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akaneの鑑賞記録

歌舞伎や演劇、映画、TVドラマなど鑑賞作品の覚書

 

 

 


1992年スティーヴ・マーティン主演の映画「奇跡を呼ぶ男」をもとに、音楽にはアラン・メンケン(『アラジン』『リトル・マーメイド』)、作詞にはグレン・スレイター(『塔の上のラプンツェル』『スクール・オブ・ロック』)など、ブロードウェイのトップクリエイターたちが参加し2010年にミュージカル化、ラウル・エスパルザ主演でブロードウェイにも進出した本作が待望の日本版初演。


<ストーリー>


伝道師 ジョナス・ナイチンゲール(竹内涼真)

 

 


彼が神の教えを説く伝道集会で見せる「奇跡」のショーに、人々は熱狂し、涙し、心を動かされていく。

しかし、それは真っ赤な嘘。

彼の正体は、妹サム(セントチヒロ・チッチ)

 

 

仲間のアイダ・メイ(マルシア)

 

 

アイダの娘・オルネラ(MARIA-E)

 

らと共に「奇跡」を演出し、献金を集めて各地を渡り歩く詐欺師だ。

そんなジョナス達一行の乗ったバスがカンザスの片田舎スウィートウォーターで故障し、立ち往生。ジョナスはそこでも集会を開き、金儲けしようと企む。
 

 


そこで出会ったのは、保安官のマーラ(真瀬はるか)。

 

 

彼らに疑いの目を持つマーラは、ジョナス達に立ち退きを迫る。そんなことはお構いなしにテントを立て説教を行うジョナスはインチキの数々で見る人たちを虜にしていく。



そんな中、マーラの一人息子であり足の不自由な少年ジェイク(小林佑玖)が声をかけてくる。


 

 


アイダ・メイの息子で聖書学校に通う青年 アイザイア(木原瑠生)も休暇で家族のもとに戻ってきたが、ジョナスたちのイカサマに嫌悪感を抱いている。



それぞれの想いが交錯する中、ジョナスの中で何かが変わり始める。

ウソを重ねてきた男は、果たして“本当の奇跡”を起こすことができるのか?。


 

 

 




4/24、東京公演最終日に行ってきました!


ブリリアホールは初めてだったのですが、10列以内のど真ん中という神席だったので、肉眼でもしっかり見られました!!
 

 

この日のキャストはこちら。



 


アラン・メンケンによる楽曲は、溌剌としてテンポも良かったのですが、一度聞いただけで耳に残るという程の曲はありませんでした。
ただ感心したのは、訳詞が綺麗にハマっていたこと。
翻訳モノ特有の字余り感がなく、スムーズに日本語の曲のように歌われていたのが印象に残りました。

 





竹内君は、顔が小さく手足は長く、圧倒的なスタイル!


ダンスやスポーツで鍛えた体の線も美しく、動きもダイナミックでした。
いかにも調子がよさそうで信用できないクズっぽさがあるのに、苦労して育ってきた過去がにじみ出るナイーブさで人の心の隙間に入り込んでくるジェイク。

チャラチャラしているような雰囲気があっても、根は真面目で熱血という竹内君のキャラにも合っていましたし、ナチュラルなお芝居がジョナス・ナイチンゲールに説得力を持たせていたと思います。




前々から歌が巧いことは知っていましたし、音程や感情を込めた歌唱も十分。
ただ、この歌い方じゃ喉を壊すな…と。
実際、4/16は声が出なくなって急遽休演となってしまったので、当日もちゃんと上演されるか、ちょっとヒヤヒヤでした。
高音はやはり苦しそうで、それでもなんとか力技でやり遂げた感はありました。
ミュージカルは5年ぶり、まだ2度目ですし、これだけ立て続けに忙しいスケジュールのなか、よく頑張ったと思います。
素質はあるので、ヴォイストレーニングを本格的にやれば、もっと楽に歌えるようになるでしょう。




その分をカバーするように、周りの出演者がみな、素晴らしかったです。

特にアイダ役のマルシアさん、その娘オルネラ役のMARIA-Eさん。そして保安官・マーラ役の真瀬はるかさん。
アイザイア役の木原さんも巧かったですね。

目一杯の声量で迫力のある歌い方をしても、全然無理をしていない、喉に余計な力が入っていないので、聞いている方もスーーーっと声が体に入ってきます。
そして声に透明感があって(濁っていない)、活舌がとても良いので、歌詞がつぶれずとてもクリアに聞こえるんです。





楽しい舞台であることには間違いないんですが、ストーリー的には入り込めないところがいくつかありました。


まず、敵対している保安官のマーラが、早々にジョナスと寝ちゃうところ。
ジョナスの人たらしなところを描きたかったのかな?
それで味方になるのかと思いきや、その後もジョナスを逮捕したり息子の件で対立したり、なんだかキャラ一貫していないように感じました。
好意を持っていながらも、正義感や息子への思いからずっと素直になれず、最後の最後で心が通じ合う方が自然では?

 


ジョナスの過去も結構曖昧です。
幼くして両親を亡くして妹のサムと苦労し、危ない橋を渡る今の職業に行きついたんだろうなというのは想像できますが、あまり深味がないんですね。

だから根本的な彼のポリシーや、なぜジェイクにだけ心を動かされたのかというのが、ちょっと理解しにくかったです。自分の生い立ちや心情が、ジェイクと重なるようなエピソードなどが欲しかったかも。



アイダと娘のオルネラはジョナスと行動を共にしていて、息子のアイザイアは真っ当な聖職者なので2人と対立しているのですが(父親も立派な伝道者だった)、そのいきさつも良く分かりませんし、それ以外の仲間(エンジェルたち)のバックグラウンドは、全く語られません。

 


ラスト、車椅子のジェイクに奇跡が起こったのは、身体的なことより心理的な枷(自分のせいで事故が起き、父親を死なせてしまったという罪の意識)が原因で、ジョナスとの交流によりそれが解き放たれたからだと思ったのですが---
それが継続するわけではなく、その夜一瞬だけだったのも、なんとなく良くわかりませんでした。



ちょっとしたエピソードに少しずつ繋がりがあって、それが一本にまとまっていくようなストーリー展開だともっと感情移入できたのにと思ったのですが、本来は、そういう人物像を掘り下げたり感情に寄り添うというより、客席と一体となって一緒に歌ったり立ち上がって踊ったりするような作品なのかもしれませんね。





クワイア、伝道、となるとどうしても「天使にラブソングを」を思い浮かべてしまいます。

原作の映画も白人男性が主人公のようですが、ミュージカルという形態になった場合、ゴスペル調の歌を日本で歌う難しさも感じました。

演者の問題ではなく、客席との交流という意味で。



この公演でも

 

 

と同様に、ペンライトを振って楽しめる観客参加型の演出を取り入れていましたが、あんまり効果がないんですよね。

「はい!ここでライトを付けてください!」と言われて2~3回ライトを付けましたけど、それだけですからね~。
物販としては、販売数が見込めるのかもしれませんが、購入しても大して盛り上がらず、購入しないとなんとなく申し訳ないような気持ちになるのはいかがなものか。




正直、大きな感動に包まれた!というほどではなかったですが、希望に満ちたキャストの熱演には拍手!

竹内君、ラストの感動的なシーンでは本気で涙を流していました。東京公演の千秋楽、ということで、感情が高ぶったのかもしれません。




この作品のテーマ
「神の奇跡を信じる」

とはどういうことなのか。
 


日本人的に「神」と言われてしまうとちょっと距離感があるんですけど、そもそも宗教と詐欺の区別、難しいですよね。
それこそ「信じる者は救われる」ですから。
江戸時代には「信じれば極楽浄土に行ける」というふれこみで辻説法や念仏踊りなどが流行りましたし、今も新興宗教のトラブルで家族が崩壊するといったケースもあります。

もっと広く解釈すれば、現在はSNSの情報に翻弄される日々。
通販などはモノの良し悪し以前に、自分が信じたものに金銭を払うシステムです。

押し活だって、客観的にみれば無意味なものにハマってお金を積んでいる状態ですけれど、本人はそれで幸せを感じ、生きがいとなっていればそれは救いとも言えます。


ただ、どれも度を超すと生活にも影響を及ぼしてしまいますので、ほどほどに!ですね。