ザリガニの鳴くところ | akaneの鑑賞記録

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全世界で累計1500万部を売り上げたディーリア・オーエンズの同名ミステリー小説を映画化。

ノースカロライナ州の湿地帯で、将来有望な金持ちの青年が変死体となって発見された。犯人として疑われたのは、「ザリガニが鳴く」と言われる湿地帯で育った無垢な少女カイア。彼女は6歳の時に両親に捨てられて以来、学校へも通わずに湿地の自然から生きる術を学び、たった1人で生き抜いてきた。そんなカイアの世界に迷い込んだ心優しい青年との出会いが、彼女の運命を大きく変えることになる。カイアは法廷で、自身の半生について語り始める。
 

 

 



もう、かなりの周回遅れ!
そろそろ記憶も薄れているのですが、頑張って思い出しつつ書いています。



カイアの一家は、湿地の奥深くで暮らしていました。
父と母、2人の姉と兄、そしてカイア。
しかし父親はDVが酷く、心身の限界となった母親は家を出て行ってしまいました。
続いて姉、兄も出ていき、6歳のカイアは父親と2人残されます。
暴力に怯え、父親と距離をおいて過ごしていたカイアですが、ある日父親もいなくなり、一人ぼっちになってしまいました。

 

 

彼女を気にかけてくれたのは、いつも通っていた小さな商店の黒人夫婦だけ。
いよいよ食料も底をつき、彼女が思いついたのは「ムール貝を獲ってお店で買い取ってもらう」ことでした。

 

 

 

 

その仕事により幾ばくかのお金を得て、食糧や移動に必須となる船のガソリンなどを調達し、カイアはたくましく生きていきます。

 


勧められて町に行き、学校に行ってみましたが、汚らしい身なりで読み書きのできないカイアはさっそく笑い者となり、それ以来、一切学校には近付きませんでした。

 

 

 

 

 


そうやってたった1人、ティーンエイジャーに育ったカイアのもとに、昔から顔なじみだったテイトが現われます。
彼はカイアに読み書きを教え、カイアは絵の才能を開花させます。

 

 

 

 

 

当然、二人は恋に落ちますが、テイトは進学のためにこの地を離れると言うのです。
湿地の植物や動物などを書き溜めた作品を出版するべきだと、いくつか出版社のリストを渡し、「必ず戻ってくるから!」と約束しましたが、その日以来、テイトは帰ってきませんでした。
 

 

 

 


数年後、町の有力者の息子チェイスが近寄ってきます。

 

 

1人が寂しかったカイアは、彼と付き合い始めますが、チェイスにとって彼女は征服しがいのある“獲物”でしかありません。

彼なりにカイアを愛していたのかもしれませんが、チェイスの束縛や暴力は、カイアにとって「父親」を思い出す不快な、恐怖そのものでした。

 


 

 


そんなある日、湿地帯でチェイスの死体が発見されます。

 

 

犯人として疑われたのは湿地帯で育ったカイア。
警察も含め、町中の人が無力な彼女を疑い、犯人に仕立てようとするなか、擁護に立ち上がったのは、すでに引退した弁護士(デビッド・ストラザーン)だけでした。






映画はチェイスの変死体が見つかったところから始まり、カイアの逮捕、弁護士との会話、という形で進みます。

 



まずは、湿地帯で孤独に生き抜いてきたカイアの壮絶な生い立ちが明らかになり、2人の青年とのラブストーリーがあり、彼女に対する人々の偏見、差別が浮き彫りにされ、事故か他殺かをめぐる法的劇となります。

このように様々な側面を多角的に描いていくストーリーには無理がなく、とても分かりやすい流れでした。



感情豊かでありながら手の内を見せないエドガー・ジョーンズの演技は表情も豊かで素晴らしく、

 

 

 

 

 

デビッド・ストラザーンの厚みのある演技も非常に効いているし、湿地帯の自然の姿

 

 

 

 

カイアの部屋や、彼女が描く植物や動物のイラストの美しさも素晴らしかったです。

 

 

 

 


「ザリガニの鳴くところ」とは、「茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きてる場所」なのだそうです。


ザリガニの鳴き声が聞こえるぐらい静まり返った湿地の奥で、人間などいないところ。
物理的に「奥地」ではなく「人間の入る余地のない場所」ってことかなと思いました。





一番最初に母親が思いつめて家を出て行ったのは、まぁ仕方ないとしても、姉も兄も一番年下のカイヤを置いて出ていくってところはちょっと共感できなかったです。
自分たちは当てがあって出て行ったの?
連れて行ったら足手まといになるかもしれないけど、6歳の子供を置いていくなんて…と思っちゃって。




衝撃の結末!
というのが売りでしたが、想定通りです。
だって絶対事故死じゃないもんね。
二人のうちどちらか、または二人で、の二択かな?と思ってみていました。




「自然の世界に善悪はない、ただ生きる知恵があるだけ」というセリフが象徴的です。
カイヤの人生を振り返れば「生きる」ための防衛反応であり、殺人という概念も、差別や偏見も、人間特有の「善悪」の尺度でしかありません。

「捕食」という言葉がすごく効いてました。

 


そういえば、諸悪の根源である父親も、なんとなく退場してしまいましたが、これも「ザリガニの鳴くところ」へ行っちゃいましたかね?
チェイスと同じくDV野郎だったし、お年頃になるにつれて、一緒に暮らしていたら別の意味で彼女はさらに危険になるのがミエミエです。

その前例があるから、チェイスのことも許せなくて行動に及んだように思いました。





裁判中、彼女はほとんど話さず、殺害についても一切言及しません。
時代も時代だし、綿密な捜査や証拠の検証というよりは、陪審員の心象に訴える法的劇であり、この辺りは、偏見、差別の問題がメインになってきます。

 

 


ただ、子供のころは本当に身なりも汚く、裸足で町に出てくるような状態だったから、相当な偏見で見られただろうけれど、成長してからは、とっても美人で小綺麗でおしゃれにしているから、そんなに忌み嫌われる存在なの?って思ったりもして。
事実、若い男性からはアプローチを受けているから。

そういう点では「男を惑わす悪女」「魔女狩り」みたいな印象もあるのかな?


テイトが「町を出ていく」ことになり、そのまま戻ってこなかったのもちょっと唐突でしたね。
毎月戻ってきていたのが、3か月に1度、半年に1度、年に1度になり、そのうち音沙汰なしになった、ぐらいが普通じゃない?
どれだけ都会が楽しかったのか知らんけど、1か月後に帰るという約束も反故にして、何年も帰ってこないってひどすぎますよね(笑)





テイラー・スウィフトが志願して書き下ろしたというエンディングの曲はすっごく良かった!!
なんとなくじと~~っとしていて、映画のテーマ性を非常によく表しているし、歌詞も意味深でゾクッとしました!