登場人物の名前について | われは河の子

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小説を書く時にどうしてもこだわるのが登場人物の名前である。インパクトのある独特の名前を使いたくもあるけど、出てくる人物全員が珍名さんでは現実感がないことおびただしい。

 特にミステリの場合、殺人事件の被害者や犯人の名前が実際に存在する人物の名前である場合、その人に対し悪意を持っているのではないか?と勘ぐられるのではないかと気が気でない。


 私の小説の場合、30年以上前に書いた「蝉鳴り」と近年の「臓腑の流儀」の第一話のヒロインの名前は共に裕美子である。

 私はこの名前が好きでよく使うが、その名前を持っていた女性はいない。由美ちゃんという幼馴染はいたが、今では連絡も取れない🤣

 だいたい裕は私の名前である。それで愛着があるのかも知らない。

 臓腑の流儀シリーズではミッキィこと美樹さんにも思い当たらない。美紀さんという可愛い娘はいたが、恋には発展しなかった。


 そしてヤッコ・ピーポディのモデルはホンモノのヤッコではない。


 姓は小山でもないし、名前も靖子ではない。


 夫のサミュエル・ピーポディの設定は「白狐のお告げ」を書く相当早い段階から決まっていた。

 今までは作品化する機会がなかっただけだ。


 次回作に登場予定の桑坂みどりのモデルだけは実在します🤣


 今回夕顔さんに、オチが赤いきつねだったのなら、緑川は緑のたぬきを表していたのかと指摘されましたが、まったく自分ではその対比に気がつきませんでした。じっくりと推敲を重ねないアドリブ小説の落とし穴ですね。

 臓腑の流儀の第二作目、「忘却の仇花」を書いた時、主役の一人である堀尾尽(ほりおつくす)という名の人物を出し、「ジン」というあだ名にしましたが、最終章を描き終わってから、その名前の漢字にしかばね(尸)という部首が偶然三つも入っていることに気がついて慌ててエピソードを書き加えたことがありました。かように苦労はしますが楽しい作業です。