1つ前の記事にも書いていますが
ここ数か月というか数年で
体に起こっている変化について
色々考えるようになりました。
 
 
私も今、48歳なので
気持ちばかりは若くいたけれど
体は確実に年を重ねている。
 
 
だから、これまでと同じような
生活がだんだんとできなくなることもあります。
 
 
この記事は、前・中・後編で構成していて
長く続くのですが
 
 
アラフォー以降の女性や
今、体に不調を感じている人に
ぜひ、読んでもらいたいと思って書きます。
 
 
興味のある方だけお読みいただけると嬉しいです。
 
 
少し前のことなんですが
ある朝起きて、頭を動かした瞬間
 
 
グラングランと経験したことのない
強烈なめまいに襲われました。
 
 
寝ぼけていたのかと
「え、何?何が起こっているの?」
と、瞬時に分からなかったくらい。
 
 
どうやら、めまいだな、と感じて
おさまるまでお布団にとどまることにしました。
 
 
でも、横になっているのに
目も閉じているのに
グラグラはまったく引きません。
 
 
この状態から1時間ほど
じっとしていましたが
どうにもおさまらないのでトイレに。
 
 
ところが歩いていると
クラッとしてしまい、倒れてしまいました。
 
これは「脳梗塞」の予兆かもしれない。
 
 
と、冷たい床にほっぺたを付けながら
冷静に考えつつ、じっとしていると
息子がやってきました。
この時、母は死んだと思ったという魂が抜ける
 
 
保険会社の医療サービスに連絡してもらい
相談したら「救急車を呼ぶように」とのことでした。
 
 
わが家の場合、救急車呼んでも
どこに搬送されるか分からないのは
いざというとき、息子が困るので
数時間後、息子を支えに歩いて病院へ行きました。
 
 
めまいというと
耳鼻科か、脳神経外科、脳神経内科などですよね。
 
 
私の場合は、耳鼻科に行くような
めまいの他の症状がなかったので
近所の脳神経外科を選びました。
 
 
つづく。
ちょっと前のことなんですが
道を歩いていてね、転んだんですよ。
 
 
横断歩道の信号が
赤に変わる前に渡り切りたいな
と思って、小走りになったのがいけなかったか
 
 
あ、転ぶ!
と思ったときにはもうどうにも支えきれず
転倒し、両手に擦過傷。
 
 
手袋していたのに、かなり
えぐれる出血がありました。
 
 
立とうと思っても
両膝が激痛で、立てないでいると
ちょうどそこにいた児童の見守りのおじいさんが
横断歩道の向こうまで
連れて行ってくれました。
ありがたいおねがい
 
 
でも、信号を渡り切りたかったほど
私は先を急いでおりまして
痛みをおしてなんとか駅へ向かいました。
 
 
まあ転ぶことなんか
人生で何度も経験していますから
それで大ごとになるとは、思いもせず
 
 
翌日に全身に痛みが出たときも
「運動不足による転倒後の筋肉痛?」

と思っていました。

 

 

が、転倒から3日目には

呼吸するのもつらいし、うつぶせにもなれないので

「あ、これはおかしいな」

と思って、病院に行ってみると

肋骨の奥の骨、骨折していました笑い泣き

 

 

でもね、肋骨のあたりの骨折って

日にち薬で治すしかないらしく
シップと鎮痛剤とサポーターをまいて
約ひと月ほどで治すそうです。
 
 
今は、もうひと月以上経っていて
おかげさまで、肋骨は治ったみたい。
 
 
ですが、ずっと膝が痛くて
少し前にレントゲン取ると
膝も、強打した方の炎症がひどいらしく
こっちが難治性のようです。
 
 
でね、実は他にも色々ありまして。
 
 
それはまたの記事にするんだけど
今、思うことは、起こったことに対して
一喜一憂するのを止めようってこと。
 
 
楽しいことがあったり
嬉しいことがあったら
喜びますよね。
 
 
でも反対に、イヤなことがあったり
ツラいことがあったり
憂鬱なことが続いたりすると
 
 
何で自分ばっかりこんな目に合うの?
なんて不幸なの?
 
 
とか、思ってしまいがちですよね。
 
 
だけど、自分の期待しないことが起きても
いつも自分の中で中庸の自分でいることが
すごく大事なんだと、感じられるようになりました。
 
 
中庸の自分とは、
自分の土台、軸がニュートラルな状態。
 
 
どっちにもブレない自分。
 
 
で、願わくばその中庸が
いつも、明るく、朗らかで、太陽のような笑顔の状態でありたい。
 
 
いいことがあってもなくても
この自分をキープすることは、凡人の私にはかんたんではない。
 
 
だけど、そうありたいなキラキラ
と思うこの数か月に自分が直面していることで
強く思うようになりました。
 
 
このブログにも何度か
書いてきていることなんだけど
できごとに対する意味づけは
正解はないんですよね。
 
 
つまり、いいように意味づけしても
悪いように意味づけしても
なかったことにしても、いい。
 
 
そして自分が意味づけした
その結果は、必ず
自分が責任をおうんです。
 
 
人の思考は未来を形成するし
その思考のエネルギー(波動)が
それにふさわしい未来を運ぶからです。
 
 
よく、周囲の環境や
周囲の人のせいに意味づけする人がいるけど
それだと、結果を自分で背負わない意味づけなので
 
 
人のせいにしたくなるようなことばかり
延々、自分にふりかかってくる未来が来る。
 
 
できごとは常にフラット(並行)なので
それなら、自分の欲しい未来のための
とらえ方にチェンジするのが得策ですよね?
 
 
私はたいてい何か起こったら
最初に思い浮かぶことを口にします。
 
 
それを自分の耳で聞いて
「この意味づけで大丈夫かな?」
と思うようなときは
ちょっとだけマシな考え方を探します。
 
 
それを何度か繰り返すうちに
かなりマシな考え方が出てくる。
 
 
そして、何が起こっても
「あー、よかった!こういうことのための学びだったんだ!」
と腑に落ちるまでやる。
 
そこまで到達するのに
すぐのこともあれば、時間のかかることもあります。
 
 
人によっては、紙に書くといい場合もあるよ。
 
 
誰かに聞いてもらいながら
修正したい人もいるかもね。
 
 
自分に合った方法で
意味づけを望む未来のために
チェンジする練習してみると
数か月後にどんどん現実が変わっていくかもしれませんねウインク