ま、こうして考えると、、、


旧約の神さまってのは、やっぱり残酷ですわな。悪人を滅ぼすこと、善人を救う、それはいいんだろうけど、神さまなんだから心の状態もお見通しのハズだよね。だったらすぐに実行してあげなよ。裁きの音信を人に知らせたり、人々に立ち返る機会を与えることは正当だとは思いますが、既に義人だと認定したノアに対して50年もかけて方舟作れだの拷問だよね。義人と認定したのに更に試すような行為にしか見えないです。信用してすぐに救ってあげなよ。当時ノアは義人故に苦しんでたんでしょ?じゃ、10年目で、建造やーめた!ってなったらどうするんだろうね。やっぱりブッ殺すんだろうね。そしてそれを長年忠実に仕えた人間でも神への忠節を保たなかった悪い例として語り継がれるんだろうね。


信仰を試すために息子を犠牲に捧げろと言ってみたり、約束の地だ!と言いながら荒野を何十年もグルグルさまよわせてみたり、現代における終わりの日とやらがいつまでも来ないとか、一旦救われて楽園とやらに行けても1000年経てば最終試練が待ち受けてるだの、、、。


そりゃ神さまからすれば人間なんてちっぽけで信用にならんもんかもしれませんが、あまりに試練ばっかりですわな。そんな試練だらけの「(救いを得るための)競争」だと脱落者が続出するのは目に見えてるし、たとえゴールできたとしても、その姿は身も心も見るに堪えない様子なんじゃないでしょうか。


そんなボロボロの姿を見て「よくやった!」と拍手して喜んでるような神さまは、、、やっぱり好きになれませんな。若手芸人を虐めてるTVプロデューサーや先輩芸人のそれと変わらないですよ、ホンマ。

残酷というのか、趣味が悪いというのか、、、。
ま、私も神様は全否定しないスタンスではありますが、やはり旧約の神様は好きになれないのであります。