ガラスの村 | われは河の子

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ガラスの村 エラリイ・クイーン 1954年

 ハヤカワ・ミステリ文庫 昭和51(1976)年


アメリカ、ニュー・イングランド北部の寒村「シンの辻」、そこは人口わずかに12家族36人にしか満たない寂れ果てた片田舎であったが、その村の住人で州裁判所老判事のルイス・シンの元に従弟で退役陸軍少佐のジョニー・シンが訪ねてくる。

 彼は二度の大戦で疲弊して全てに対してやる気を失った抜け殻のような有り様で、歴史や現代社会や世界の動きから取り残されたようなこの村の寂れた雰囲気が似合うようだった。

 ところが独立記念日の翌日、この村に住み、唯一外世界との関係性を持ち、村に収入をもたらしていた老女流画家のファニーおばさんが撲殺される事件が発生した。

 たまたま現場を発見した判事と、ジョニーは直前に、降り頻る雨の中を街道を足早に歩いて行く浮浪者の姿を見ていた。

 また犯行時刻と思われる頃に、村人が彼女の家に入ったその浮浪者の姿を目撃していた。


 追われて捕えられた男は彼女の家に入ったこと、薪割りの仕事を引き受けた代償に食事を食べさせてもらったことは認めたが、殺害は断固して否定した。事件は単純な構成で解決すると思われたが、彼女の家から金が紛失していたこと、これは被疑者が隠し持っていて、彼は金を盗んだことは認めたが、殺人に関しては決して認めようとはしないばかりか、証言にあった割ったはずの薪も消えていた。

 ポーランドからの難民コワルチックをリンチにかけてでもファニーおばさんの仇を討ちたい村人たちと、清教徒の誇りにかけて、法と正義の元で決着を付けたい判事とジョニーは、州裁判所を通さない臨時裁判を開催して村人の採決を採る。

 2人にコワルチックを救う路と手立てはあるのか…?


 巨匠エラリイ・クイーンが同名の探偵エラリイを登場させなかった稀有な長編ミステリ「 (同系列の作品は他に「孤独の島」しかない)


 この作品の特徴は、当時アメリカ全土を巻き込んで暴威を振るっていたマッカーシズム(赤狩り)に対するクイーンなりの抵抗だといえるであろう。

 アメリカ精神の原点であるニュー・イングランドを舞台とすることで、本来持つべき民主主義の有り様を義憤に満ちた目で見、策略を弄してまでも正しい道へと導こうという力業にお馴染みのスマートで理知的なエラリイを登場させる訳には行かなかったのであろう。

 謎解きとしては至ってシンプルで初期のクイーンの諸作にあったような、完全なフェアプレイ(全ての手がかりを事前に読者に与えてある)とは言えないかもしれないが、巨匠の異色作であり、非常に政治的意味合いが深い作品であることは間違いがない。