私、あんまし(殆ど、ともいう)jw友達いないんですわ。(^_^;)

以前に親との会話で噛み合わなかった話題がありました。それはタイトル
にあげた3つの言葉。ま、私が長老について「所詮、赤の他人」と言った
一言だったのですが。私の主旨は、個人的な問題は自分で解決しろよ、と
言いたかっただけなんですけど、理解されなかったようです。

ところで、jwの方(←お前も現役だろ!汗)たちって、この3つの言葉を、
ごちゃごちゃに使ってません?


兄弟姉妹なんて言葉は所詮、単なる敬称ですよ、ハッキリ言って。
霊的な意味においては、実の兄弟姉妹以上に身近な存在ですって

言いますけど、そんなん怖いし。

でもそういう考え方がお花畑思考を刺激して快感なのかな?!


「仲間」は、共通の目的の為に集められた、そこに何かしらの利害関係が
ある関係ですよね。会社のプロジェクトだとか、スポーツチームだとか。

「友達」は、利害関係なく、個人の目的や主張が違ってても、心を許せる
人たちのことだと、私は思っています。

『仲間』は心が通わなくても『仲間』になれます。


『友達』は心が通わないと『友達』になれません。


jwは「仲間」な関係です。同じ目的がありますから。だからこそ、そこに
集う人間一人一人は、ポーカーフェイスな訳ですよね。同じ「仲間」だから
喋る、同じ「仲間」だから許す、逆に、同じ「仲間」だから個人の見方は
排除する、同じ「仲間」だから裏切り者は排除する、ってことです。


ですから「仲間」と「友達」は基本的には相容れないものです。まして
「兄弟姉妹」などと呼ぶなんてできないものだと思います。
もちろん、仲間から友達になることはありますが、そこに仲間というものが
存在する限り、その人とは本当の意味では友達ではないといえます。


「仲間」だったから、排斥して忌避することができるんです。
「仲間」だから、共通の目的に相反する考えを抱いているのが
わかったら、いとも簡単に避けたりチクったりできるわけです。
本当の「友達」や「家族」だったら、そんなことできるわけないんですよ。


でもjwの皆さんは何か勘違いをされていて、「仲間」の本来の定義を忘れて、
仲良しごっこを装っているんですよね。それが最強の愛とかまで言い出すし。
でも、そのことに気付いたら、集会や大会なんて、滑稽というか怖いというか…。
見てられないですね。どんだけ友達や親友と呼んでも、明日排斥されたら、
忌避してしまう人間の集まりですから。


wtは本当に大きな罪を犯しています。「仲間」を最優先させ、「友達」や

「兄弟姉妹(家族)」を、それより下に定義付けますから。
人にとって本来大切なものを事実上うばっているわけですからね。

それに本来「仲間」ってのは、限定的に使うものです。会社の中だけ、

チームの中だけ。もしくは一定の期間。


しかしjw的な考えでいくと、今も24時間中、そしてこれからも永遠に渡って
仲間なわけです、神のもとに集められている、と主張する限りは。
そう考えると怖いです。楽園に行っても、ずーっと「仲間」に制約される生活が
待っているなんて。誰にも心を許すことなく、自分の主義主張は排除し、

果ては自分自身さえも排除して、jwの目的の為だけに生きていかないと

いけないなんて。


そんなんだったら、私は、そんな監獄楽園ではなく、今、ここで一人の

友達を見つけることを目標にしたい。


人と人が心と心をぶつけ合ったりシェアしたりして、一緒に笑ったり怒ったり

したい。人として生まれた以上、人として生活を楽しみたい。


そう思うと『仲間』って言葉は一歩間違うと怖いものです。
会社の中で十分ですよ、仲間は。



※余談ですけど、誰かの記事で仲間はバイキルト、仲間はベホイミ、と例えていた

人がいましたけど、なんかわかるようなわからんような例えですけど、言いたい

ことはわかります。笑 
なるほど、さらに踏み込んで考えると「仲間」制度はドラクエで十分ですね。(´∀`)


そんなことを感じる今日の気分でした。皆さんは、この三つの言葉、どう
思われますか?