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最近はネット上でのトラブルが多いそうです。その一つは

個人情報の漏洩です。JWネタで書いている我々にとっては

とても大切でデリケートな問題です。それで…

『コメント欄は承認制にしてください!』

『‘〇〇さん、どんな人?’の質問に警戒する!』

それは自分自身と他の人を守ることになります!

その意識を忘れないようにしましょう。今一度、設定の確認を!

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では、本題に入りましょう。主題は、


『可能性を十分に発揮できるよう他の人を助けなさい』

-詩32:8 私はあなたに目を留めて忠告を与えよう。


何か、嫌な雰囲気がする主題です。また援助と言う名の

過干渉をして、人の心を傷つけ、壊そうとするのでしょうか。



①エホバはご自分の僕たちの可能性をご覧になります。

そのことを示すどんな聖書的な例がありますか?

②他の人の良い点を探すようにすべきなのは,なぜですか?

③若い兄弟たちや最近バプテスマを受けた兄弟たちが可能性

を十分に発揮できるよう,どのように援助できますか?



◆深く考える前にいきなりツッコミどころが…



(p.28-1節)

親は子どもが遊ぶ姿を見て,その生まれつきの能力に,

しばしば目を見張ります。あなたにもそうした経験がありますか。

スポーツの得意な子もいれば,絵や工作の好きな子もいます。

子どもがどんな才能を持っているにせよ,親は子どもの可能性を

最大限伸ばしてやりたいと思います。



→普通の親だったらね!でもJW親だったらどうなんですか?

 生まれつきの能力や才能、可能性を、木端微塵に砕くんじゃ

 ないんですか!?

 どうせ、条件付きなんです。『JWの道を歩むなら』という。

 親はこのように言うんです。

 英語が喋れたら、外国での奉仕ができるわ♪

 ピアノが弾けたら、開拓をしながら自活できる術ができるわ♪

 サッカー?それは将来に役にたたないものだからやめなさい♪

 そう、2世は1世の親から『JWの道を歩むなら』愛情や保護や

 援助を受けれる、という宿命におかれているのです。


 親の愛は無条件のはずです。社会的に反することをしない限り

 子どもには好きな事をしてほしいです。私も親としてそう思います。

 本来、無条件で受けれるはずの愛情を盾にとって、こどもに

 人生の選択をさすのは、公平なことでしょうか?愛がありますか?



◆組織にとって役に立たない資格や能力、特質、才能、可能性は

全て認められないことがよくわかります。そんなものは捨てて

しまえ!と言われてる気がします。

(p.30-8節)

良いインストラクターが初心者を手取り足取り指導するように,

エホバは,わたしたちが可能性を十分に発揮できるよう導いて

くださいます。その際,仲間の兄弟姉妹をお用いになることも

あります。



→エホバはそうされるかもしれませんが、上層部は実際は

 私たちに自由な意志を持つことを許さず、手枷足枷をはめ、

 操り人形にしているのが実情です。仲間の兄弟姉妹を使い

 監視させ、密告させるのです。



◆この記事では若い兄弟とバプテスマを最近受けた兄弟に

対しての内容となっています。

彼らが会衆内で、自分の居場所を見つけれるように…との

願いが表れています。

しかし、よく考えてください。献身しバプテスマを受け、

晴れてクリスチャンとなった人達なら、会衆内での自分の

居場所がどーのこーの…ということではないと思います。

10節を読んでいて頭が???になりました。

(p.30-10節)

関心を払う必要があるのは,特にどんな人たちでしょうか。

もちろん,特別な関心を払ってもらいたいと思う時は,だれに

でもあります。しかしとりわけ,若い兄弟や最近バプテスマ

を受けた兄弟にはそれが必要です。兄弟たちは,自分は会衆

の活動に貢献していると感じる必要があるのです。そのように

感じると,自分には確かに居場所がある,と思えるようになる

でしょう。一方,自分たちの仕事は感謝されていないと思うなら

より大きな責任をとらえるようにとの,聖書の勧めにこたえ応じ

る意欲は,そがれてしまうかもしれません。



→何か…レベル低く思えるのは私だけでしょうか?

 たしかに、自分が役立ってる、貢献している、という感情は

 人としてある程度は必要だと思います。何か小さなこどもに

 お手伝いのお当番をさせて、褒めてあげる…そんなレベル

 じゃん!って思いました。居場所があるからJWやるん

 ですか?誰に献身したの?誰にも認められず、誰にも

 褒められることがないとしても、神との個人的な関係によって

 強められているから、そんなもの関係ないんじゃないですか?

 たった1人だったとしても神に仕える、そんな決定なんじゃ

 ないの?バプテスマ受けたんだったら。

 ※ま、偉そうに言えませんけどね、自分にはそんな覚悟も

 なく何の理解もせずまま、バプ受けちゃいましたから。



◆褒める事は義務?

(p.32-17節)

兄弟たちが割り当てを上手に果たしたり,人一倍の努力を

払ったりしたときに必ず感謝を述べるなら,いっそう十分

エホバに仕えようという気持ちになります。フランスのベテルで

長年奉仕しているシルビーは,姉妹たちも兄弟たちを褒める

ことができる,と述べました。シルビーによれば,姉妹たちは

兄弟たちの払った努力に対し,女性独自の視点で感謝できる

ので,姉妹たちの「励ましの言葉は,経験ある兄弟たちのコメ

ントを補うことができる」のです。シルビーはさらに,「わたしに

とって,褒めることは義務だと思います」と言っています。



→「義務」ねぇ…。翻訳のミスだと思いたいんですけどね…。

 字義的なことはわかりませんが、一般的に「義務だから」って

 言葉はあまりいい意味では使わないですよね。義務だから

 〇〇する、嫌だけど〇〇しなければならない、って感じで。

 でもやたらと、集会の注解では義務って言葉にみんな反応

 してましたねぇ…。そういう意識を持ちたいと思います!

 みたいな。 嫌々、義務感でお礼言われてもねぇ。

 私、割り当てを果たした直後のラブシャワーが、最近苦手で

 その日はアーメンダッシュはできないから、すぐに助言もらって

 なるべく顔合わさないようにして帰るんですよね。

 なんか言ってくる人たちの表情から、何かを感じ取ってるの

 かもしれません。後日にお礼を言ってきてくださる方は、

 本当に聞いてくれてたのかなぁ…と思って、ちゃんとお話し

 して、こちらこそ、と挨拶させていただいてますけどね。

 褒める事は、自分の務めの一部だと思います。とか

 褒める事は、自分ができる感謝の方法の一つです。とか

 何か言い方あるでしょ。


→それにね、そんな仕方で褒めるなんて当人の為には

 な~んもならないと思いますよ。天狗にさせるか…

 心を消滅させるか…その2つしかないですね、先は。

 若い兄弟は若い兄弟らしく、背伸びせず、できることを

 やっておけばいいんですよ。見てる人は見てるんです。

 無理やり褒めなくたって、褒めたい!と心から思うんです。

 義務ではないと思います。




◆しかもそのように褒めてあげる、認めてあげる理由その

ものがいやらしい…結局、上層部は我々をコマの1つにしか

思っていませんよ。自ら認めています。



(p.32-19節)

今日,大勢の人たちがエホバを崇拝するようになっています。

この組織の中で指導の任に当たる資格を持つ兄弟たちが

必要です。ですから,長老だけでなく,会衆の成員はすべて,

若い兄弟たちや新しい人たちが可能性を十分に発揮できるよう,

援助しなければなりません。そうすれば,いっそう多くの人たち

が全時間宣教を始め,いっそう多くの兄弟たちが「資格を得て

他の人々を教える」ことができるようになるでしょう。



→はいはい、結局は組織繁栄の為に良いところを褒めて

 伸ばしてあげましょう、ってことですよね。

 若者個人のことなんて、これっぽっちも思ってないですよね。

 組織の為にならない事をしてたら、模範的でない、という

 烙印が押されるんですよね。

 進学はダメ!

 就職はダメ!

 趣味はダメ!

 若者個人が幸せになったら困るんですよね!

 組織に役に立たないと、若者の存在価値はゼロなんです。



若者の将来や可能性をことごとく

ブッ壊して、ロボットを大量生産

してるのは、どこのどいつだ!

( ̄へ  ̄ 凸



今週の目立った点は以上です。