隠微-28 | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

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「何が可笑しい?」

刑事が険しい目で瞳子を見る。

「いえ、別に。ちょっと思い出していただけです」

「何を?」

「大した事ないです」

こんな状況で笑える事に刑事は違和感を抱く。母親が言っていたようにどこか普通でない物を感じる。下村瞳子が捜査線上に浮上した時には彼女の身辺で聞き込みもした。多くの社員は瞳子の事を特に変わったところもない普通の人間だと言っていた。ただ、一人だけ妙な事を言った同僚がいた。卜部励二という人物である。励二は瞳子と同期入社である。同期だから顔を合わせればそれなりに話もする。だが瞳子の会話はどこか変だったという。まるで行動を見張られているかのように感じる事があったと。ある時、休日に出掛けて偶然、瞳子と会った事があった。同期だし、話の流れで普通にお茶を飲みに行った。

「こんな風に会うなんてすっごい偶然、なんだか運命的ね」

「そうだね」

そう言われて励二も頷いた。単なる軽い会話の延長のつもりだった。そんな事が二度ほどあった。

「やっぱり」

二度目に会った時、瞳子はそう言って微笑んだ。

「何?」

励二がそう尋ねると瞳子はただ笑った。よく分からなかったが特に深い意味もないだろうとそれ以上聞きもしなかった。瞳子はただの同期に過ぎない。それ以上でもそれ以下でもない、特別な感情は何もない。ただ、それを会社の人間に見られて付き合っているのかと勘繰られた事があった。そんな変な噂が立っては彼女にも迷惑だろうと思って完全否定した後で、ただの偶然だが誤解する奴もいるから外で会った事はあまり言わない方が良いね、と瞳子に言った。

「誤解だなんて」

瞳子はそう答えた後、頷いた。

「でもあなたがそう言うならそれで良いわよ」

なんか妙な言い方だと思ったが深くは考えなかった。だがそれから瞳子の態度に奇妙な変化を感じるようになった。例えば、休日に一人でどこかへ出かける、すると翌日に昨日は楽しかったねと声を掛けられる事がある。何の事かと思って尋ねると前日、励二が出掛けたところに瞳子もいたらしい。声を掛けて来なかったのはこの前、あんな事を言ったからなのかと思った。まあ、彼女も変な誤解をされたくないという事なのだろうと理解した。ただ、そんな事が何度かあって少し気味悪く感じた。でも会社で見る彼女は至って普通で何も不自然なところは無い。言動が少し変だと思うのは励二の気のせいかもとも思った。でも日に日に纏わりつくような瞳子の視線が怖いと感じる事もあった。彼女と同じ課の人間にそれとなく瞳子の事を聞いた事もあったが誰も彼女の事を変だと思っている人間はいないようであった。やはり、気のせいか。そう思ってなるべく普通に接するようにはしていた。それに特別害が生じているわけでもないので出来るだけ関わらないよう放置していた。だが最近になって励二には交際をしようと思っている女性が出来た。その前に瞳子のあの不自然な言動の事をはっきりさせたいと思い、きちんと話をしようと思った矢先、刑事の訪問を受けた。瞳子の同級生が不審死をしたと。聞けば高校の時も同級生が瞳子の目の前で亡くなっているとの事だった。

「本当に、よく分からない人物です。なんだか色んな事が勝手に作り上げられているみたいな変な感じがしました。まあ、実際にそれで何があったというわけでもないんですが…でも、ちゃんと話をしようと思っていましたがやめます。刑事さんの話を聞いて、もう関わらない方が良いという事を痛感しました。彼女の周りで人が二人も死んでいるなんて…」

卜部励二は瞳子の事を語った後、そう言って頭を下げて帰った。

 やはり、瞳子の事をどこかおかしいと感じている人間は少なからずいるのだ。それが際立っているわけでもない分、見極めも難しいのかも知れない。だがそんな事も言っていられない、もし瞳子が溝内佳苗を屋上から突き落としたのだとしたらこれは殺人事件だ。瞳子の頭の中からその事実が搔き消されていても思い出させなければいけない。

「君は本当に何もしていないの?君の記憶の中に溝内佳苗さんを突き落とした記憶はないの」

「ありません」

そう答えた瞳子の頭の中に佳苗が落ちて行く方向に手を伸ばした自分の姿が浮かんだ。

(ん?)

今のは何だろう。何もしていない筈なのに。瞳子は瞳を閉じてじっと考える。佳苗に呼び出されて学校に入って行った時の事、裏門は空いていた。屋上に着くと佳苗はそこから和喜の落ちた方向を見ていた。瞳子が屋上に姿を現すと佳苗はゆっくりと振り返った。そうして話し出した。そう、瞳子が頭の中に封じ込めていた記憶を呼び覚ましたのだ。

(ああ、そうか)

だから邪魔だなと感じたのだ。要らない記憶を引き出そうとする邪魔な存在。頭の中で想像した、佳苗が落ちていく様を。思いっきり佳苗を突き飛ばす自身の姿を。そうなれば良いと願ったから。だがそれはあくまで想像である、実際にそうしたわけではない。

(駄目ね、私)

変な想像をするから頭の中がゴッチャになってしまうのだ。何もしていないのに殺人犯などにされては叶わない。

「忘れているのじゃないの?」

刑事の質問に瞳子は落ち着いた口調で答える。

「刑事さん、私は何も忘れてはいませんよ。ただ、必要な事とそうで無い事を仕分けしているだけです。信じたい事を真実だと思うようにしているだけです。だって、世の中ってそうでなくても自分の思う様になんてならないんですから。少しでも心が軽くなるように努力しているだけです。誰だってそうするでしょう。嫌な事は早く忘れたいって、そう思うでしょう」

そう言って瞳子は笑みを浮かべる。