民法改正の要綱を、法制審議会が法務大臣に答申しました。主にお金の貸し借りや契約についての条項の変更だそうです。


120年ぶりって、、


120年前の明治時代といえば、少し前まで江戸時代の武家社会で、士農工商身分差別とか、おイエ(藩主)のために仇打ち、切腹とか、さらし首とか、引きまわしとか、ISIL(いわゆるイスラム国)並みのお国だった頃ですよね。まあ、黒船が来て開国させられて、不平等条約結ばされて、なんとか西欧列強にキャッチアップしようとそれらの国を参考につくった法律だから、それなりに当時の日本としては斬新な内容だったのでしょうけど。


第二次大戦前も、鬼畜米英とか憲兵とか今の北朝鮮並みな言論統制、人権意識(というか、表現の自由とか人権とかいう概念自体がなかったのか)だったわけで、それまでに見直しがなかったのはしかたないとしても、第二次大戦後70年の社会の変化に対処してこなかったというのは、


立法の怠慢


としか言いようがないです。


民法は市民生活の契約を定める法だから、私たち、120年前の法律にのっとって、世界3位(一時は2位)までに発展した経済大国が動いていたのかと思うと、むしろすごいことと思えてきました。


答申された改正の対象が200項目もあるということで、何がどうかわるのかよくわからないのですが、債務における連帯保証について変更があればいいと思います。


債務の連帯保証をしてしまったばかりに経済破綻して自殺に追い込まれるとか、それがあるばかりに起業しづらい、起業で失敗した人(債務が返済できなかった人)の再起が難しい原因になっていますからね。失敗した人こそ、失敗を活かして次はうまくできるかもしれないわけですから。


金融機関は、ちゃんと事業のリスクを計算して金貸すのが本業でしょう?金利と担保取った上に、他の人(連帯保証人)に返済義務を押し付けるなら、金融機関の存在意義ってなんですかと思います。国民から利息払わずお金預かって国債買うのが仕事?


しかし、やっと民法見直しに動くかと思ったら、改正どころか、改悪な方向にいくみたいなこともあって、びっくり。


少し前に、最高裁が、非嫡出子の相続分が嫡出子に比べて差別されるのを違憲としたことを受けて、やっとこさ婚外子の相続分について民法改正されたのに対応して、法相が(法律上の)配偶者の利益を強める方向での民法見直しを審議会に要請したそうです。


理由は、「伝統的な家族像が壊れる」から。


同じ理由で、夫婦別姓の自由化(選択的夫婦別姓を容認するか)や、女性の再婚禁止期間の撤廃も、なかなか進みません。この2つは最高裁の大法廷で結審されることになりましたが、どうなるでしょう?


最高裁が「憲法に定められる人権、平等」などの理念に基づいた審判をくだしても、自民党は「伝統的な家族像」を理由に反対します。


そういえば、家族像は関係ないけど、選挙の1票の重さもかなり前に違憲判決が出ているにもかかわらず、ほぼどんな法案も可決できる与党は無視しているようです。都市部の人の人権は0.5人前なわけですね。


話を戻して、自民党がこだわる「伝統的な家族像」ってなんでしょう?両性(同性でもよいです)がお互いに同意して愛情を持って築く家族ではないですね。たとえ双方の愛情・合意が崩れた破たんした夫婦でも、他所に子供がいても、夫婦の一方、または両方が無理な我慢を重ねるとしても、「家という形」を維持しろということのようです。


ざっくり言って、形式的な「家」の形を維持するためには、何の罪もない子供を生まれた時から法のもとで差別するのも、家事すべてと仕事という過大な負担を女に押し付けるのも(その結果が少子化)、名前をかえたくない女性にむりやり改姓を強要するのも、離婚した女の人が新しい人生を始めるのを足止めするのも、当然だ、それが伝統的な家族だ、という意見の方が、自民党にはいっぱいいるということです。


ああ、目を背けたくなった、、、


私は平和で安全で、食べ物が美味しくて、生ぬるい日本が大好きですが、ときどき、「日本国憲法」だけじゃなく、いっそ民法も、アメリカが押し付けてくれたらよかったのにと思わずにはいられません。当時の(今も)アメリカがそれを実行できてるわけじゃなくて、理想論的なものだったわけですが。


経済は発展したのに、なんか幸せじゃない気がするのは、それに見合った自由や平等や人権が認められないからじゃないかという気がする。自由も平等も人権も、責任が伴うわけで、その責任を背負う覚悟が国民にないからと言えばたしかにそう言う面はありますが。自分たちで努力して得た権利じゃないからね。


理念を置き去りに、経済一点張りで利権を争うのは、卑しいです。そして危険です。目先の経済だけに目を向けているうちに、どんどんおかしな方向に物事が進んでいくかもしれません。気がついたら自由にものが言えない時代になってるかも。考えても、発言しても、何も変わらないかもしれないけど、長いものにまかれてるだけじゃなくて、どんなふうに暮らしたいか、どうしたら幸せと感じられるか、どうしたらより多くの人が幸せを実感できるのか、せめて自分で考えてみましょう。


2世代前が戦争で犠牲を払い、その次の世代がひたすら築き上げた経済大国を、ただ恩恵を享受しただけで、こんな、なんか不幸な社会のまま若者に引き継いでゆくのかと思うと忸怩たる思いがする。