弐什壱 | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

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「わー、参った参った。確かに大将の嫁だわ、そんなムチャクチャな女子ここらにはおらん」

「しっかし、そんな恰好で出てくる姫は初めて見た」

その言葉を機にみんなが一斉に笑い、私は気をそがれて刀を降ろした。

 しかしこの信長という男、どうにも聞いていたようなウツケとは違う気がしてきた。虚ろな目をしてヨダレを垂らして歩く惚け者の類とはまるで違う。そしてその日から私は度々信長に連れられて町を一緒に走りまわった。尾張でこのような生活ができるなんて思ってもみなかった。

(なんと楽しい事よ)

こんな自由な日々が待っているなんて、と、この時の私はまだまだ浮かれていた。それに妻を娶ったとはいえ、城内でも城外でもそれまでと変わらず遊び回る信長に興味を持った。ウツケ者だとか知れものだとか言われているが、そうではない。ただのウツケが小姓や乱暴な百姓の若者を連れて餓鬼大将のごとく暴れ回ったり出来ようはずがない、阿呆には誰もついてはいかぬ。それに信長の目はいつも何か面白い事はないかと目をギラギラさせて何かを探している感じだ。どうせならもっともっと思いっきり暴れさせてみたら面白いのではないか、そんな思いが私の頭をよぎった。父は信長が本物のウツケならその喉元掻っ切って帰ってくれば良しとは言っていた。多分噂のウツケ者の所に嫁ぐ私をそれなりに案じていたのであろう。その心配はいらぬことである旨をとりあえず私はしたためた。

 

〈信長殿は確かにウツケ者候。なれどただのウツケ者とは違い候。武術を好み、人を観察し城内・城外を駆け回り守役の爺(じい)のことなどどこ吹く風と聞き流すウツケ者ござ候。なれど姫はこのウツケ者が大層気に入りまして候なればご心配ご無用に存じ上げ候。

             父上様参る             胡蝶〉

 

 守役の政秀は信長の良き味方であり、心底信長を心配していたが信長が何を考えているのかは全く分からない人間でもあった。彼は真面目で頑固で目に見えるモノが全てという一辺倒なのである。信長自身、政秀が自身の事を心底案じてくれているのは分かっているようではあるが、理解されぬことにジレンマも抱いていたと思う。信長という人間はこの頃からすでに心の内を人に見せぬお人だったのだ。

「若殿、少しは考えられませ。あなた様はやがては大殿の後を継がれる御身の上。奥方様もお迎えあそばしたと言うのに、ちと行いをお慎み下さりませ。下々の者が若殿の事を何と申しているかそのお耳にも入っておりましょうぞ」

「フン、くそ面白くもない事を申すな。じいの諫言(かんげん)は聞き飽きた」

そう言うと信長は刀を持って外に飛び出す。すると政秀は今度は私の前に進み出て

「奥方様。あなた様はご正室にありますぞ。あなた様が付いていながら若殿にご忠告のひとつもなさらないで一緒にふざけていなさるとは何事ですか。政秀は呆れ申しております」

という小言がこちらに始まる。

「これからはこの政秀を呆れさせないようにして頂かねばなりませぬぞ」

あーつまらぬ。放っておけばいいものを。そんな大袈裟な物でもあるまいに。家来や領民に迷惑をかけているわけではない。馬に乗り、弓を射り、林の大木を切り倒し、川で魚を獲ったりしているだけだ。館の中では庭木を切りつけたり、手水鉢(ちょうずばち)を押し倒し、小姓たちと木刀で本気で殴り合い、たまに女中を投げ飛ばすぐらいだ。私も投げ飛ばされる事がある。その時はすぐに立ち上がり嚙みついてやるが…多分こんなの大した事ではない、はずだ…などと考えている間にも政秀の小言は続いている。私が返事をしないでいると政秀は深いため息をつく。

「やれやれ、まさかこんな似た者夫婦になるとは…」

と、独り言のように呟いてやっと政秀は腰を上げる。

 

〈弐什弐へ続く〉

※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。

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