偶然目にした動画(おすすめとか)で何か気になるものがあったら、それはチャンスです。
自分の中にも同じようなものが「潜んでいる」ということが解りました。
先日「木花咲耶姫さんとニニギさんの物語」が突然出てきて、ポチリと押して見ました。
恋に落ちて一夜で愛し合い、しばらくぶりで会ったらコノハナさんが身籠っていることを知ったニニギさん。
えっ??それ誰の子???みたいな感覚のニニギさんに、自分のまっすぐな愛を疑われたコノハナさん。
怒って自分の愛を証明する為に火の中に入り元気な子供を産んで、彼女はいなくなった。
そんなお話だったと思います。
私が今世でずっと持っていた感覚に、自分の子供を産むなら「望まれた環境で産みたい」という思いが強くありました。
その為に望まれない環境で出会う人は、無意識下で悉く避けてきた。
彼女がいる、結婚している、そんな出会いは論外だ!
そう思ってました。
でもずっと出会う人は「私がその縁を避けてきた人たち」でした。
ここを見る為に、私が自分で設定して引き寄せた現実でもあったのです。
望まれない環境下で産んだ過去生があったからこその、今世での「望まれた環境を選ぶ心理」でした。
私の中にもコノハナさんの物語と同じものが確かにありました。
疑がった相手に怒り、そして自分の身を危険に晒した過去の自分を許せなかったのだと気づきました。
よくカードで「許し」が出ていたのも頷けます。
今こそ相手や自分を許して、この怒りを愛に変えるビッグチャンスです。
さらに興味深いことに、私の中にニニギさんもいました。
離れているからこそ、いつも「私以外の相手と仲良くしている彼の姿」を目にしてました。
だからこそ疑ってしまうのです。彼の愛は、私へ向けられている愛ではないのではないかと。
ニニギさんが離れているからこそ、自分の子(愛)ではないと疑っていたように。
目に見える現実だけで判断していたのですね。
今なら解りますが、自分が見ている現実は「自分の心が映し出している心の現れ」です。
見えている現実だけが真実ではありません。
自分がどう感じているかが、自分の今の現実を創り出しているのです。
この深層心理は「私が私以外の相手(外側)と仲良くしているのを見ている本心とも重なります。
いい加減に自分の方(内側)を見てという悲痛な叫びでもありました。
以前「助けて、寂しい」という自分の声を、耳にしていたのですから。
相手(外側)を見て、相手によって動かされる心は他人軸になってます。
ニニギさんもコノハナさんも、他人軸によって「相手を疑ったり、怒ったり」していたというお話でした。
ここで向き合うのは自分自身の心なんだと気づいた時に、ある仮説が浮かんできました。
木花咲耶姫の姉は磐長姫で、ニニギの兄はニギハヤヒだという説があります。
この兄弟姉妹は自分の魂のハイヤーセルフ、ロウアーセルフみたいな魂の兄弟姉妹なのではないかなと。
ニギハヤヒと、永遠の命を持っていた磐長姫こと瀬織津姫さんは、両性具有の一つの存在だったのかもしれない。
そこから男性性と女性性に別れて二人の男女が生まれた。
二人とも見えない部分では魂で繋がっている。
でも見える部分しか見ないから繋がれない。
それがお話のニニギと木花咲耶姫の魂だとすると、誰の魂の中にも4人は上下で存在している魂のファミリーと言える。
皆それぞれが統合して一つとなり、源へと帰っていく。
だから自分の内側へと入って統合していくことで、結局は自分も皆も同じだと感じるようになるのかも。
ニニギ(22の気)と兄(23)のニギハヤヒ。
1代限りで美しく輝く花の木(気)と、永遠の命の岩の気。
見える部分で美しさを判断するか、見えない部分も含めて見てさらに豊かさに気づくか。
ニニギさんとコノハナさんが夫婦(22)の始まりで、イザナギさんとイザナミさんの話とも繋がってくる。
どれも自分の中を統合して22 → 23へと昇華して、さらに源へと帰る魂の次元の旅を続けるお話に感じた。
今私が見ているのは「自分へ向ける愛」。
そしてさらに、自分の中にある未消化の部分が浮き彫りなった。
その話は長くなるので、次にお話します。