衝撃的な身代金要求の動画公開以来、日本中の注目を集めていたISIL日本人拘束事件は、人質2人の殺害という最悪の結末で終わった。


この事件で、あまり目を向けられることのなかった中東情勢を身近に感じた日本人も多いと思う。私もその一人だ。今後は、人質の身の安全のために伏せられていたことも含めて様々な検証がなされるだろうけれど、私もあれこれと考えたことを綴っておきたいと思う。


●自己責任論


事件が明らかになると、ネット上では「退避勧告が出ている危険な地域に行って捕まった、自己責任だ」とい声がたくさん見受けられた。一方一部ジャーナリストからは、「危険だということがわかるのも、その地に行き伝える人がいるからだ」という擁護がなされた。


この「自己責任論」というのは、2004年にイラクで起こった3人(NGOボランティア、フリーカメラマンなど)が拘束された事件のときに巻き起こった声だ。犯行グループからは、自衛隊のイラク派遣を撤退させろという声明があった。この時は、家族や解放後の人質たちが、自衛隊を撤退させるべきだなどと発言したため、自己責任なのにとバッシングと言えるほど非難され、政府までその世論に乗って、救出にかかった費用の金額まで出された。


続いて起こった2人のフリージャーナリスト人質事件(解放)、1人の学生(殺害)の際も、自己責任論は優勢で、亡くなった学生の家族が自ら息子は自己責任でイラクに行ったと言い、とても痛々しかったのを覚えている。


そして今回。ご家族の発言は非常に抑制されたものだった。湯川遥菜さんのお父様は、助かってほしいとは言ったけど、あとは謝ってばかりだった印象だし、後藤健二さんの奥様は犯行グループに強制されるまでいっさいコメントしなかった。後藤さんのお母様も最初の会見は?だったけれど、それもお義父様から心痛のあまりだとあとでフォローが入った。


これって、なんだろうと思う。家族を人質にとられ、要求が自分たちでなんとかなるものでなかったら、なんとか助けてほしいって思うのが当然じゃないか?助けてもらえるかどうかはともかく、その当然の心情を吐露することさえできず、他の人たちにまずあやまれと圧力がかかるのは酷過ぎる。


そもそも、犯罪の被害者に自己責任なんてない。非はすべて、加害者にある。被害にあった人を、迷惑をかけたなどと非難するのは、加害者に加勢することである。今回のように、身代金ビジネスまたはテロのプロパガンダのために誘拐するという卑劣な犯罪に、加勢する理由なんてまったくない。


犯罪被害者を救出し、海外邦人を守るのは、政府の仕事だ。今回は少なくとも知る限りは、公けに政府が被害者の自己責任だなとと放言することはなかった。結果として何もできなかったけど、できるだけの尽力はしたように思える。


被害者にあるのは、リスクを判断して行動を決める自由と責任である。どの程度までリスクをとるかは本人に任される。運不運はあれ、行動の結果は自分にかえってくる。今回はお2人とも、命をなくすかもしれないほどに高いリスクだと認識していたと思う。わずかな可能性であっても、命をかけても何かを成そうと行動した人に対して、結果を嘆くことはあっても、非難する言葉はない。


今回はとても悲しい残念な結果になった。湯川遥菜さんについては、語学力も経験も不足していたようなので、もう少しリスクの低い選択はできなかったかと思うけれど、たぶん行ってみたその地に、なにか人生を切り開く可能性を感じてのことだったんだと思う。これは2004年の香田さんの事件のときに強く思ったことだけど、たしかに無謀さや甘さはあっても、運よく最悪の結果を逃れることができれば、そのぎりぎりに追い詰められた場での経験、みたもの、感じたことは、視野を広げ、後の人生の大きな支えになったことだろうと気の毒でならない。ご冥福をお祈りします。


今後考えたいこと:

●ジャーナリストが紛争地に行くこと

●日本人拘束事件に対する政府の対応

●日本の中東政策、外交政策