…)

 

今年はN響の前身である「新交響楽団」が1926年に創設されて100年の節目の年とかで、ホールのロビーには100周年記念イベントにちなんだ立て看板なども設置されていました。ふと、いまから50年後、あるいは100年後にN響がどうなっているのだろう、と想像を試みるも、やはりイメージが湧かないというのが正直なところです。