子育て支援センターみぬまでは、「子育てセミナーみぬまっく」+オンライン♬ を毎月1回開催しています。
2022年4月・5月・6月の3回の新テーマは
「“おくち”からはじまる、ステキな人生!」
赤ちゃんは、生まれると、泣いて、飲んで…懸命に生きようとします。なめたり、くわえたり、いろんな声を出したり…。赤ちゃんや子どもたちが”おくち”でしていること、とても大事なことに思えるし、ただ、”おくちだけ”でしているのでもなさそうです。
今回は、PART①として
「思いっきり!しくしく・・・。“泣く”ってどんなことだろう?」のテーマで、”泣く”ことを考えます。
こちらは、生まれて1時間足らずのMちゃんとOさんです
一人ひとりの赤ちゃんが持つ、それぞれの大切な誕生の物語
W)「お口からはじまる・・」が大テーマなのですね?人の一生は生まれ落ちて、まず「泣く」ことからはじまっているともいえるし、お口で乳首を探して、吸って(吸てつ反射)――だったりですしね。
生まれてまもないMちゃん(このときはまだお名前はなかったそう)。まず、Mちゃんが泣きかけ、ママが応えて・・、そうしてもうやりとりになっている。「赤ちゃんだから、まだ何もわかっていない」と思われがちだけれど、けっしてそうではないことを伝えてくれてもいる貴重な映像ではありますね。
もちろん100人の赤ちゃんには100の誕生の物語があって。早い遅いというのも、比較ではなくて、それぞれその子の大切な物語だと思います。
赤ちゃんは、その人生の出発のときから、それぞれとても個性的だし、ときには、むずかしい状況のもとに生れて、懸命にいのちをつなぐ赤ちゃんもいるでしょう。私自身その当時のことばでいうと「月足らず」で生まれてきて、どんな泣き声だったのか、泣くことができたのだろうか、母を早くに亡くして、きかずじまい・・。どんな人生の出発も、もしそれがとても短いいのちであったとしても、そのいずれもが大切で、とてもいとしいものに思います。
以下は、その上での、いくぶん概観的なお話しということになります。
K)小さい身体から、生命力が感じられる大きな泣き声…。百人ぐらいに向けて泣いてるんだって聞くと、納得です。
赤ちゃんは、ワンオペ育児を想定して生まれてきてはいない
W)現在地球上で、人類は私たちホモサピエンス一種類で、アフリカで生まれたと言われてるけども、そのあたりのサンという人たちが、つい最近までサバンナ(潅木と草原の乾燥した地帯)でしていた暮らし方が、大きくて百人ぐらいの規模の集団をつくって生きていて、どこの誰とかいうのもみんな分かってる中で、子どもを産み育てていたのですね。その人々は、ワンオペの育児というのはもともと想定されていなくて、泣いたらそばに居る人が対応するし、人の子どもなんだけども、自分におっぱいが出るときは、その時自分のおっぱいをあげたりとか、ごく自然にやっていて。
もともとはヒトは弱いいきものですから、生まれてすぐに「わーん!」と大きい声で泣いたりしたら、ライオンに襲われて、お母さんも危なくなるし、生きていかれない。そういうことからちゃんと守られているある集団の中に生まれて、そしてその世界の人として大きくなっていく、そういう種として進化してきているのではないでしょうか。
ヒトの赤ちゃんは、もともとワンオペ育児を想定して生まれて来ていないようにも思います。
K) 子どもが生まれたとき、なかなか泣かなくて心配して、少ししてほぎゃあと泣いたとき、泣いた…ととてもほっとしたのを覚えています。ただ、少しすると、泣くイコール母親である私に向けて、何かを要求しているように聞こえ、おなかもいっぱいだし、おむつも替えたし、あと何をすればいいのよ!と、しんどくなっていたなと思います。近くにいる私に向けて、の泣きでもあったけれど、それだけでなく、生きてるよ!の泣きだったり、もっと多くの周囲にいる人に向けての泣きでもあったのですね。
今回、「泣く」ことをテーマにしたのは、生まれたときには本当にうれしかった「泣く」ということが、子育てしていくうちに、違った受け止め方になっていったことを思い、改めて、赤ちゃん・子どもからすると、「泣く」ってどういうことだろう、と考えたかったのでした。
W)支援センターみぬまでも、新型コロナの流行前は、この子育てセミナーも、希望すれば保育者さんに子どもさんを預けて受講できる、保育付き講座でした。そうした保育の現場でよく見られる光景なのですが、お預かりしたお子さんが大泣きしてなかなか泣き止まないことがあります。そんなとき、見かねて別の保育者さんが「代わりましょう」と言って手を出すと、たいていもっと大きな声で泣いて、拒否されます。「せっかく、この人に泣いているのに!」というわけです。「泣いていいよ。大丈夫だよ」、それが支援センターみぬまの保育。泣き方もだんだん保育者さんとのやりとりのようなそれに変わっていって、やがて他のこどもたちの様子も目に入り、いつしか自分も遊びはじめて・・・。赤ちゃんこどもたちには、適切な対応をしてもらえれば、保育者さんやその場といい関係をつくっていく、いこうとするチカラがあるのだと思います。そのとき、ママならママとの関係とはちがう、それはそれで豊かな関係を得たともいえますね。
赤ちゃんのチカラ
――この人と、生きていく。
W)ヒトの赤ちゃんは、最初からたくさんの人々でつくる共同の世界(社会)のひとりの人として生まれてきている、そういえそうです。
そしてともに生きる、もっとも身近な人にか細い声で泣きかけていくのでしょう。
お母さんという存在は、たぶんお腹の中の続きとして、たよりにしている関係ではたぶんあって、生まれてまもない赤ちゃんが、自分のお母さんが呼びかけるのと、他の女の人が呼びかけるのとでは、反応が違うという報告があります。ママの方により多く反応したり、発声したりするということです。また、生後24時間以内の赤ちゃんを対象にした研究で、自分のママの声を、胎内にいるときママとよく話していた看護師さんの声とはっきり識別しているという報告もあるようです。
Mちゃんとママとの映像も、そうしたことを示唆してくれているのかもですが、お腹のなかにいるときから、赤ちゃんは、ママとなんらかの“やりとり”をしはじめている可能性もあるし、そんな感覚をお持ちの方もおられるかもしれません。
だから、どうしても母親である自分に向けて泣いてると思うし、自分に泣きかけてきている。たしかにそういう関係なのだと思うけれども、たぶんそれだけなくて、母子を見守ったり、バックアップしたり、あるいは必要なときには母親にかわって世話をする存在をも含んだ集団の中で生きることを想定して生まれてきているのかもしれない。
少なくとも赤ちゃんは、あとさきを忖度することなく、ひたすら生まれてきた「いま、このとき」を生きているし、生きようとするでしょう。そうしたいのちそのもののチカラをもって、真っ直ぐに生き、生きようとしているのだと思います。
仮に、何らかの事情で産んでくれた人が対応できないということもないとはいえない。慣習として乳母制度など文化としてもつところもありますし、お母さんが子どもを産んで亡くなってしまうことも・・。そうしたとき、ちがう人がその小さないのちを引き受けていくことになるけれども、その時に赤ちゃんの方は、ちがう人だなって分かるとしても、きっとその人とやっていく、そうして「いま、このとき」を引き受けていこうとするのではないだろうか。
生まれたばかりだから、赤ちゃんだから、まだ何もわかっていないというのではなくて、たぶん私たちの方が、まだ赤ちゃんのことをよくわかっていないのだと思います。どの赤ちゃんも、ひとりの人として、いっしょけんめいに生き、生きようとしている。この人といっしょに生きていく、そういう関係をつくっていこうとしてくれているのではないだろうか。そこまでを含めて赤ちゃんの地力って本当に曇りないというか、とても率直なものなのだろう、そう思います。
次回は、「なめる、かじる、時にかみつく…どんな気持ちでやってるの?」より、2歳の子のケースをお送りします
10月の子育てセミナーみぬまっくは、
25日(火)10:00~11:30に開催
テーマ
「赤ちゃん・子どもが、はじめての世界に出会うとき」
10月「集まれ!“はじめて”の〇〇!」
支援センターから、あるいはZoomから、ぜひご参加ください
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子育て支援センターみぬまブログ みぬまっくワールド編集室
(関昌美(S)・加勇田久美子(K)、 アドボケーター:渡邉寛(W))
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