弘治元年のある夏の日、その思いを肥後守は義龍に告げた。

「お館様、山城守はお館様を廃嫡しようという腹積もりですぞ」

義龍は肥後守にこう言われるまで、そんな事は考えてもいなかったのだ。確かに父・道三とは少し反りの合わないところもあったが、道三は自分を認めて家督を譲ってくれたと信じていた。

「何のことだ?」

「山城守様にとってはお館様より血を分けた孫四郎様の方がお可愛いのですよ。それも道理でしょう」

「何を言っているのか全く意味が分からん」

人の口に戸は立てられぬとは言っても、義龍が頼芸の子であるかもしれないという噂を義龍自身の耳に入れる者はこれまでいなかった。いや、壁に耳ありとは言うから義龍の耳にも入っていたかもしれぬが、そのような事があるはずはないと義龍は自分に言い聞かせていたやも知れぬ。

「まだご存知あそばせなんだか…これはなんと不憫な事で…」

と、肥後守は大仰なそ振りをする、義龍はいぶかし気な顔を向けて肥後守の次の言葉を待った。

「実は…お館様は山城守様の御子(おんこ)ではござらぬのです」

「は?」

「あなた様は前(さき)の守護であられた土岐頼芸公様のお種でできたお子にございます。勿論、この事は山城守様もご存知のことであります」

この言葉に義龍は顔を顰めた。

「たわけた事を申すな!そのような戯言を申すとは容赦せぬぞ!」

そう言って義龍は刀を振りかざした。義龍の激昂ぶりに肥後守は腰を抜かした。義龍にとってはこの言葉は誰からも言われたくない、絶対に認めたくない事だったのだ。義龍の怒りを目の当たりにして元来、小心者の肥後守はそれ以上、言葉を発することはできなかったが、このままでは単なる流言飛語を耳に入れた事になる。それでは自分の立場が危ういと思ったのであろう。

「そ、それならば義理の叔父君である長井隼人正(ながいはやとのしょう)様にお聞きになさるが良い。あの方ならよくご存じなのですから…」

そう言って肥後守は逃げるようにその場からアタフタと出て行った。もしこの者がいなければ、父はあんな最期を遂げる事はなかったのではないかと私は今でも思っている。義龍兄様も、噂を耳にしてもしやと思う事はあっても誰も直接は言ってこなかったから、自分の中でもただの噂として心に留めていたに過ぎなかった。だがこうして実際、面と向かって言われてしまったらもうこれを確かめないではいられなくなった。

 

 

〈参什陸へ続く〉

※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。

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