先日のオンライン片麻痺当事者会でも発表したのですが、バリアフリー法の施行により、公共に供される施設(公営・民営を問わず)にバリアフリー化が義務化され、障害者や高齢者など心身が不自由な人に対してのケアが昔に比べると進んで来たような感じを受けますが、これは実際にそれを使う当事者の立場にならないと本当にバリアフリーになっているのか理解できないケースが多々あります。
例えば、昨日書いた自宅の風呂で立てなくなり溺れそうになったケースですが、
浴室内部にこうして手すりを設置していますし、
自宅のトイレにも縦横に手すりを設置してあります。
これはまだ私が退院前に住宅改修が終わったよと、ニョウボが入院中の私に送ってくれた写真なのでいわば使用前ですからご容赦ください。🤣
自治体によって支援に差はあるようですが、札幌市の場合、介護保険によって要支援1と2、そして要介護1〜5に認定されると、この手すり設置のような住宅改修費が20万円まで支援されます。
(但し、かかった費用の1割は自己負担になりますから、実質は18万円分支援されます)
もちろん自分の障害程度や身長・体格によってのオーダーメイドになりますので、実質の退院前に日帰りで一時帰宅して、OTやリフォーム業者立ち合いの元で高さや位置、向きなどを決めました。私だけに合わせた設計施工でしたので、私以外の人に使い勝手がいいかといえば否定せざるを得ません。
何が言いたいかというと、例えバリアフリー法によって色々な所に多目的トイレが設置されていますが、そこに設置されている手すりの位置や高さによっては私にはとても使いづらい、なんなら使えない物もあるということです。
もちろん利用者はそれぞれ障害程度や身長も違いますから全ての人に最適な環境を整えるのはどだい無理な話なのです。私は何度かそういう施設に対して直接クレームを付けたことがありますが、回答は決まって『ご苦情の向きは理解いたしましたが、一応札幌市の基準は満たしておりますので…』ということになります。
『最大多数の最大幸福』という言葉がありますが、一人一人がみんな違う以上、全ての人に等しく平等な制度や仕組みを作り上げることははっきり言って不可能です。
昔の日本陸軍で兵隊さんが支給された靴が小さ過ぎると申告すると、
『馬鹿もん!軍隊ではな、足に靴を合わせるじゃなくて靴に足を合わせるんだ‼︎』と叱責されたという笑い話がありますが、現在ではさすがにそんな理不尽なことはありませんが、公平にバリアフリー化をしたつもりだけど、対象者にとっては必ずしもバリアフリーにっていない可能性がありことも知っていただきたいと思いますし、対象当事者が声を発しないと、せっかくの理念が空回りして大きな無駄や損失を生んでいることも伝わらないと思います。
一方で掘り返すようですが、数年前に電動車椅子利用の重度身体障害者の方がJRを使って旅行する際に、利用駅にはエレベーターが設置されておらず、ホームを跨いでの移動ができないので駅員にクレームを付けて『数人がかりでもいいから車椅子ごと私を持ち上げて運びなさい。貴方たちにはそうする義務があり、私には権利があります』と発言して、JR側はそれを受けて近くの駅から応援を呼び、その要求に応えたのですが、その人は後日JRに乗車拒否された』とSNSで発言して炎上した騒動がありました。
もちろん基本的人権の尊重は憲法により定められておりますが、病気や障害に関わらず、全ての人が本当に平等なら貧富の差や社会的差別が発生するはずがありません。
また完全なる社会主義が達成不可能で、逆に独裁と差別化に至ることは歴史が証明しています。
私は出来るだけ正確な情報発信をするとともに、助けられて、支援されて生きているのですから傲慢になることには注意しなければならないと思います。
痛さ、苦しみ、不自由は無いに越したことはありませんが、そこに全く楽しみや歓びが無いかと言ったらそうでもないと思います。
私はけっこう障害者ライフで遊んでおりますし、少しでも機能が改善され、できなかったことができるようになった時の達成感にはとてつもない歓びを感じます。風邪が長引いていたので今月中は作業所とデイをお休みすることを届けていました。本格的な活動再開は来週からです。
さて午後からは何をして楽しもうかなぁ?