私は昔からコミュニケーション能力が長けていると言われておりました。
小学校2年生の時、先生のご都合で自習時間になって、先生が「何をやりたい?」と、皆んなに訊ねると、全員が声を揃えて「みんつちくんに絵本を読んでほしいです‼️」と答えたものでした。
さらに私の投影である水島孝一郎が「碧の涙」の中でやっていたように、生徒会長であった私は朝礼や始業式などでの「生徒会長挨拶」でも、一度も原稿を用意したことはありませんでしたし、卒業式の時の、卒業生代表挨拶「答辞」もアドリブでこなしました。
約20年前からの家庭用医療機器「シンアツシン」と、倒れる前のオーダーメイド・インソール「ロフェ・アーチサポート」の営業では共に即決即売の商売でした。
その日初めて会ったお客様に、10万円から27万円の高額商品を売ってしまうのです。
仕事はワンチャンス、一期一会の商売でしたから常に緊張感はありましたが、それがお客様に伝わっては何にもなりません。
すべて余裕のうちに優しさとユーモアで包み、アドリブを効かして話を展開するのがコツでした。
当時27万円弱したシンアツシンは、多い日には1日3台売れました。五千円から1万円程度の頭金だけをいただき、そのまま商品を持たせて帰すのです。残金は10日以内に送料こちら持ちで郵便局から振り込んでもらうシステムでした。
最高では、研修中の私より年長の新人を連れていましたが、鹿児島市内で1日で6台売ることができました。
オーダーメイド・インソールは一足98,000円プラス消費税でしたが、これは支払いがクレジットカード、しかもほとんどが催事を行なっているデパートのポイント付きカードでしたから、信用は厚かったし、勝負は早かったです。
これは最高で一日7足が売れたことが何度もありました。
こんな私ですが、子供たちは揃って口が重いです。息子は道産品卸し問屋の内勤ですので、詳しい仕事内容は分かりませんが、まだそんなに対外的に人と話す機会はないと思います。会社の仲間とさえコミュニケーションが取れればいいのですが、家ではほとんど会話がなかったので、それも心配です。
娘の方は、幼い頃は、陽気でお喋りな少女でしたが、やはり思春期を迎えるあたりから私には口数が少なくなりました。
彼女は病棟看護師なので、コミュ力が要求されますが看護師としてのキャリアも8年になり、ベテランの域なので、なんとか物になっているのでしょう?
私の方はといえば、脳を壊してからは仕事もできなくなり、使う機会もぐっと減りましたが、錆びつかないように、看護師さんや介護士さん相手に磨きをかかる毎日です。

