ずべ公番長 | われは河の子

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現在はスケバンという言葉に取って替わられましたが(スケバンすら死語でしょうか?)かつて昭和の時代にずべ公という言葉があり、東映で大信田礼子主演の「ずべ公番長シリーズ」が4作作られ、それが後の「スケバン刑事シリーズ」を産んだと言われます。


ずべ公のずべは、ずぼらと同じくだらしがないという意味のずべらという言葉で、これにポリ公(警官)や先公(教師)などの侮蔑語としての公を付けたもので、語源的には必ずしも女性を指すものではありません。

 ちなみに「だらしがない」のだらしとは本来行儀を表す「しだら」という言葉が逆転したもので、「ふしだら」という言葉に名残があります。


 また女性への侮蔑語に「あばずれ」というものもありましたが、これは暴れるに、世間擦れをしているが結合したもので、江戸時代の式亭三馬の「浮世床」には男性への使用例もあり、やはり女性特定というわけではなかったようです。


 さらにもはや時代劇でも使われないでしょうが、「すべた」という侮蔑語もありました。

 これの語源はなんとポルトガル語のESPADA(エスパーダ)で、意味は剣であり、トランプのスペード♠️です。

 西洋のカード遊びが伝来し、それを応用して花札に取り入れられ、点の付かないスペードのAがカス札(素札)(すふだ)→(すべた)になり、カスのような価値のない女という隠語になったそうです。


 現在はこんな侮蔑語や差別用語は徹底して排除される傾向ですが、その文化的な側面を無視していては歴史的な遺産を放棄することにもなると思います。


 まぁ私はカタワですが、これは二輪車だった牛車の片方の車輪が壊れてしまうと使い物にならなくなったからです。平安時代からの概念なんですけどね!