今週の記事は以前にブロキャスで先行で扱われた内容です。

以前書いたレポもご参照ください。


 

今回の塔での説明としては、

『私たちの出版物では,エホバがエホバと名乗ることを誰も問題にしてはいないのでエホバの名は立証される必要がない,と説明されたことがあります。しかし,2017年の年次総会で理解が調整されました。司会者はこう言いました。「簡単に言うと,エホバのお名前が立証されるよう祈るのは間違っていないということです。エホバの評判への疑いが晴らされなければならないことは確かだからです」。』

…とのことです。

 

 

この祈りの仕方の件ついて思うことは次の2つ。

●我々はイエスが残された祈りの型に注意を払えば、それでいいのではないか。

●我々人間が神の名の汚名返上だ!と意気込むのは何か違うのではないか。

 

 

 

そして今回の補足となる記事を読んで思った事。

次の絵が頭に浮かびました。

何でもいいです。目盛りを思い浮かべていただければ。

ま、教理の内容の是非は置いておいて我々は勉強してるわけじゃないですか。集会やら大会、個人研究とやらで。普通は身についた知識は積み重なっていきますよね。そしてそれが知恵に変わるんだ、みたいな話はJW世界でもされています。

 

 

JW教育法って、何か毎回リセットされている気がします。1が3になり、3が5になり、5が10になり…って感じじゃないですよね。同じ話/内容ばかりという意味ではなく、既に抱いている信仰心や動機なども毎回0まで戻されてる気がする。

 

 

例えば今回の記事でも、例えば前半の囲み記事でこのように書いてあります。

 

『エホバは本当に清廉潔白な方なのでしょうか。聖なる神,正しい神,善い神,愛の神なのでしょうか。極めて重要なこの問題には,次の問題も関係しています。サタンが神の統治に反逆したために生じた,エホバは正当な主権者なのか,エホバの統治の仕方が本当に最善なのか,という問題です。』

 

う~ん…わざわざここまで引き戻して考えないといけないことなのかな~って思いました。確かにJWになる上での所謂【基本知識】ではあるのでしょう。でも今回の塔の記事は、一見簡単そうに見えますけど、どちらかというと初心者向けではないですよね。‛固い食物’に入る分野だと思います。じゃあ果たしてその記事の中で扱うにふさわしい内容/文言なんだろうか?と感じざるを得ません。

 

 

神さまが主権者だとか、統治が最善なのかとか……そんなん関係あるんですかね?もちろん神さまですから最善でないと困るのですが、そこをわざわざ掘り下げて確信したから献身します!って話ではないのではないでしょうか。ま、私も二世の立場ですから、大人である人がエホバ教やキリスト教に触れたときの感覚を完全に理解することはできないのですが、それでも『主権の立証』や『御名の神聖さ』に惹かれるという方は少数派じゃないのかなぁ…??『愛』の気持ちに動かされたり、キリストの贖いの備えに感動したり…という人の方が多いと思いますし、少なくともその後のその方の人生の指針は神やキリストに対する愛や感謝が動機となっていると思っています。

 

 

しかしそうした愛や感謝を一度ぶっ壊しますよね。例えば15節。

 

『サタンは今でも神の名を傷つけています。そもそも創造者など存在しないと思わせようとします。神の存在を信じている人には,神は厳し過ぎて不公平だと思わせます。人を地獄で火あぶりにする冷酷な神だ,とさえ教えています。このようにして,神が愛,知恵,力,公正に満ちた方であることを疑わせようとします。こうしたうそを信じ込む人は,エホバに統治してもらう必要などないと考えます。サタンは滅ぼされるまで,エホバを中傷し続けます。』

 

はい、たしかに文脈としてはこれはサタンのことを言っています。そしてJW的に言わせるとそれがサタンのやり方なのでしょう。それはわかります。でももうわざわざここまで書く必要ないんじゃない?と思います。創造者など存在しない、厳しすぎる、冷酷な神…。わざわざ書かなくてもいいんじゃない?この記事だけでなく、時々見かけません?こんな表現。「エホバは…このようなことはされないハズです。」「エホバは~という方ではありません/思われません。」とか。

 

17節

『パリサイ派の人は,エホバが厳しく,要求が多く,人間と関わりを持たない無慈悲な神であるかのような印象を植え付けていました。』

 

こんな感じね。

 

表向きには神はこんな方ではないんだよ!と言いたいのかもしれませんけど、心にあるものがペンを走らせるのかどうかわかりませんが、結果として神さまの悪口を書いているようにさえ思えてきますし、それは失礼じゃないのか?とも感じます。純粋に神に従う信仰心のある方なら、そんなこと頭にも思い浮かばないのではないでしょうか。(それが洗脳という、という話は置いておいてw)これは私の邪推の類なのかもしれませんが((笑))、結局自分たちで神さまの名を汚すような事をしておいて、自分たちで神さまの名誉挽回だ、汚名返上だ、と騒いでいるのではないか?とさえ思ったりします。表現少し悪いかもですが、自分で火つけておいて、火事だと騒いで、自分で消火器で消してる…みたいなね。そんな感じ。そうなると神さまを利用するだけでなく、悪魔も利用しちゃってるじゃん!みたいな。罪重いよね~~~。きっとどっちも怒ってるよ。(;^_^A

 

 

3歩進んで2歩下がる♪ってフレーズがありますけど、JW教育は2歩進んで3歩下がってるんじゃないでしょうかね。

 

 

 

 

 

(おまけ)

しかし相変わらずJWは一般のキリスト教が大嫌いなようですね。必ずこの手の話になると間違った教えを広めている!と糾弾していますが。

今回の記事でも、諸教会は神は地獄で火炙りにする冷酷な神だと教えている!って言って、ご丁寧にレット君似((笑))の挿絵までつけて解説しています。

 

いやいや…でも聖書の中にはたしかに『ゲヘナ』なり『ハデス』なり、言葉は登場するわけです。教派によって色々な解釈はあるようですが、いずれにせよ、「最後の審判で神に背くものは永遠の滅びを」という考えに行きつくわけですし、JWの教理だってそこは同じなハズです。なのになぜそこまで糾弾することができるのか不思議です。どちらかというと仏教における地獄(閻魔様とかあっち系のやつね)の方が、「それは違う!」と言いやすそうですが、やはりJWが攻撃したいのはキリスト教なんだなぁ~とつくづく感じました。