さて、間が空いてしまいましたが続きです。長いです、暇つぶしに読んで下さい。(笑)

 

 

JW組織が結婚や子どもをもうけることを「事実上」禁止、またはそこまではいかなくとも「ふさわしくない」ものとしていることについて論じている過去の出版物を紹介しています。

 

 

ところで、みなさんは『時と予見しえない出来事』という言葉を聞いてどのようなことが思い浮ぶでしょうか?病気でしょうか。介護の問題が発生しましたか。職場でリストラに遭い経済的に追い込まれてしまったでしょうか。愛する家族や友人の死でしょうか。本当に辛く悲しい出来事ばかりです。

驚くべきことに、JW世界では「子供を授かること」は『時と予見しえない出来事』とみなしていることはご存じでしたか?

 

 

ものみの塔1988/3/1「この終わりの時における、出産に伴う責任」という記事からの引用となります。直前の記事で散々ふさわしくない、ノアの子どもたちはそんな世の中で子どもをもうけたいなんて思わなかったハズだ、とまで極論を述べていましたが、続く記事も似たようなものです。

 

今現在も、組織の教えに迎合する人はこの記事の影響を受けていると思われます。

 

 

 

序文の時点ですでに設定がおかしいです。3節です。

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3 幸いなことに,クリスチャンである親の育てた子供たちが,忠実な,献身したエホバの僕になった例は非常に多くあります。中には,それらの子供たちが成長し,開拓者や宣教者あるいはベテル家族の成員として,全時間の奉仕に入るのを見てきた親たちもいます。そのような親については,確かに,「義なる者の父は必ず喜びに満ち,賢い者の父となる者もその子を歓ぶ。あなたの父と母は歓び,あなたを産んだ母は喜びに満ちる」と言うことができます。―箴言 23:24,25。

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少し飛びますが9節でもこのようなことが書かれています。

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9 会衆内で物事を正しく組織すれば,赤ちゃんのいる若い母親でも補助開拓奉仕に参加できます。中には,そのような母親で,正規開拓奉仕をしている人さえいます。ですから,子供がいることは,必ずしも不利な条件になるわけではありません。クリスチャンである多くの親は,立派な開拓者精神を示しています。

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やれやれ…ここでも開拓者様様ですか。こどもがJWにならなかったら不幸である、というトンデモな大前提を据えた上で、論考が続きます。

 

 

こどもをもうけることに対するマイナスイメージを植え付けるために『親の心痛』という副見出しが付けられます。4-5節です。

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4,5 (イ)子供のいる長老と奉仕の僕には,聖書的に何が求められていますか。(ロ)一部の子供たちは父親にとって,どのような点で「逆境」となってきましたか。

 

4 しかし,必ずしもそのようになるというわけではありません。そのことは子供のいる長老にも当てはまります。使徒パウロはこう書きました。「したがって,監督は,とがめられるところのない人で,一人の妻の夫であり……自分の家の者をりっぱに治め,まじめさを尽くして子供を従わせている人であるべきです。(実際,自分の家の者を治めることも知らない人であれば,どのようにして神の会衆を世話するのでしょうか)」。パウロはそれに加えて,「奉仕の僕たちは一人の妻の夫であり,子供と自分の家の者たちをりっぱに治めているべきです」と述べました。―テモテ第一 3:2-5,12。

 

5 もちろん,いったん成人した子供がエホバに仕え続けようとしなくなるからといって,その親であるクリスチャンの長老や奉仕の僕に責任があるというわけではありません。しかし,未成年の子供,もしくは依然として同じ屋根の下に住んでいる,それより年上の子供に関しては,確かに責任があります。中には,『子供と自分の家の者たちをりっぱに治める』という聖書の要求を果たす点で怠慢になったり,重大な失敗をしたりしたために貴重な奉仕の特権を失った長老や奉仕の僕もいます。そのような人たちにとって,また他の大勢の人々にとって,子供は喜びよりも苦しみをもたらす存在となりました。『愚鈍な子はその父にとって逆境を意味する』と述べる箴言の真実さは,何度も証明されてきました。―箴言 19:13。

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100%ではないし程度の差はあるでしょうが、『家族をもちたい、こどもをもうけたい』というのは、人としての自然な欲求であり、人間もそのように創造されています。人類の創造の時だけ期間限定で「産めよ増やせよ」が適用され、ある時期には「産むな、増やすな」が適用されてしまうのはおかしなことです。そしたらそのある時期には性欲もゼロにし、家族をもちたいという欲求もゼロにした人間にマイナーチェンジなりアップデートしとけ!って話ですよね。極論ですが。(笑)

 

私個人としては、神さまはそんな方ではないと思っていますので、やはりある一部の人間がそのように仕向けているだけだと確信できるわけです。

 

 

「子どもが逆境となる」とかなんでしょう??その感覚がよくわかりません。

なるほど、猛烈な反抗期とかですか?または子どもが人さまに迷惑をかけたり、傷つけたり、犯罪を犯したりすると、ある意味で逆境かもしれませんね。なんとか子どもを助けてあげたいと思いますから、そのために払う親の努力はハンパないでしょうから。

 

 

ん?

そんな話ではないですね。

 

 

子どもがJWの基準に沿わなかったら「長老や奉仕の僕といった貴重な奉仕の特権を失う」危険がありますよ、って話みたいですね。

 

 

は?!

 

 

しかもそれはその親だけでなく、「他の大勢の人にとって、子どもは喜びよりも苦しみをもたらす存在にな(る)」とまで書いています。

 

 

他の大勢って誰?!

子どもが苦しみをもたらす存在?!

しかも理由が「特権削除」?!

 

 

もうね、前回の記事と同じ表現で語彙力なく申し訳ないですが、こんな文章読んでウンウンと頷いている場合じゃねーよ!って話です。

 

 

JWにとって子どもは手枷足枷です。7節です。

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クリスチャンの男子の中には,会衆で種々の特権を割り当てられるようになるほど霊的に進歩を遂げる人がいる一方,妻が霊的に弱くなる場合のあることが観察されています。一体なぜでしょうか。それは大抵,幼い子供たちのために,集会で注意を集中したり,深い聖書研究を行なったり,証言の業に十分にあずかったりすることが妨げられるためです。

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子供より宗教が大事。明確に書かれていますね。言うまでもないことですが、これは「神を第一に」「人間よりも神に従う」という命令とは全く次元の違う話。子供と神さまを天秤にかけること自体がおかしいのではないか?と思います。そうした歪んだ価値観は、いずれ例えば輸血拒否で子どもを神さまと天秤にかけて見殺しにするのを「やむなし」と考えてしまうようになります。しかしそれが「模範的なクリスチャン」「忠節の模範」と美化する宗教団体です。恐ろしいですね。

 

聖書を学んで良い面もたくさんあるのにね。それは認めます。しかしこうした一部の猛毒な教理故にJWという団体自体が猛毒に侵されてしまっている姿は、個々の人達は良い人が多いだけに、何とも悲しい気持ちになりますね。あらためて歪んだ教理や価値観を押し付けている上層部に対し憤りを覚えます。

 

 

話が逸れないうちに資料に戻ります。(笑)

そういえば赤子に対するムチ奨励もチラッと出ていますね。8節

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もし,赤ちゃんが泣き出したり子供が騒いだりするなら,適切な懲らしめを与えるために子供を外に連れ出す仕事を交替で行なうでしょう。

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JW世界での闇ルール

「適切な懲らしめ」=「鞭という名の体罰」を意味しています。赤子に対してさえ鞭打ち。これがJW教育です。もっとも最近では目立たなくなってきましたが。

 

諸説ありますが、ある統計によると子どもが集中できる時間についてこんなデータが示されていました。

 

●乳幼児 → 年齢+1分

●小学生 → 学年×10分

 

だそうです。3歳児なら4分です。4年生、5年生になってやっと45分の授業に集中できるかどうか、という感じです。低学年の場合は15分という見方もあるようです。

 

結局大人が思うほどそんなにもたないわけです。しかも子供からしたらクソ面白くないわ、内容も理解できへんわ、そんな話を無理矢理聞かされているわけですからね。好奇心のある子なら30分40分持つでしょうけど、そうでない場合はねぇ…拷問ですよ。(笑)

 

週中の集会はおろか、巡回大会や地域大会なんて午前2時間半、午後3時間あるわけですから、集中力などもつわけありません。しかし寝てたら鞭、漫画とかノートに書いてたら鞭、トイレに行きすぎたら鞭、ぐずってたら案内係に追い出される。逆にロビーにいてたら早く戻れと圧力をかけられる。今このブログを読んでいらっしゃるあなたも自ら経験されたり、見聞きしたことがあるのではないでしょうか。本当に腹が立つと同時に、やはりなにかおかしいと思うハズです。しかし相手(組織)は神様を武器に圧力を加えますからね、本当はこちら側は何もわるくない、まして子供が悪いわけではないのに無力感や罪悪感に襲われたり、周りに対して恐縮してしまうわけです。JWのいうクリスチャン愛って何なんでしょうね。「代わりに鞭をしてあげましょうか?」というのが、あいつらの「愛」ってことを肝に銘じておきましょうね。(親の立場であれ子の立場であれ)貴方が間違ってるわけではなかったんです。あいつらが歪んでただけなんです。今となりゃ後の祭りかもしれませんが、そう思うことで少しでも過去にケリをつけ前向きになれることを願っています。

 

いずれにせよ、こうしたちょっとした表現1つをとっても、組織が子どもに対してどう思っているかをよく知ることができます。

 

 

さて、神さまってのは『特権』をどれだけもってるかで祝福の度合いを調整するんでしょうか。11節です。

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11 (イ)子供のいない多くの夫婦は,どのような立場でエホバに奉仕していますか。また彼らが少しも後悔していないのはなぜですか。(ロ)「王国のゆえに」子供を持たずに過ごしてきたすべての夫婦には,どんな聖句が当てはまりますか。

 

11 親となる喜びを断念した,世界中の多くの夫婦は,巡回や地域の奉仕によって,あるいはベテルにおいてエホバに仕えることができました。それらの人々も,そうした特定の特権にあずかってエホバと兄弟たちに仕えて過ごしてきた生活を回顧して満足しており,少しも後悔していません。子供を産む喜びは味わっていませんが,自分たちのそれぞれの活動分野で王国の関心事を促進するために肝要な役割を果たしてきました。「王国のゆえに」子供を持たずに過ごしてきたそれらの夫婦すべてには,『神は不義な方ではないので,あなた方がこれまで聖なる者たちに仕え,今なお仕え続けているその働きと,こうしてみ名に示した愛とを忘れたりはされません』という聖句が確かに当てはまります。―マタイ 19:12。ヘブライ 6:10。

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『少しも後悔していません』

全員に調査したんやろな?!断定するってことは100%の人間がそう答えたんだな?!

バリバリに特権振りかざしてやってる時はそりゃ楽しいだろうよ。でも高齢になったり特権亡くなったりした人間にも調査したんですか?後悔している人も一部はいることを認めないのもおかしな話です。100%ってのは基本的に有り得ませんから。『「後悔してない」という人も少なくありません』位の表現であるならば、こちらもここまで突っ込みませんけどね。

 

1を100のように扱い、スタンダード化するのはJW組織の常套手段です。各種経験や、「~であるに違いない」という表現には注意した方がいいですね。

 

何か私が些細なことに怒ってるように見えるでしょうか?『あなたは結婚もし、子どももいるのならそれはそれでいいんじゃないですか?』って声も聞こえてきそうですね。(笑)たしかにそうでしょう。でもさ、このJW世界、誰かが褒められるとか別にそれはいいんですよ。組織からしたら頑張ってくれた人なんでしょうから。表彰でもなんでもされたらいいと思うんですけどね。ただここが独特な文化で、『誰かが褒められると、誰かが蔑まされる』という事象が必ず発生するんです。全時間奉仕者が褒められると、必ず一般伝道者が「なんで補助もしないの…」みたいな目で蔑まされる。集会に30分早く来る人が模範的だとされると、仕事で遅刻してくる人は物質主義だとみなされる。学校で証言した子供がインタビューされると、証言しない子はやる気がないとか親の教育ができていない子どもとみなされる…挙げればキリがありません。今回取り上げている記事も同じです。独身で、または子どもをもたない夫婦が宣教活動の最前線で活動することが褒められるのは別に構わないですが、じゃあ普通に家族をもち、全時間の仕事をし、ごくごく平凡な生活を送るという選択をした信者に対し、蔑んだ目で見てくるわけですね。相手が言葉に出さずともわかりますよ、そいつの目、表情、口調が全てを物語っていますよ。悪感情思われてる側からしたらね敏感なんですよ、そういうとこって。「なんでお前に上から目線で説教される必要があるねん」と思うこともしばしばあるのではないでしょうか。

 

だから怒ってるだけです。<m(__)m>

 

 

また話が逸れたから戻ります。15-16節。信じられないような文章が続きます。

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15 ある人々は,『それは全くそのとおりだが,予想もしないときに子供ができた場合はどうなのか』と言うかもしれません。今は子供を産むのに理想的な時代ではないことを十分承知していた多くの夫婦に,そうしたことが生じました。その中には,全時間奉仕を何年も行なってきた人々がいました。予想もしないときにやって来た新しいその赤ちゃんをどのようにみなすべきでしょうか。

 

16 その場合に関係してくるのは,親としての責任です。確かに妊娠は予想外だったかもしれませんが,クリスチャンである親は,できた赤ちゃんを欲しくなかったものとみなすことはできません。赤ちゃんができたために親の生活にどんな変化が生じようと,親はそのことで決して憤慨してはなりません。赤ちゃんができたことに対して責任があるのは,結局のところ親なのです。赤ちゃんができたのですから,何らかの形で「時と予見しえない出来事[がすべての人]に臨む」ことをはっきりと理解し,状況の変化を受け入れなければなりません。

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これは先日書いた記事と同じですね。最新の塔研究にでてきた『思いがけず』という表現について(1)で触れました。この記事も凄いですね。どのようにみなすべきか?とわざわざ答えを書かれないと、憤慨したり不必要なものだったと後悔してしまうような人種なんですね、JWって。しかもこのブログの冒頭で書きましたが、子どもができたことは『時と予見しえない出来事』らしいです。ま、「思いがけず」と同様、字義的には肯定の意味もあるでしょうけど、JW世界でこの言葉を用いる時は、大抵ネガティブな出来事に関して引用され、その試練を乗り越えましょう、みたいな意味合いで使われます。それを子どもができた時にその言葉を引用する組織がどのような見方をもっているかは明白です。19節でも『子供たちを決してエホバへの奉仕の妨げとみなすのではなく,特別な割り当てとみなさなければなりません。』という表現が用いられています。そんな人がいるハズがない、と信じたいですが、ホンマに「奉仕の妨げ」と一瞬でも思う人がいるなら、もはや異常者の精神思考です。凄いですね、カルトの力って。人間が本来与えられた感情や欲求、自然の情愛などをそこまで歪めてしまうのですから。神さまにたいする冒涜も天に届く勢いであると、私としてはそう思います。

 

 

この研究記事のラストの副見出しの中ではこのように書かれています。20節。

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「さらにまた,兄弟が兄弟を,父が子供を死に渡し,子供が親に逆らって立ち上がり,彼らを死に至らせるでしょう」。(マルコ 13:12)終わりの時に子供を育てることが,必ずしも純然たる喜びとなるわけでないことは明らかです。ここに引用したイエスの言葉に示されているとおり,心痛,落胆,それに危険さえも生じ得るのです。

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ここまで煽っておいて、これらの連載記事が「出産に関する釣り合いの取れた見方」って言いきっているところが凄いと思います。

 

 

どこがやねん!!

そんだけ言うのなら、『禁欲は多くの実を生み出す』とかいう記事でも執筆すればいいじゃん。

0721禁止!結婚しても営み禁止!もう夫婦間の性交渉も排斥事案にしてルール化しちゃえば?溜まりに溜まった人間のインタビューでも掲載しとけ!(爆笑)

 

 

ということで、ある意味我々も覚えておきたい1988/3/1の塔研究記事でした。何かの役に立つことを願っています。<m(__)m>