●ISIL日本人拘束事件に対する政府の対応
今回の日本人拘束事件における政府の対応については、相手方が無茶苦茶なのと、日本政府側が有効なカードを持たなかったことから、最悪の結果となってしまったけれど、全体としては難しい状況の中で政府はできるだけの努力はしたように思う。特に、皆がこの事件を知ることになったISILの恫喝動画の公表以降は、誰が対応してもこのような結末は避けられなかったのではないかと思わずにはいられない。
とはいえ、今後も日本人が同じような犯罪に巻き込まれる恐れはある。すでに起こってしまったことへの批判ではなく、今後似たようなことが起こる場合に備えるためという建設的な観点から、政府の対応について気になったことを考えてみたいと思う。
重大事件について検証するのは必要なことなのだが、わざわざ前段落のようなことを書く気になったのは、国会討論でのこの件に関する野党からの質問について(安倍総理の中東訪問でのスピーチにかかわること)、頭ごなしに安倍政権批判するな、イスラム国よりだという記事や多数のコメントを見て、うんざりしたからである。
国民の命にかかわるような重要な問題については、異なる意見も考慮したうえで、こういう理由で自分はこう判断する、というように、自分で考えて判断してほしい。強気な意見をいう頼もしげなリーダーはなんとなく好感が持てるから、そうだそうだと自分も強くなったようないい気分でいるうちに、気が付いたら思いがけない結果が自分にふりかかるということもある。要は、自分でも考えてみよう、ということです。
政府の対応について考えたこと
1) ISILが最初の脅迫動画で、安倍総理がISILと闘う国々に2億ドルの人道支援を行うと表明したことを取り上げて、日本は敵だ、支援と同じ2億ドルを払えと要求したことについて
国会でも共産党の小池議員が、1月17日に安倍総理がカイロで行ったスピーチで、イスラム国対策として2億ドルの人道支援をすると言ったことが、拘束された日本人に危険を与える可能性があったのではないかという内容の質問をしました。安倍総理の答えは、「テロリストに過度の気配りをする必要はまったくない」というものでした。民主党の細野議員からは、安倍総理の中東訪問がテロリストに口実を与えてしまったのではないかという質問がありました。
この点については、議員の質問を待つまでもなく、気になっていました。というのも、安倍総理の中東歴訪は知っていたけれど、行った先でどんな話をしているかは知らなかったので、その話しの内容を初めてきいたのが、あの脅迫動画だったのです。加えられた説明として、安倍総理が訪問先のエジプトで、ISILと闘う周辺国に総額で2億ドルの支援を約束すると表明したことを受けて、ISILが人質1人1億ドル、あわせて支援と同じ2億ドルを払えと要求したという報道でした。しかも日本人がISILに拘束されているのは、政府は前から知っていたと。
そのニュースをみて反射的に感じたのは、日本人が拘束されてるのに、拘束してる相手と闘っている国に支援するって言ったのか、ケンカ売り返してるみたいだな、というものでした。人質の身の安全に関わってこないと考えたのか、あるいは、考えた上でスピーチ内容を優先したのかと。
その後の経緯を考えると、ISIL側は、安倍総理の中東訪問というタイミングを待っていただけで、安倍総理のスピーチの内容がどうだったにせよ、そのタイミングにぶつけて動画を公表するつもりだったのかもしれません。また、安倍総理のスピーチ内容の全文を見てみましたが、支援策も含め、友好的なたいへんよいものです。
ただ、実際に人質をとられているこの時点において、スピーチに「ISILと闘う周辺国」という、ISILに上げ足をとられかねない言葉を入れる必要があったのかという疑問は残ります。安倍総理は国会答弁で、「テロリストに過度の気配りをする必要はまったくない」とおっしゃり、それはその通りですが、複雑な事情で紛争の絶えない中東に「積極的平和主義」を掲げて積極的に関わっていくなら、「日本国民の安全には十分な気配りを」してほしいです。
スピーチの文言からISILの名差しをのぞいて、地域の安定を助け避難民やインフラなどに支援するという言い回しでもよかったのではないかと考えます。それでISILの態度がかわったかというとわかりませんが、リスクを低められる可能性があることならしてみてもよいのではないかと。
一方、このタイミングであえてこの文言を入れるメリットは何だったのかというと、私にはくわかりません。対ISIL有志同盟への非戦闘支援はどちらにしても行うわけですし、日本が戦闘には加わらなくともそちら側の陣営に属していることは米英は知っているでしょう。
中東のテロリストはISILだけではないし、テロ以外にも複雑な事情がうずまく中東地域に積極的に関わっていく限り(それ自体は賛成です)、充分に情報を集め、分析し、リスクを最小に抑える細心の注意を払う必要があると思います。
実は、事件とその後の国会審議などを含めた推移の中で一番驚いたのは、岸田外務大臣の「改めて中東地域の専門家の育成の重要性を痛感した」という発言です。
え、今さら?というか、中東の安定に積極的にかかわっていくと今までの方針から転換するなら、それなりにその地域の政治の難しさに対処しうる情報・判断力のベースを備えておいてほしかった。存在感を高めるには、それに相応する危機管理能力が必要な地域だと思います。
日本の中東政策はまた別途考えたいですが、基本的には安倍総理が打ち出した、積極的平和主義には賛成です。
2)脅迫動画公表後に何かできたか
動画公表時に直感的に感じ、その後の経緯と共にますますその感じは強まったのですが、動画が公開された時点で、人質無事解放の可能性は非常に少なかったもではないかということです。公表するということはISILが自分たちの優位を誇示したいわけですから、要求を下げていくことは考えにくいのに、2億ドルという途方もない身代金をわずかな期限を切って提示しました。次の要求は、日本に対して、ヨルダンに捕えられている囚人の解放です。身代金は受け入れがたい金額だし、囚人の解放は日本政府に当事者能力はありませんでした。囚人の解放についてすでにヨルダン人パイロットとの交換でヨルダンとの交渉をしていたことを考えれば(しかもパイロットはすでに殺されていたもよう)、ISIL側は、ほぼ無理とわかったうえで、あわよくばヨルダン国内に混乱が起こって弱体化したところに勢力を伸ばすくらいの考えだったのかと思われます。
もともと人質事件というのは卑怯きわまりない犯罪ですが、犯人が自爆覚悟のテロリストの場合、相手に何も失うものがないわけで、ほんとに手の打ちようがない。犯人のやり方は狡猾で、人質の命を失ったのにくわえ、日本の中東での新しい顔にも水をかけられる結果になりました。一矢報いたといえるとすれば、悲しみと恐怖を与えられても、日本ではいたずらに政府や政策を非難する声が高まらず、むしろ反テロの姿勢が固まったということでしょう。
もしISIL側に、中東政策についての日本国内の動揺を誘う、という意図があったとしたら、それには逆効果でした。好戦的にみえる安倍総理を警戒している人も、多くは、ISIL側の残虐さをみれば国内がわれている場合ではないと考えるでしょう。
動画公開後に他の道があったとすれば、対策本部をヨルダンではなくトルコに置いたらどうだったかというくらいです。トルコも親日的な国ですし、人質解放の実績もあるので可能性としては考えられるという程度です。むしろ、囚人解放というカードがない分、悪い結末が早まる結果になっただけかもしれませんが。ただ、シリア大使館がシリアからヨルダンに避難してきていたから、というだけの理由で対策本部をヨルダンに置いたのであれば、期限を切られて日もなかったので仕方ない面はありますが、検討の余地はあったかもしれません。
3)動画公開前にできることはあったか
となると、何か出来たとすれば、動画の公開前だったことになりますが、実際、対策室を開き、後藤健二さんのISIL入りを引きとめる努力はなされていたと発表されています。後藤さんのご家族あてに来ていた身代金要求の交渉に政府がどうかかわっていたかとか、何か交渉ルートはなかったのかとか、知りたい気はしますが、すべて出せる話しでもないのでしょう。
表に出てきた話としては、宗教家とジャーナリストの2人、ISILと話せる、交渉ルートがある、交渉してもよいとご本人たちは言っていたのに、ISIL渡航希望の北大生の話に絡んで公安から調べられたりでできなくなったという話があります。
ISILと話せるってどういう人たちなのと怪しく感じてしまう面はありますが、宗教に疎い者には想像もつかないくらい宗教のネットワークは国を超えてつながっているようなので(これはたまたま熱心なカトリック教徒の知人が、どこの国に行っても教会を通じて厚遇してもらえると言うのを聞いた経験によるもの)、波乱のきっかけに利用されるおそれのある総理の中東訪問を控えて、他に手がなければ、検討の余地はなかったのかと思います。
4)政府の基本方針
日本人拘束事件について、政府の基本方針は、「テロには屈しない、人命を第一に考える」でした。どちらも正しいですが、両立は難しい。テロに屈しない=テロリストと交渉しないのであれば人命が犠牲になる危険が大きい。人質の命を第一に考えるのであれば、ダッカ事件のときのように、一人の命は地球より重いということで、多額の身代金を払い、囚人のテロリストを解放することになります。
今回の事件をあてはめれば、2億ドルの身代金を払って人質を解放してもらうことになる。しかし、その2億ドルがテロリストの資金となり、さらなる弾圧やテロにつながれば、人質2人以上の人命が失われることになります。人命を数でかぞえれば、「テロには屈しない」「(失われる)人命(の数)を第一に考える」は矛盾しません。しかし、人質が犠牲になる危険は高まります。
テロリストに屈しない=身代金は払わず、人質交換(テロリストの解放、日本にこのカードはありませんが)にも応じない姿勢を貫くとすれば、人質を救出するためには、軍事的な救出作戦しかありません。しかしアメリカやイギリスはそうしていますが、なかなか難しく、交渉成立まぎわだった他の国の人質まで巻き添えで亡くなったこともありました。これも人命第一と人質を救うために、他の命が失われたり、新たな捕虜が出る可能性を覚悟しなければならない方法です。それ以外には平和を説いてテロリスト(の一部でも)を説得するという方法もありますが、盲心的でグループ内でも恐怖支配が徹底しているテロリスト相手では限りなく非現実的です。
今回の事件では、「テロに屈せず、人命第一」をかかげた日本政府の実際の行動は、身代金要求には応じず、(たぶん交渉ルートの)情報収集をするということでした。困難な状況の中で、人質の命を救うことはかないませんでした。
拘束されてしまえば解放の手段が事実上ないに近いという状況で、できることとしては、まずは拘束されない努力をするということしかありません。一時的にISILの勢力圏内への渡航禁止もやむをえないと思います。法的な問題が解決されればですが。一人ひとりも、海外邦人は特に、そして国内でも、自分はテロのターゲットにされるかもしれないという自覚を持たなければいけないのでしょう。安全な国、日本を誇りに思っていた者としてはとても残念。
まとめてみれば、事件が起こる前に事件発生の危険をふまえてもう少し用心できなかったか、というくらいで、政府の対応としては(他の誰がやっても)このようにしかできなかったと思います。ただ、それで終わりにするのではなく、今回の痛ましい結末を教訓に、よりいっそうの危機管理、事前のケース検討の上に政策を行っていってほしいと思います。