二.
日本に帰って学校は近くの公立高校に通う事になった。寧々は父にどこか希望の高校はあるかと聞かれたが日本の高校の事は何処が良いとか全く分からない。取り敢えず近くが良いという事で最寄りの高校に編入した。特に可もなく不可もなくといった高校だったが学校自体には殆ど興味がなかった。兎に角山下岳の事を知りたいという思いが勝っていたので他の事に考えは及ばなかった。
あのニュースで流れたあの男の顔は間違いなくあの時の赤鬼だという確信はあった。十年近い歳月が流れている、見たのはたった一度、それも七歳という幼い年齢だった。風貌も変化していた、それでもニュースで一目見た瞬間にあの男だと思ったのだ。記憶が定かである方が不思議な事かも知れない、なのに寧々は間違いないと思った。この十年、寧々は何度あの赤鬼が出てくる夢に魘されたか知れない。そしてその度にあの時見た母と妹の姿がはっきりと思い起こされる。それと同時に犯人の手掛かりを隠してしまった事実も。寧々の心の奥にはずっと燻ぶり続けていた思いがあった、いつかあの男を見つけてこの手で殺してやる、母と妹の仇をこの手で必ず果たす、それが隠してしまった事への唯一の懺悔のように思えた。その思いは日毎に増した。だからあの時の赤鬼も顔は決して忘れてはいけないという思いがあった。自分で書いた似顔絵もずっと隠し持っていた。その男が殺された、思いをこの手で叶える事が出来なくなった。きっと他にも誰かに恨まれるような事をしていたのだ、悔しさと誰に、どういう理由で殺されたのかが気になった。そしてその殺した人間をどこか同志の様に感じだ。
寧々は取り敢えずインターネットで山下岳の事を調べた。あの男の事を知りたいというより、あの男の言った言葉の真意をどうしても知りたい、関わりたくないという思いよりその思いが勝った。検索してみると彼がコーチをしていたという少年サッカーチームの名は直ぐに出てきた。今のところあの男に関する手掛かりはそれしかない。寧々はそのチームの試合や練習を何度か見に行った。誰かあの男が所属していた頃の事を知っている者がいないかと探した。山下岳がこのサッカーチームにいたのは平成十一年から平成十八年迄だという事が分かった。という事はあの事件のあった頃は既にコーチをしていたのだ。何度目かに練習を見に行った時に寧々と同年代の少年を見つけた、周りにいた者にそれとなく聞いてみると彼は寧々と同じ年で昔、このサッカーチームにいたという事が分かった。名を大谷優斗といって、当時ゴールキーパーをしていたという事まで分かった。彼は時々このチームに来て指導をしているらしい。同じ年という事は山下岳がコーチをしていた頃にチームにいたという事だ。
「ねえ、君」
寧々は練習が終わった大谷優斗を待ち受けて声を掛けた。まどろっこしい事は苦手だ。直接聞くのが一番早いと思った。優斗はキョロキョロと辺りを見回す。
「大谷優斗君」
見知らぬ女の子に声を掛けられて優斗は不思議そうな顔で寧々を見返す。
「君、誰?」
結構威圧感がある。身長は百八十センチくらいだろうか、体格も良い。四角い顔は実年齢より上に見える。パッと見ただけだと大学生と間違えそうだ。
「私、紫園寧々」
「しおん、ねね?って誰?どこかで会った事ある?」
「ううん、今日が初対面」
寧々の言葉に優斗は増々不思議そうな顔をする。
「私ね、あなたのファン」
「ファン、俺の?」
一瞬、驚いた顔をした優斗だがちょっとニヤ付く。
「なんて、嘘だけど」
その言葉に優斗は今度はあからさまにムッとする。
「ごめん、ちょっと聞きたい事があって」
「何?」
少し不貞腐れた感じに優斗は聞き返す。
「去年、殺された山下岳って男の事」
寧々の言葉に優斗は増々嫌な顔をした。
「あの男、昔このチームのコーチをしていたのでしょう」
「なんで、そんな事を聞きたいの?」
「ちょっとあの男のせいで酷い目にあった人がいて、今迄何していたのか知りたくて」
「酷い目って?」
「それはちょっと…言えないんだけど」
「ふーん、ま、良いけど。で、何が知りたいの?」
「えっと、どんな人だったかとか」
「どんな人って聞かれてもコーチとしてのあの人しか知らないし」
「どんなコーチだったの?」
「普通、でも男前だったからお母さん達には人気あったよ」
「へえ~」
ちょっと意外な気がした。
「なんでコーチ辞めたの?他からの引き抜きとか?」
「全然、表向きはコーチの一身上の都合って事になっていたけれど選手のお母さんと問題起こしたんだよ。人気あった事が逆に仇になったのかな、父兄達が怒って騒ぎ立てたから、いられなくなったってのが本当」
「問題って、不倫とか」
「ま、そういう事」
「それでどうなったの?」
「…どうって知らないよ、辞めたんだから」
少し間をあけたその返答に何か知っていると感じだ。
「何か知っているんでしょう、お願い、教えて」
「なんで?あいつはもう死んだんだしどうだって良いじゃない。しかも普通の死に方じゃない、その酷い目に合わされた人だって溜飲は下がっただろう」
「ずうっと、探していたのよ」
寧々は目を見据えてそう答えた。
「その、酷い目にあった人が。何も出来ないまま終わってしまった。例え死んでも悔いは残る。せめてあいつがどんな人生を送ったのか、知りたい」
もし、あの男が本当に自分の父親だったとしたら、それを知らずには済まされない。あんな男の血が流れているなどとは絶対に思いたくはない。でももしかしたらその事を外(ほか)でも喋っていたのではないか、そんな不安も拭い去れない。
「君…」
優斗は寧々の目を真っ直ぐに見返して大きく息を吐いた。
「…分かったよ。俺が分かっている事なら応えるよ」
優斗はもしかしたらその酷い目に合った人物が寧々自身であるという事を感じ取ったのかも知れない。
「その男はコーチを辞めてどうしたの?」
「本当にあんまり詳しくは知らないんだけど、あの後、離婚したとは聞いた」
「結婚していたの?奥さんとか子供は?」
子供がいたのなら寧々とは腹違いの兄弟になるかも知れない、否、そうではない。あんな男は寧々とは無関係だ。寧々は思った事をすぐさま打ち消す。
「そっちの方は全然知らない。子供もいたのかどうか、噂でいるって聞いた事もあるような気はするけど、コーチから直接それらしき話は聞いた事なかったし。同じ町に住んでいたわけでもなかったしね、あんまり家庭の臭いはさせない人だったかな。だから子供のお母さん達にも人気があったのかも、そういうの心得ていた感じ。でも…」
「でも?」
「何て言うのかな、ちょっと怖い感じがする時はあった」
「怖いって?」
「拘りが強いって言うか、執着心が強いっていうのかな」
「例えば?」