高校訪問 | われは河の子

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函館に新設の予備校○○アカデミーを設立して、事務局の私たちの仕事は、教室で教えること以外のすべての業務をやりました。

 もちろんメインとなるのは受講生の募集と契約でしたが、募集に関しては地元紙である北海道新聞を中心にほぼ毎週広告を打ちました。

 その広告原稿は、母体である札幌校のメンバーがやってくれたので、函館校としてはノータッチで済みましたが、受講生を集めるだけではなく、講師の募集もしなければなりませんでしたし、高校訪問という仕事もありました。


 これは函館市内だけではなく道南全域の高校を大体年に2回訪問して、進路指導部の先生と情報交換をし、当校の模試を受けてもらったり、翌年度の看護学校進学希望者や公務員試験受験者に受講をお勧めしたりするもので、開講当初は唯一の男性職員だった私がおよそ3年にわたって担当しました。


 まずは母校である函館C高校を訪れました。

 私がいた頃とは校舎が建て替えられ、すでに母校とは呼べない感じでしたが、幸い進路指導部顧問の先生は、私が3年生の時の副担任の化学のトクヤ先生だったので、歓待してくれました。

 しかし、わが母校は枯れても道南随一の進学校でしたので、就職系の看護学校や、公務員試験に特化した予備校にはお呼びがないようで、その辺は適当にあしらわれましたし、私が仙台校に転勤するまで、母校出身の受講生は1人もいなかったはずです。


 弟が卒業した市内の函館K高校に行った時には、弟の話をし、彼はいわゆる「日東駒専」を出ているのですが、そのことを話すと進路の先生に「そんな優秀な大学に進んだのはウチでは弟さんが最後になったと思います」と言われました。

 その高校も合併して現在はありません。


 高校生の時に憧れていた女子校に堂々と入ることができたのはラッキーでした❣️

 特に私立函館I女子は、キリスト教系で、特に旧宣教師館と本館は、国の重要文化財に指定されているほどの歴史と風格を誇っていましたが、そこに大手を振って入れることと、そこからは多くの受講生が入学してくれましたので、良いお付き合いをすることができました。


 函館I女子 旧宣教師館(ホワイトハウス)


 道南の江差高校に行った時は進路の先生が、私が高二の時の担任だったヤシロ先生だったので、これも仲良くしていただきました。


 さらに驚いたのは、やはり道南の福島町(昨年新聞配達員がヒグマに襲われて亡くなった小さな町)唯一の高校である福島商業高校に行った時のことです。

 それまで何度か顔を出していたので、正面玄関の受付の女性は、いつもなら「そのまま進路指導室にお通りください」というのに、新年度だったので、「今年から新任の先生が進路の担当になりました。今お呼びしますからそこでお待ちください」と言われて、しばらく待っていると、やがて軽快な足音を響かせてジャージ姿の若い先生が走って来ました。

 お互い礼を交わして頭を上げると、そこにいたのは、高校2年3年と同じクラスで、同じく一浪して同じ立命館に進んだミヤケ君だったのです。 


 彼とは学部は違いましたが、高校時代から親しかったので、京都でバイクに乗っていた私はしばしば紫野にある彼のアパートを訪ねたり、彼も大学から徒歩10分の私の下宿に遊びに来ました。

 卒業後は札幌近郊の長沼高校の先生になり、私も一度会いに行ったことがありましたが、いつの間に福島商業に転勤していたのは知りませんでした。


ともかくお互い仕事なので、進路指導室に案内され、そこで生徒さんの成績資料を前にいろいろ意見を交わして検討したのですが、私たちの出た高校は勉強に関しては厳しい進学校でしたが、校風は至って自由でした。

 ですから当時、一緒にトイレの窓からエスケープして、そのままフケた仲のミヤケ君と、その10年後に人様のお子さんの進路について語り合うのには顔を見合わせて笑ってしまいました。

 その夜は予約していた宿をキャンセルして、彼の官舎に泊めてもらい、一緒に夜は江差の町にタクシーで飲みに行きました🍻


 また同じく道南の森高校に行った時には、進路指導のタケウチ先生は、やはり私と高校の時の同期で、当時そんなに親交はなかったのですが、さすがに名刺を出すと思い出してくれたようで、盛んに「いや〜、ご出世されて!」と繰り返し言われたことがこそばゆかったです。

 さらに驚いたことに、彼は双子で私はその双方と1年2年時に同級生になりましたが、彼らの義理の弟という子が、なんと当時の私の予備校の公務員コースの受講生だったのです‼️

 もちろんたかが予備校ですから、入学時に身上調査などするはずもなく、まして10年前に別れたタケウチ君と関係があるなんて想像もしていませんでした。

「くれぐれもよろしく頼む」と言いつかりましたが、義弟のクロダ君は真面目に講義を受講していましたので、翌年見事に志望先の公務員試験に受かることができました。苗字が違っていたので、今考えると、腹違いの弟だったのでしょうか?

 人の世の縁は不思議なものだと思いました。