本日の塔研究。
詳しいことはもういいですが、出だしの部分でアウトでしょうね。
 
(塔・研:2020-8 研究31-1節より)

 
 
今の私なら『また極端なこと言っとるな~┐(´д`)┌ヤレヤレ』位に流し読みもできます。しかし、これを真面目に読んだり、集会で聞いているような末端信者個々人は素直な人が多いんだからさ、もう少しその人たちの心を傷つけない書き方できないものでしょうか。もちろん私自身も昔はこの方法で自分を責めて責めて心が押しひしがれそうでした。だから強くそう思うのです。
 
 
この1節の言い方だと、
・結婚している人
・子供をもうけている人
・全時間の仕事をしている人
…は、十分にエホバに仕えていない、と断言しているのと同じです。
 
 
個々人の事情も考慮せず、聖書が掲げる基本の中の基本『愛』の欠片など微塵にも感じない言い草です。この言い回し、ホント昔から同じですけど、その場ではサラッと流せても後でジワジワくるんですよ。『自分はできていない』『あの人に比べたら私のやっていることは何だろう』『このような奉仕を神は受け入れられない』そんな風にドンドン自分を追い込んでいきます。心が伴わない状況で、とりあえず業を行って安心感を得ようとするので、そのうち心が壊れます。人によっては精神的にダメージをうけてしまう方もおられることは周知の事実です。
 
 
それとは逆の方向で悪い症状が現れる人もいます。つまりバリバリのJWとなり、周りを裁きだして「自分は清い清い」と言い出すのです。結婚している人や子供のいる人、全時間の仕事をしている人を蔑むような目で見、「自分は開拓者よ!特別よ!あなたたち普通の伝道者と一緒にしないでよ!」という傲り高ぶる態度を示し始めるのです。きっと貴方の会衆にもいたことでしょう。
 
 
『罪悪感を植え付けて、行動/思考をコントロールする』
 
…というのは、今も昔もWTの常套手段です。しかも『「抱く必要のない」罪悪感』を抱かせているというのが、悪質なカルト性だと思っています。
 
 
 
しかしこの組織は自己犠牲自己犠牲うるさい!ですね。記事の後半で載せられている経験とやらも、自身がエリートコースを捨てたとか、障害を負ったとか、事故に遭ったとか、禁令になったとか、家族が重い病気になったとか、伴侶が死んだとか、そんな極端な例ばかりを持ち出して。さも、『お前らはこれほどの犠牲を払っているのか!!』と説教しているかのようです。何の励みも慰めも見出すことができません。
※いうまでもないですが何の励みもないというのは、この研究記事の内容や趣旨を考えると、苦労された人達の苦労話も台無しになる、という意味です。組織にいいように利用されているだけです。
 
 
同じことを言うにしろ、もう少し言い方を考えた方がいいのにね、新しい世界というものを期待する人にとってはそういうお話も必要なのでしょう。是非はともかく需要と供給の関係で。((笑))でもそのために今を頑張って乗り切ろうよ、辛抱も必要だけど耐える価値があるよ、アブラハムも頑張ったよ、というこの記事が本来教えようとしている部分をきちんと素直に伝えるだけでいいのではないでしょうか。必要以上の重荷を負わせるやり方にはやはり賛同できません。モリスのくびきは重すぎます。
 
 
 
 
 
 
 
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つぎになにをしますか?
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