先週のニュースでは、天皇・皇后両陛下の訪問先である英国ロンドンやオックスフォードの映像が次々と流れ、その背景に国会議事堂やウェストミンスター寺院、あるいはオックスフォード大学といったおなじみの建築群が映っているのを目にした方も多かったと思われます。

 

ところで、亭主はこれら英国のモニュメンタルな建物が押し並べてゴシック建築風(ネオ・ゴシック建築とも呼ぶ)である理由を、恥ずかしながらつい最近まで知りませんでした。無知を糺すきっかけとなったのが、日本のサブカルチャーの歴史を取り上げた某テレビ番組。その中で、近頃の流行ファッションのひとつである「ゴシック・アンド・ロリータ」(通称「ゴスロリ」)ファッションが紹介され、その起源として18世紀後半の英国で始まったゴシック・リヴァイヴァル運動、さらにはその中心人物の一人だったホレス・ウォルポールが自身の小説「オトラント城綺談」の舞台に似せて改築した自邸ストロベリー・ヒル・ハウスに話が及んだことでした。

 

「ゴシック・リヴァイヴァル?、オトラント城綺談?、どっちも覚えがあるゾ!」とばかり、番組録画を見終わった後に本棚に直行、古い蔵書から引っ張り出してきたのがケネス・クラーク著「ゴシック・リヴァイヴァル」と上記小説の日本語訳でした(前者は1983年、後者は1979年の亭主による購入時サインがあるものの、内容に記憶なし…)。

 

 

ゴシック・リヴァイヴァル建築についてはウィキペディアにも比較的詳しい記事が出ていますので、手っ取り早く概要を知りたい読者はまずそちらを参照するのがよいでしょう。その冒頭にもあるように、これらは18世紀後半から19世紀にかけて興ったゴシック建築の復興運動の下で建てられたもので、この運動は英国をその発祥として18世紀後半にはフランス、ドイツに、その後イタリア、ロシア、アメリカに広がったものだとか。

 

冒頭に触れたロンドンやオックスフォードの建築も、19世紀のヴィクトリア女王時代に建てられたもので、まさに英国のゴシック・リヴァイヴァル運動を象徴する建築群と言えます。

 

(ちなみに、ゴシック建築の特徴を一言で言うなら「とんがりアーチ」と尖塔。ゴシック・アーチでは、支柱と支柱の間を渡るアーチ(梁)の形状が中央でとがっていて、先行するロマネスク建築あるいは後のルネサンス建築の半円アーチと好対照をなしています。さらに、建物全体も垂直的な線を強調し、最上部は数多くの尖塔で飾られています。)

 

とはいえ問題なのは、なぜそのような運動が盛り上がったのか、です。この週末にクラークの著作を斜め読みしたところでは、それはまず文学におけるロマン主義運動とともに始まりました(ウォルポールはその元祖)。

 

それ以前の芸術・文化が古代ギリシャ・ローマ時代の静的で端正な美しさを理想・規範とした(いわゆる古典主義)のに対し、18世紀後半にはダイナミックな自然や人間を行動へと促す感情のより直接的な表現を求められるとともに、古典主義より前の時代である中世以前を理想化して自分たちの表現の舞台とした、というわけです。(そのせいか、彼らが言う「ゴシック」という概念自体にはかなり曖昧な部分もあるようですが…)

 

では、なぜそのような「時代精神」が湧き上がったのか。以前にこのブログで「ベートーヴェンの時代精神」というお題で書いたように、ちょうど18世紀後半には英国で産業革命が起き、人々は「自然の中にある巨大なエネルギー」を発見しました。この新しい自然観は、人間自身もこのエネルギーの担い手である、という新たな人間観へと導きます。つまり、なりたい自分になるためのエネルギー、人を色々な束縛から解放するためのエネルギーであり、まさにロマン主義の中心にある人間観です。

 

18世紀末といえば、ドイツでは「疾風怒濤」とよばれる文学運動が盛んになった時代に対応しています。音楽もこれに呼応し、エマニュエル(CPE)・バッハもフリードリッヒ大王の宮廷でまさにロマン派の先駆けとなるような(疾風怒濤的な)音楽を作っていました。そして、そのような運動がハイドンからベートーヴェンへと引き継がれていったと見ることもできます。ロマン主義に伴うこのような歴史の遡り指向は19世紀も続き、例えばワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「指輪物語」連作の舞台もやはり中世以前の世界です。

 

ちなみに、英国では音楽方面での盛り上がりはなかった(?)ように見えますが、絵画では「ラファエル前派」運動(=イタリアの大画家ラファエル以前の画風を理想とする絵画表現の運動)がゴシック・リヴァイヴァルのひとつの現れと見なすことができます。

 

さらにこの運動を盛り上げたもう一つの要素として、19世紀を通しての近代的な国民国家(=ネイション)形成に伴うナショナリズムの増大があります。国民国家形成という状況下で表現の舞台をを中世以前に遡ることは、自国のルーツやその歴史的正当性・優越性を確認する作業でもあり、ゴシック建築などの建築物はその「目に見える」シンボルとして働くことになります。

 

ロマン主義運動が、国民国家の形成が遅れたイタリアやドイツ・ロシアで特に隆盛を見たことも、このような背景を思えばよくわかる気がします。(現状のロシアを見ると実にきな臭い匂いもしますが…)

 

以上をまとめると、ゴシック・リヴァイヴァルとは単なる懐古趣味ではなく、産業革命以降の近代化に伴うナショナリズムの一つの表れ、ということになります。

 

ところで、話を日本のゴスロリ・ファッションに戻すと、その「ゴシック」の部分はどうやらヴィクトリア女王時代の英国ファッションに由来するらしいとのこと。なるほど、と思う一方で、ナショナリズムとはどうやら無関係なところにやや安堵、といったところです。