意識の向け先 | 内側の宇宙

内側の宇宙

人は誰でも内側に小宇宙を持っているそうです。
自分の宇宙。
それを探求したくなりました。
小宇宙の旅、スタートです。

今朝微睡んでいる時に見えた映像。

「小さな箒と塵取り」があって「箒で掃いて、塵取りに入れている」そのズーム映像を見てた。

その様子をガン見している感じ。

そしてハッとして、後ろへ意識が下がって行く時に「箒と塵取り」が静止画になってた。

この静止画の情報は見ているのではなくて、視線の片隅に捉えてる感覚。

この「動いていた映像」と、「止まっている静止画」の2パターンが凄く印象深かった。

集中してモノを見ている時は動いていて、自分軸に戻る時は見ていたモノが止まってた。

向けている意識の先にエネルギーが注がれる。動力エネルギーの仕組み?

見ているモノを動かしているのは、紛れもなく自分の意識エネルギーということなのだろうか?

そして自分のエネルギーは、自分に注ぎなさいというメッセージにもとれた。

私が動けないのは「どこへ動いていいか解らない」からではなくて、自分の方へと意識エネルギーを向けていなかったから?

意識をどこに向けて見ているかで、起こる現実が変わる。

よく「境界線を引く」というカードが現れてた。

意識を自分軸に置いたままで、周りを見るという状況を今学んでいる。

確かにこの状態だと、周りの変化にも左右されない。

なので意識や感情のアップダウンが起こり難い。

 

この映像を見た後に、高校時代の「ある出来事」を思い出した。

体育の授業でマラソンがあり、学校の外回りを走ってた。

そして後半あたりから「ゾーン」に入ったような感覚があった。

全然苦しくないし、息も切れない。

坂道も平気で走っていられて、とても不思議だった。

ゴール手前の坂の途中で先に走ってた子が休んでいた。

どうやらそこがゴールだと思っていたみたいで、私が「あっち」と指差して気付いたらしい。

彼女はまた走り出したけど、一度切れた集中力は続かなくて苦しそうだった。

一緒に走っていても、なんとなく先にゴールしたのは彼女だし。。という遠慮みたいなものが私にもあった。

だけどゴール先で集まってた先生達が一斉に「頑張れー!!」と叫んで、遠慮して走っている私を見て声をかけてた。

その声を聞いて私も次第に本気で走ろうと思ったら、彼女を抜いてしまっていた・・・

その後で、クラスの友人が驚いて私に「1番だったの?凄〜い!」と褒めてくれたけど、素直に喜べなかった。

彼女の勘違いだとしても、先に来たのは彼女だったしという後ろめたさがあったから。

そして彼女も悔しそうに私の事を言っていた。実力で1番ではなかったというような感じ。

それからは私の「触れたくない思い出」に変わっていた。

封印してしまったね。。。

 

この思い出と今朝のイメージ映像は、繋がっていると感じた。

相手の立場から私を見たら、後めたさを感じてしまう。

でも私は相手ではないので、その見方は「手放す」。

見ている距離を後ろに下がって、自分の方に意識を戻して見たら、今度はどう見えるだろう?

昔の思い出にアクセスして、「今」の私が、傷ついたあの頃の私自身にかけてあげられる言葉。

 

よく完走したね。最後まで全力で走ったね。

エライね。あなたは素晴らしいよ❣️

おめでとう❣️

 

このブログに、私の中心から湧き上がる愛を表現する。

これが私の愛の表現による「現実創造」です。

自分で過去の自分を癒す。

愛の力で溶かす。

 

どうもこの話は「うさぎとかめ」に似ている。

ゴールって、もしかして突破なのかな?

人それぞれの真実があって、自分の中に愛を見つけて、それを内側から表現してゴールみたいな。。。

あー。。。

私の場合は、心の壁の突破みたいに感じた。

ゴールするまでは何が起きるか解らないからこそ、最後まで諦めずに全力で走ることの大切さ。

思い込みを捨てる事の大切さ。

相手へのコントロールを手放す大切さ。

いろんな宝物が詰まった思い出だった❣️