別に伝言板に書かれた仕事の依頼ではないです。w




私が好きなものを『X』だとしましょう。


Aさんが好きなものを『Y』としましょう。


Bさんが好きなものを『Z』とします。




『Z』が絶対というBさん。Aさんに詰め寄ります。


【何で‘Y’なんて好きなの?‘Z’が1番だよ!】


Aさんは答えます。


【そうなんだ、アタシ‘X’も好きだし、‘Z’も好きよ】




Bさんは私にも詰め寄ります。


【あなた‘X’と‘Z’どちらが大切なの?】


私は答えます。


【どっちも】


さらに私に追い打ちがかかります。


【‘X’の方が魅力的なんて、あなたの目が腐ってるのよ!

見方を変える必要があるわ!】



わけがわからない例えですね、すいません。


Bさんは自分のマイコン親を差し、ZはJWの道を意味

しています。私は私、Aさんはもう一人の私を指しています。


親との会話をわかりやすく表現したつもりですが、余計に

わかりにくくなってしまいましたが、書いてしまったので、

このままでいきます。


要はBさんの狭量のなさを強調したかっただけです。

この会話(※)で、頑固でかたくななのは誰でしょうか?


Bさんと言ってますが、もちろんこれは自分の親だけを

差すのではなく、JW社会の人々全体を差します。


こちらは何も‘Z’を否定してないんですよね。

こっちも好きだけど、そっちも好きだよ、別に嫌いじゃないよ、

という気持ちは伝えているわけです。

しかしBさんが1人‘Z以外は認めない!’って言うんですよね。


‘X’も‘Y’も‘Z’も共存してもいいじゃないか!?と言いたい

のです。別に罪なことをしているのではないのですから。

王将の餃子が好きです、でもスタバの抹茶クリームフラペチーノも

好きです。   「どっちが好きなの?」   「どっちも!」

ダメなんですかね?こうゆう考え方。


どちらが好きだとか、ふさわしいとか…同じ土俵に乗せて

全て比べるのがおかしいと言いたいのです。






はぁ…疲れるな。永遠に続くのかな…こんなやりとり…。


もう私がX.Y.Z(もう後がない、の意)ですわ。





(※)これは例え話で、結局このような趣旨の話になったという

ことを記号で表しているだけなので、文字通りにこのように

発言しあったという意味ではないです。