なにごとのおはしますかは知らねども | われは河の子

われは河の子

ブログの説明を入力します。

今朝、毒黒蜂サーシャさんへのリコメにも書きましたが、

 寺社仏閣の境内に行くと、不思議と空気感が違っていることに驚くことがあります。


 そしてそれはお寺より神社の方に顕著なような気がします。


 確かにそれが創建された当時はともかく、現在では、村の鎮守様のようなお社であってさえも、周囲は鉄筋コンクリート造りの建物に囲まれ、鎮守の森は伐採されてはいますが、それでもわずかに残った森の樹々から発せられる酸素やフィトンチッドのせいなのか?あるいは地磁気などのせいなのか?古代の人たちがここを聖地と定めた何か自然のエネルギーを今でも感じることができると思います。


 以前からなんとも書いていますが、

 私は学生時代の旅行から始まって、毎日の出張時代は、目的地に着いたら、仕事を始める前にまず地元の氏神様に参拝して旅の安全と商売繁盛を祈念しておりましたから、それこそ神宮・大社レベルから、小さな稲荷や八幡様まで数え切れないくらいのお宮に参拝しました。


 京都 平野神社


同 晴明神宮


同 北野天満宮


同 平安神宮


同 伏見稲荷大社 朱色の闇


滋賀 多賀大社


 和歌山 丹生都姫神社


和歌山 熊野大社本宮


伊勢神宮外宮




同 伊勢神宮内宮

 内宮は五十鈴川に掛かる宇治橋を渡った瞬間に空気が変わります。正に神々しいというしかありません。


島根 出雲大社


 その昔伊勢神宮を参拝した歌人で仏僧の西行が

なにごとのおはしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるるという歌を詠みましたが、平安時代の人がそこに何がいるのか感じ取れないのに現代に生きる私が内宮で天照大神を、出雲大社でオオクニヌシノミコトをましてや平安神宮で桓武天皇を感じ取ることなどできることではありません。

 本当になんだかわからないけど神々しい雰囲気に満ちているとしかいえないのです。


 現在では車椅子生活になってしまったので、近所の篠路神社にさえ行くことも叶いませんし

タクシーで訪れても社殿の階(きざはし)に手すりが付いていないので、お詣りすることができません。なによりお賽銭を供えて鈴を鳴らしても柏手が打てません🤣

 まぁ他の人の一生分くらいは参拝したと思って、せいぜいデイの風呂の中で祝詞を唱えるくらいにしておきましょう😁