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過去との向き合い方、メンタルコントロールについて。過去を全否定したくなる気持ち、自己肯定感のなさと向き合うこと。これは特にJW2世にとって、たとえ組織を離れることができたとしても切っても切ることができない『内なる闘い』である。自分自身が今後も心がけていきたいものを2つ記事をUPします。
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(2018年5月2日投稿分)
タイトル:『過去を否定すること』から『過去を受け入れること』へ
※閲覧視聴注意!
過去との向き合い方、メンタルコントロールについて。過去を全否定したくなる気持ち、自己肯定感のなさと向き合うこと。これは特にJW2世にとって、たとえ組織を離れることができたとしても切っても切ることができない『内なる闘い』である。自分自身が今後も心がけていきたいものを2つ記事をUPします。
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(2018年5月2日投稿分)
タイトル:『過去を否定すること』から『過去を受け入れること』へ
※閲覧視聴注意!
※‘あの時代’を思い出すだけで、トラウマが発動する!というレベルでアレルギー反応起こす方は、視聴しないでくださいね。ある程度、‘昔の思い出’まで風化してる方なら大丈夫です。
すいません、いきなり賛美の歌なんてUPして。(~_~;)
ユーチューブ見てたら、こんな部分に繋がって、思わず見てしまいました。
ウチらの時代はピンクの歌の本でしたね。ま、殆どの曲は次世代の茶色の本にも移行されましたが…。
そういや小学生の低学年位までは、テープではなくオルガンで生伴奏だったな…とか、集会中寝そうになったらシャーペンで太ももブスブス刺されたり、鞭をされたこととか、緑のクリスチャンギリシャ語聖書とか、集会休んだ日は欽ドン見てたな…とか、色んな記憶も蘇ってしまいます。記憶の巻き戻しボタンをキュルキュルキュル…と押してしまう感じとでもいいましょうか?昔の王国会館の姿や、第二教室は畳部屋で座布団だらけだったなとか、反対者のご主人さんが集会中の怒鳴り込んで来て超ビビった記憶とか、「神権学校に入りたいです!」って言いに行ったこととか、地域大会でチケットもって走り回っていたこととか、当時のメンバーの方達とか、友達とか、会衆のレクリエーションとか、学校で証言させられたこととか…いいこともロクでもないことも一緒に。
凄いね、音楽の力って。一瞬聞いたら、ザーって蘇ってくる。
でもそりゃそっか。毎週3回のうち2回はKHでの集会でそれぞれ3曲歌うわけで、それこそ多感な時期、頭の吸収力も優れているから歌詞までバッチリ頭に入ってしまうよね。それこそ洗脳か!?(笑)「私の場合」ですが、JWの記憶は賛美の歌と共にあるのかもしれない。(~_~;)
でも、そんなこんなも、ぜーんぶ含めて「今の自分」が形成されているんだな、と思うと、(正直ロクでもない記憶の方が勝ってしまうのですが、)そんな幼少時代もようやく受け入れることができはじめたような気がします。『受け入れる』というか『愛する』というか…そんな感じ。
少しは強くなったかな?もしかしたら数年前なら「聞きたくもないわ!」とか、なってたかもしれません。『過去を否定したい』気持ちの方が強かったかもしれない。
しかし良く考えると、あの当時は当時で、強い信仰心なんてなかったかもしれません、単に親や周りを喜ばせるためだったかもしれないけど、それなりに「少年JW」として頑張っていたわけで、もしそんな当時の自分に出会えるのなら『よく頑張ったね!』とヨシヨシ褒めてあげたいです。
『過去を否定すること』から『過去を受け入れること』
個々の人の状況によって、それができる人、できない人もいるとは思う。
勿論、そのあまりに酷すぎる環境や経験によって、一生JWを憎悪の対象にする方もおられることだろう。それが「間違っている」だの「正しい」だの、誰にも決める権利はない。あくまでも「個々の事情は異なり」ます。
でも「私の場合」は、『(過去を)受け入れる』ことは進歩だと思っています(思うようにした)。「なかったことにしたい」、「やりなおしたい」という気持ちが全て払拭されたというわけではないですが、ようやく「あれはあれでいっか」くらいに思えるようになってきた。「良い経験でした!」「貴重な時代でした!」とまでは、まだ言えないけど。(~_~;)(苦笑)
ま、精神的に余裕のある人は、この動画色々クリックしてみても面白いかもしれません。「あ~なんか懐かしいな~」とか、「今のけったいな賛美の歌よりよっぽどいいな」とか、そんな感想だけでもいいし、JWとしてそれなりに頑張ってた時代が走馬灯のようにグルグル回りだして、また新たな発見や気づきがあるかもしれませんよ。同時に「苦しかった思い出」も歌と共に昇華できるといいですね。(#^.^#)
すいません、いきなり賛美の歌なんてUPして。(~_~;)
ユーチューブ見てたら、こんな部分に繋がって、思わず見てしまいました。
ウチらの時代はピンクの歌の本でしたね。ま、殆どの曲は次世代の茶色の本にも移行されましたが…。
そういや小学生の低学年位までは、テープではなくオルガンで生伴奏だったな…とか、集会中寝そうになったらシャーペンで太ももブスブス刺されたり、鞭をされたこととか、緑のクリスチャンギリシャ語聖書とか、集会休んだ日は欽ドン見てたな…とか、色んな記憶も蘇ってしまいます。記憶の巻き戻しボタンをキュルキュルキュル…と押してしまう感じとでもいいましょうか?昔の王国会館の姿や、第二教室は畳部屋で座布団だらけだったなとか、反対者のご主人さんが集会中の怒鳴り込んで来て超ビビった記憶とか、「神権学校に入りたいです!」って言いに行ったこととか、地域大会でチケットもって走り回っていたこととか、当時のメンバーの方達とか、友達とか、会衆のレクリエーションとか、学校で証言させられたこととか…いいこともロクでもないことも一緒に。
凄いね、音楽の力って。一瞬聞いたら、ザーって蘇ってくる。
でもそりゃそっか。毎週3回のうち2回はKHでの集会でそれぞれ3曲歌うわけで、それこそ多感な時期、頭の吸収力も優れているから歌詞までバッチリ頭に入ってしまうよね。それこそ洗脳か!?(笑)「私の場合」ですが、JWの記憶は賛美の歌と共にあるのかもしれない。(~_~;)
でも、そんなこんなも、ぜーんぶ含めて「今の自分」が形成されているんだな、と思うと、(正直ロクでもない記憶の方が勝ってしまうのですが、)そんな幼少時代もようやく受け入れることができはじめたような気がします。『受け入れる』というか『愛する』というか…そんな感じ。
少しは強くなったかな?もしかしたら数年前なら「聞きたくもないわ!」とか、なってたかもしれません。『過去を否定したい』気持ちの方が強かったかもしれない。
しかし良く考えると、あの当時は当時で、強い信仰心なんてなかったかもしれません、単に親や周りを喜ばせるためだったかもしれないけど、それなりに「少年JW」として頑張っていたわけで、もしそんな当時の自分に出会えるのなら『よく頑張ったね!』とヨシヨシ褒めてあげたいです。
『過去を否定すること』から『過去を受け入れること』
個々の人の状況によって、それができる人、できない人もいるとは思う。
勿論、そのあまりに酷すぎる環境や経験によって、一生JWを憎悪の対象にする方もおられることだろう。それが「間違っている」だの「正しい」だの、誰にも決める権利はない。あくまでも「個々の事情は異なり」ます。
でも「私の場合」は、『(過去を)受け入れる』ことは進歩だと思っています(思うようにした)。「なかったことにしたい」、「やりなおしたい」という気持ちが全て払拭されたというわけではないですが、ようやく「あれはあれでいっか」くらいに思えるようになってきた。「良い経験でした!」「貴重な時代でした!」とまでは、まだ言えないけど。(~_~;)(苦笑)
ま、精神的に余裕のある人は、この動画色々クリックしてみても面白いかもしれません。「あ~なんか懐かしいな~」とか、「今のけったいな賛美の歌よりよっぽどいいな」とか、そんな感想だけでもいいし、JWとしてそれなりに頑張ってた時代が走馬灯のようにグルグル回りだして、また新たな発見や気づきがあるかもしれませんよ。同時に「苦しかった思い出」も歌と共に昇華できるといいですね。(#^.^#)