リブログさせて頂きました。

高等教育に関する協会のダブルスタンダードについてブッタ斬る内容でした。

A会衆ではお咎めなし、B会衆では削除、そんな状態が横行しています。

なぜそのようなことが起こるのでしょうか?それが『聖書』に基づく指針なのであれば、当然全国どの会衆でも対応は同じ(一致)しているべきではないでしょうか。この点に関し、協会の指針はどうなっているでしょうか?どうぞご覧ください。

 

 

======================================

2012年5月6日

 

すべての長老団へ

 

2011奉仕年度の王国宣教学校で学んだ点の復習について

 


神による教育を追い求める:

兄弟たちの中には,ある程度の経済的安定を得たいと思って高等教育を追い求める人たちがいます。ご存じのとおり,教育制度は国によって異なります。米国の場合,パブリックスクールで12年間の基礎的な教育が行なわれます。日本の場合は,義務教育が9年間あり,その後ある人たちは高校に入り,高校を卒業後,4年あるいはそれより長く大学に通って学士号を取得しようとする人もいれば,さらに大学院に進んで医学や法学や工学などの分野の職に就こうとする人もいます。わたしたちが「高等教育」と言う場合,それは,そのような大学教育を指しています。―塔05 10/1 26-31ページ。

 

もちろん,教育はクリスチャンの生活の肝要な部分であり,わたしたちは教育を高く評価しています。教育により,物質的また霊的な面での責任を果たす備えができます。(テモ一 5:8)しかし,欺きの名手であるサタンは,高等教育を利用してクリスチャンを危険に陥れます。(コリ二 11:14)多くのクリスチャンの若者が,高等教育を追い求めた結果,惑わされて信仰から迷い出たり,不道徳行為に巻き込まれたりしています。特に,家庭と会衆の保護の下から出て大学の環境に身を置く場合,「信仰のために……戦いをする」ことは難しくなります。(ユダ 3)悪い交わりの危険があるだけでなく,高等教育によってエホバ神と聖書に対する信仰がむしばまれることも少なくありません。すべての人は,決定を下す前に,高等教育のメリットとデメリットを慎重に比較考量すべきです。補足的な教育を受ける場合,その目的は,物質的な必要を賄いつつ,できるだけ多く,できるだけ効果的にエホバを賛美してエホバに仕えることであり,クリスチャンはその点を銘記していなければなりません。―伝 12:13。

 

任命された兄弟は,教育に関しても,忠実な奴隷と統治体から与えられる警告に留意する点で模範的でなければなりません。(マタ 24:45-47)長老,奉仕の僕,開拓者である兄弟は,自分や妻や子どもが高等教育を追い求めているなら,そうした立場で仕える資格を保てるでしょうか。状況と,その兄弟が他の人からどう見られているかが,大きな要素となります。こうした場合に,長老団は以下の点と聖句を吟味すべきです。

Ÿ    ・その兄弟は,王国の関心事を第一にしていることを示しているか。(マタ 6:33)

Ÿ    ・王国の関心事を第一にするよう家族を教えているか。

Ÿ    ・忠実な奴隷が出版物の中で高等教育の危険について述べている事柄を重視しているか。(ヨ   ハ三 9)

Ÿ   ・ 話すこと,行なうことには,霊的な人であることが表われているか。(詩 1:2,3。コリ一2:13-16)

Ÿ    ・会衆からどう見られているか。

Ÿ    ・その兄弟や家族が高等教育を追い求めているのはなぜか。

Ÿ    ・家族として神権的な目標を持っているか。(フィリ 3:8)

Ÿ    ・集会に定期的に出席したり,野外奉仕に意味深い仕方で参加したり,他の神権的活動に携わったりするうえで,高等教育を追い求めることが妨げとなっているか。

 

長老団が祈りのうちに注意深く吟味した結果,その兄弟が,高等教育について組織の出版物が述べている事柄に対して積極的な見方をしており,会衆内の人たちからの敬意を失ってはいない,ということが明らかになるかもしれません。そして,高等教育が集会出席や宣教奉仕の妨げとなっておらず,その兄弟と家族が王国の関心事を第一にしていることが見て取れるかもしれません。そのような場合,長老たちは, その兄弟が仕え続けてよい,と判断するかもしれません。―テモ一 3:2,4-6。ヘブ 13:7。

 

一方,長老か奉仕の僕が,物質的な豊かさや地位を得る手段として他の人に高等教育を勧めているなら,会衆に仕える資格が疑問視されるでしょう。その兄弟も仲間の任命された兄弟たちもはばかりなく語ることができなくなるからです。(テモ一 3:13。テト 1:9)それゆえ長老団は,その兄弟にはもはや仕える資格はない,と判断するかもしれません。とはいえ,たいていの場合,そうした判断は巡回監督の訪問の際に下されます。当人が判断に同意しないなら,理由を書面にするよう勧め,それを巡回監督の報告に添えて送ってください。

 

当人が正規開拓者として仕えているだけであり,高等教育に関する当人の決定ゆえにその人にはもはや仕える資格がないと長老団が判断する場合は,通常の方法で当人と会衆と支部事務所に削除を知らせてください。

 

この点に関し,各長老は「牧者の教科書」3章15節の前の「任命された兄弟の資格について疑問を抱かせる状況」という副見出しの横に,次の文章を書き込んでください。「高等教育に関連して,任命された男子の資格を検討することについての指示は,2012年5月6日付のすべての長老団あての手紙を参照」。

======================================

 

 

協会の指針は、『大学に行く人間は資格について再考される対象となる。そしてその親も同様である。』というものです。『基本的にはふさわしくない』という明確な指針を出しています。この点はしっかり覚えておきましょう。個人が決めることです、良心上の決定です、とは言いますが、実際にこれまで得ていた何かを剥奪されるということは、事実上それはダメなことだ、と言っているのと同じだと言えるでしょう。

 

 

なぜダブルスタンダードになってしまうのか、一目瞭然です。

直接的な答えは、『聖書』の原則ではなく、『人間が設けたルール』だからです。…ってとこでしょうか。

 

 

『会衆からどう見られているか?』が重要なポイントなんですね。そりゃ、扱う人間によって、周りの環境によって変わってきます。不平不満が出るのも当然のことです。例えば、会衆の主催監督とその家族が高等教育を諦めて、いわゆるJWエリート街道を歩いてきたような人物なら、当然大学に行くなんて霊的ではない、と判断するでしょうし、自身も大学を出ていたり、家族の誰かも学歴もっているような人であれば、そのメリットを知っているでしょうから、注意喚起はしながらも、全否定するというスタンスではないことでしょう。ほら、もうこの時点で、大きな差が開いていますから。ここからその人が霊的か?なんてことを調べたとしても、不公平でしょうね。

 

 

もう少し突っ込んで考えると…

もっと根本的な原因といいますか、大勢の人が納得しない部分があります。つまり『高等教育の禁止』ルールが、あたかも聖書的な決定に基づくものである、と勘違いさせていることです。教育をどこまで受けるべきか、そして大学に行かない人は『霊的』で、行く人は『物質的』などと、聖書のどこに書いてあるのでしょう。

 

 

我々人間に与えられた命令は、『神と隣人を愛しなさい』ただそれだけではないでしょうか。

 

 

もちろん、JWもでっかい組織です。他の団体、企業、会社と同様、人間が作り上げた組織です。秩序を保つために、またその組織の中で出世するためのルールというものはあってもいいとは思います。ですから、このJW世界という社会でドンドン出世したいのであれば、高等教育はどっぷりと宗教活動をするための妨げとなる、組織の中で出世する人間は全時間宗教活動をする人間でなければならない、とルールをきめるのであれば、それはそれでいいんじゃないですか?しかし、そのルールに聖書の原則や指針を強引に導き出そうとしたり、ある聖句に無理矢理紐付けしたりするべきではないでしょうね。あくまでも『組織のルール』であることを強調する必要があるでしょう。そこを曖昧にして、いわゆる『聖書の教え』と『人間の教え』を混ぜ込んでしまったが故に、ダブルスタンダードが起きたり、周りには妬みや嫉妬、自身には、罪悪感などが生まれてしまうのだと思います。

 

 

大学を行かない人が、組織の中で用いられる、褒められる。100歩譲ってそこまではいいですよ。でも、大学に行くという選択をする人に対して、『霊性が低い』『物質的だ』『サタンの世に頼っている』『あまり親しくするべきではない』といったレッテルを貼って、その人を蔑むようなことはするな!と言いたいです。

 

 

高等教育を選択すること自体が資格に問われる、というのはおかしいです。

 

大学に行った結果、例えば集会に来れなくなった、奉仕に出れなくなった、素行が悪くなった、そういう状況が発生した時にはじめて、その資格について審議なり再考されるべきでしょう。大学に行ったから、行かせたから、資格があるとかないとか…そんなんするからダブルスタンダードが起きたり、依怙贔屓が入ったり、ここぞとばかりにバッシングをしたり、そんなトラブルが増えるんですよ。

 

 

 

 

ま、あと何もわかってないな…と感じるのが、この手紙にも書いてあるけど、大学に行ったら信仰から迷い出て、不道徳行為に巻き込まれる?親と会衆の監視から外れるとロクなことがない?

 

なにをバカなこと言ってるんだろうね。

 

いつも言ってるけど、JWという道が好きであるならば、大学にいこうがどこにいこうが、聖書的に反するような行動はしないだろうし、集会や奉仕が好きなら、勉強やバイトの間をぬってでも参加しますって!だって好きなんだもん。ご飯は絶対に食べるやん。それと同じ。

 

 

集会に行かなくなるの?奉仕しなくなるの?

面白くなかったからじゃん。魅力的じゃなかったからじゃん。それだけのものを宗教が提供してなかっただけじゃん。なんでもかんでもこっちにせいにすんな!そしてそれを高等教育のせいにするな!原因はお前らじゃ、少しはわきまえろ!と言いたいです。自分たちは全く間違ってない…とかって思考、ここまでくると脱帽ものですね。

 

 

ま、こんなことを言うとJWはすぐに、大学の環境はそうした霊的な食欲を奪いかねないほど酷いものなんだ!と騒ぎますけど、そんな環境の変化だけで信仰が崩れ去るのであれば、その人は元々信仰心がないのであり、JWとしては不向きだっただけなんですよ。そんな人に無理矢理JWを続けさせてどうするの!?一生、親や長老、会衆、組織の監視下においてその人の人生を決めてしまうのが宗教の役割なんですかね!?違うでしょ。なにかしらの悩みをもつ人が、そしてなにかしらの感謝の念を持つ人が求めるのが宗教であって、そういう人を迎えてあげること、そしてまたその人が自分で立ち、元気に自らの人生を楽しめるように手助けをしてあげること、それが宗教の役割だと思いますよ。ま、起源的な意味合いでいうと違うのでしょうけどね。この現代において、そして例えばこの日本においては、宗教なんてそんな立ち位置でいいのだと思います。その宗教がないと生きていけない、って状態に人を縛り上げてしまう宗教はそれはもはや宗教ではなくカルトだと思います。麻薬漬けと同じだわ。

 

 

きちんと大学いってもらって、しっかり就職もしてもらった方が、寄付額も増えると思いますよ。収入のいい仕事に就いてもらって、某教団のように『什一制』でも投入した方が、資金難から脱却できるんじゃない!?早く方向転換すれば?(笑)ま、そんなことしたら信者自体が減っちまうか!(爆笑)