学部のひとつ先輩に「典子」さんという方がいました。
「のりこ」というのが本名ですが、皆からは親しみを込めて「てんこ」というあだ名で呼ばれた先輩。
こころ優しい人。
法学部という空間は情緒よりも法理を優先しがち。
法解釈、判例解釈に「優しさ」というものはときに邪魔だったりします。
しかしてんこさんはその「優しさ」を何より重んじてしまうので、ときに悲しい思いをしたようです。
てんこ先輩と一緒にある裁判を傍聴しました。
保育園の遊具での事故でお子さまを亡くされた方が起こした民事訴訟。
被告は監督すべき保育園だったかな。
皆さん、思い出していただきたいのですが、私たちが子どもの頃の遊具は危ないものばかりでした。
しかし、その遊具で怪我をしても、設置した自治体なりを相手に訴訟を起こしたりすることは稀でしたよね。
それでも時代が変わり始めて、私が法学部に入学した1990年代辺りから、遊具での事故についての訴訟がぼちぼち出始めます。
その先駆けのような事件で、てんこ先輩は原告の母親を支援していました。
判決が下される瞬間に私たちは立ち会ったのですが、この裁判は原告側の敗訴で呆気なく終了。
危険な遊具で子どもが亡くなっても、誰の責任も問われずに終わります。
てんこ先輩は落ち込んでいました。
私自身はことの大きさに気付かないまま。
いま、公園などのスペースには危険な遊具などありません。
この訴訟以降にも様々な事故の度に、被害者たちが声をあげ、ときに裁判に訴える流れが生まれます。
行政は訴訟リスクを抑えるために危険な遊具を徐々に撤去し始めて、今日に至ります。
てんこ先輩の原告支援の運動や、その心意気の意義の重さに当時の私たち法学部生は鈍感でした。
判例などを参考にすると、当時の原告不利の状況を私たちは「仕方ない」と解釈していたのです。
しかしいま、あのときのてんこ先輩は正しかったと私は歴史の前で跪きます。
なにが彼女をうちのめしたのか。
あまり事情は知らないのですが、てんこ先輩はどなたかと結婚なされて、大学を中退して故郷の広島に帰ります。
てんこ先輩の「優しさ」は当時の法学部の空間では頓挫したかもしれません。
しかし、彼女の底抜けの「優しさ」に少しだけ歴史は微笑んでくれたのかも。
いまや危険な遊具がひとつもない近所の公園などを眺めるとき、ぼんやりてんこ先輩の面影を思い返します。