またまたマホロさんの記事をリブログさせていただく。
画像はお借りしました
ご存知の方も多いと思いますが、ストーリーは国鉄(当時)蒲田操車場内で他殺死体で発見された被害者の身元を捜査していた警察当局は、当日の夜、場末のスナックで、被害者が別の男と2人で飲んでいたという目撃情報を聞き出す。
さらにその中で、ズーズー弁の『カメダは変わりませんか?』という会話の一部だけがあったこともわかる。
最初はカメダを人の姓だと考えていたが、それが地名である可能性に気が付き、主人公の刑事は、新潟県の亀田市に出張調査を行うが、怪しい人物の痕跡はあったものの、それ以上はつかめず虚しく帰京する。
ところがその後、マホロさんのブログにあったようにズーズー弁は東北地方以外でも使われていることに気がつき、そこから出雲の亀嵩(かめだけ)に辿り着き、そこから過去の因縁が暴かれていくというのが大まかな流れであった。
丹波哲郎や加藤剛の熱演と、「宿命」と題されたテーマが心に沁みて感動を呼ぶ作品であったが、子供の頃に私が最初に見た時に若干不満だった点は、私が函館市亀田小学校卒業であり、
実家は小学校4年生の時に函館市と合併されるまでは北海道亀田市に在ったということなのです。
上記のズーズー弁の地図を見てもわかるように、北海道の西半分はそのエリアに入りますし、ズーズー弁の本場津軽地方と海峡を挟んで向かい合う函館市を含めた道南の沿岸部は今でもその特徴は顕著です。
ですから、新潟県の亀田で失点を記録した後に一足飛びに一見全く縁がなさそうな(そこがミソでもありますが)島根県の出雲へと思考を切り替えるより、まずもっと可能性が高そうな道南の亀田(原作の執筆当時はおそらく亀田郡亀田町であったと思われますし、私もその頃をよく覚えています。)を押さえるべきであったと思ったのです。
リアリティを追求するとそうなるはずですし、実際の警察の捜査があったとしてもそうなったのではないかと思います。
これは著者の松本清張が現在の北九州小倉生まれで、やはり自身の知識として、遠い北海道の地名より、比較的近場と言っていい出雲の地をトリックの要として利用したものと思われます。
清張は北海道の亀田を知らなかったのではないのでしょうか?
また、先のズーズー弁の地図を見ると、はっきりと北海道の東半分は赤く塗られていないのがわかります。
元々明治期までは松前、江差、箱館といった道南にしか和人(アイヌに対する日本人)が住んでいなかった北海道です。明治維新以降は全国から開拓にやって来た人たちが拓いた土地柄なので、共通北海道弁っていうのは完全には存在しません。
もちろん本州以南の方達が会話するよりは私たちの方が通じますけどね。
札幌の隣の江別市出身の大泉洋が喋る北海道弁はいわば営業用です。少なくとも私は普段「なまら」なんて使いません🤣