「それってゲーテの実体験を物語にしたって話だけどね、まあゲーテは自殺はしていないけど友人の婚約者に恋をして叶わぬ思いに自殺まで考えた事もあるそうだ、そして知人が人妻に恋をして実際にピストル自殺をしてしまった事から自分の失恋と知人の自殺を組み合わせて出来た物語がこの『若きウェルテルの悩み』だそうだよ。この本が出てウェルテルを真似て自殺する人間が多数出たとか言う話だしね。ここから著名人の自殺によって引き起こされる自殺の連鎖をウェルテル効果とも言われているそうだけど効果ってのはなんか変だね。だってこれって悪い連鎖だから」
「そうですね、でもそれって伯母もその影響を受けてしまったと言う事でしょうか、だから自殺なんて…」
「うーん、でもそれはちょっと理屈に合わない」
「どうしてですか?」
「だって、伯母さんと君のお父さんは婚約していたのだろう。叶わぬ恋ではないじゃないか。それとも伯母さんには他に好きな人でもいたのかな。もしかしてその人とは道ならぬ恋とかで諦める為にお父さんと婚約した、でもやっぱり諦め切れずとか」
「まさか…」
「無いと言い切れる?」
「それは分からないけれど…でもお父さんは伯母さんに会ったとき一目で恋に落ちたって、そして伯母さんも同じだったって」
「お父さんは自分が恋に落ちて真実が見えていなかったのかもしれない」
「そんな事…」
それでは父が可愛そうな気がする。それに二人が両思いになって自分の気持ちに蓋をして父への恋心を封印してしまった母も可愛そうだ。
「まあ、これはただの仮説だから。色んな風に考えられるってことだよ。お母さんとお父さんは当時どんな感じだったか聞いた?」
「元々は母のほうが父の知り合いで、多分母はずっと父に恋をしていたんだと思います。父も薄々は気づいていたけど伯母に会って恋をしてその事には気づいていない振りをした。実際、父の中では母は妹のような存在だったのだと思います。母も二人の気持ちを知って父の事を兄のようだと言っていたらしいです」
「そうなんだ。で、そのアルバム、俺も見て良い?」
「あ、はい。そのつもりで持ってきました。多分それが一番新しいって言うか亡くなる前までの写真だと思います」
美春の言葉を聞きながら桂木はアルバムを自分の方へ引き寄せると一枚一枚ゆっくりと捲った。
「…綺麗な人だね」
「はい」
そこに写っている伯母の写真は多分二十代以降の物だろうが本当に綺麗だと思った。亡くなったのは二十代後半だったのだろう。伯母が小学校へ上がる年に母が生まれたと言う事は母と伯母は七歳離れている事になる。当時母が二十歳だったのなら伯母はもうその時二十七になっていたはずである。それでも横に並んでいる母とそれほど歳の開きがあるようには見えない。
「久遠さんに似ているね、君がこのくらいの歳になったらこんな風になるのかな」
「え、あ、そんな…」
美しい伯母に似ていると言われて少し恥ずかしくなる。自分では全然似ているようには思えないのであるが。
「ねえ、これどこにあったの?」
「あ、うちの屋根裏部屋です。物置代わりに使っていて、でもその存在自体ずっと忘れていたんですけど。子供の頃入っているの見つかって酷く叱られて、それから入らなくなっていたので」
「へえ、そうなんだ。他にも何かあった?」
「あ、ええ。お洋服とか色々、でもこれって言うのはあんまり見つけられなかったんですけど。でもまだじっくり見ていないから探せば何かあるかも」
「ねえ、そこ、俺も行って良い?」
「え?」
どういう事なのだろうと思いを巡らせる。
「俺もって…あの屋根裏部屋にですか?」
それは桂木が美春の家に来るという事なのか。
「勿論、そうだよ」
桂木がうちに来る、あの屋根裏部屋で桂木と二人だけで――。そう考えるだけで心臓の動きが早くなるのを感じる。
「そ、それは…」
「駄目?なの」
「あ、いえ、そう言うわけじゃ…」
桂木に顔を覗き込まれるように見られて動機が激しくなるのを感じる。桂木がうちに――頭の中が真っ白になる。
「じゃ、良い?」
「あ、は、はい」
無意識に頷いてしまう。頭の中ではあの屋根裏部屋で桂木と二人でいる光景が広がる。誰も来ない二人だけの空間――美春の中で妄想が広がる。
(駄目駄目、何を考えているの、私ったら)
美春は慌てて頭を振る。
「どうしたの?」
すぐ目の前に桂木の顔があって美春は飛び退く様に立ち上がった。
「う、うわっ!」
おまけに素っ頓狂な声まで出してしまった。
「何、どうしたの、なんか顔が赤いよ。もしかして熱でもあるんじゃないの?」
桂木の手が美春の額に伸びてくる。
「わ、わ~っ!」
喉の奥から声が飛び出たのと同時に桂木の手を払いのけてしまった。桂木が吃驚したような顔をして美春を見る。
「す、すみません、大丈夫です。熱、無いです」
そう言うのと同時に昼休みが終わる前の予鈴が鳴った。
「あ、も、戻らなきゃ」
「じゃ今日も授業終わったら校門のところで待っているよ」
「は、はい」
急いで弁当箱を片付けると美春は逃げるように部室を出た。