私がなぜ障害者スピーカーを目指すのか、 | われは河の子

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 早いもので5月も今日で終わりです。

 今月はSCS本手術の成功を受け、珈琲製造のB型作業所とデアケアへの復帰を含め、大きく生活の質と活動幅が広がりました。

 友人と宅飲みで盛り上がることもできました。

 数年にわたって飲み続けた疼痛治療薬リリカを減薬することもできましたが、終盤になって突然現れた花粉症の症状に翻弄もされました。


 さらに6月は誕生日と、3年間1回も使っていない運転免許の更新がありますし、念願の障がい者講師養成講座が始まります。


 全8回のカリキュラムで、「当事者が話す意義について」という目的論から、「知的障がいについて」「聴覚障がいについて」「身体障がいについて」「精神障がいについて」「視覚障がいについて」「内部障がいについて」などと、自分の抱える障害以外のことについても学びますし、「思いを伝えるために…」〜講話の組み立て方と話し方〜といったテクニックまで講義されます。


 なぜ私がこの講座を受けて、障害者スピーカーとして活動しようと思ったのか?


 それは昨年ほぼ1年間YouTubeラジオで語ったことで、改めて自己受容をしっかりとしたうえで、当事者にしかわからないことを発信していきたいという思いです。


 「自分探しの旅」という言葉が流行りましたが、10代20代の若者ならともかく、50代半ばを過ぎて、それまで半世紀以上文字通り『我が物』として使って来た身体の左半分がほとんど自己意思で動かせなくなったことに気がついた時に、改めて自分とは何なのか?ほんの数ヶ月前まで全国を飛び回っていた自分、50年以上の自分史を築いて来た私と今の自分は同じ私なのか?と途方に暮れました。


 私のように脳血管性の病気や進行性の難病、また突然の大事故により頚椎損傷や四肢切断などの大怪我を負って障害者になられた方は多少なりとも同じ経験をされたはずです。『認めたくない。』という常に自己否定がそこにありますが、同時に毎日は嫌でもやって来ますし、生命が助かったという安堵感も併存します。


 ですから私にとっては人生半ば過ぎになって、自分とは何なのかといったアイディンティティ(同一性)の確認という作業から始まりました。


 これまでに何度も紹介していますが、私は長年健康についてを偉そうにお客様に語って、医療機器や健康食品などのセールスを行う仕事に就いており、病気や健康不安を抱える方にそれなりのトークを展開して、信用信頼して商品を購入していただいておりましたが、いざそうして自己のアイデンティティが揺らぐと、本当は何も知らずにいたことを思い知らされました。


 そんな中で脳外科に入院中に障害者となってしまったのです。


 現在の私はSCSのおかげで悩まされ続けたCPPS(脳卒中後疼痛)の痛みは半減しましたが、日常的に車椅子生活ですし、麻痺足に装具を着けて、杖を突いて50メートルほどしか歩くことができません。

 はっきり言って、初対面の知らない方が見ても『あの人は障害があるんだな?』とわかるはずです。


しかし、車椅子に乗っている人がすべて障害者であるかというとそうではありません。

 交通事故などの大怪我や、あるいは何か大きな手術の直後で自力で歩くことができずに車椅子を利用している人は当然障害者ではありません。


 日本における障害者とは、見た目でも自称でもなく、定義があるのです。


 それは都道府県知事から障害手帳を交付されている18歳以上の身体に障害のある者。という一言だけなのです。

 この手帳は、身体に障がいのある人の程度や状況などを記載してある身体障害者手帳、

 知的障害がある方に与えられる療育手帳、

 そして一定の精神障害の状態にあることを記載している精神障害保健福祉手帳の3種に分けられており、このいずれかを持っていない人は障害者とは呼ばれないのです。


 長く健康産業に従事していた私はこんなことも知らずにいた上、いきなり身体障害の中で一番重い「身体障害1種1級」の手帳を交付されてしまいました。

 自分探しをする前に、貴方はこうなんだよという現実を社会から突き付けられてしまったのです。そうなれば、これからどう生きて行けばいいのか模索しなければならない立場に立って、それと自分をどうすり合わせて行って自我同一性を確保するしかありませんでした。

 

 遥か昔の学生時代、社会学を学んだ私は常に社会の問題と自分自身をすり合わせる「新しいアイデンティティの確立が必要となる」の一言で論文や試験を締め括っていたのが、まさかこんな所で役立つとは思いませんでした。


それから入院中も退院後も、市からもらった福祉ガイドを徹底して読み込みましたし、脳卒中や高次脳機能障害に関する本を取り寄せて読みふけりました。

 情報が欲しかったし、言葉による定義づけが欲しかったのです。自分の感覚と自分の想いはもちろんありましたが、それは普遍的なものかどうかわからないので、もしかしたら俺ばっかり?と不安になりました。明文化され、定義づけられたものを読むと「それじゃ仕方ないな」と心を落ち着けることができたのです。

 

 私は元々言葉にこだわる面倒臭い性格なので、まず障害者って何なんだ?というところから自分の障害者生活がスタートしました。


 そして昨年、『障害当事者としてラジオで語ってみないか?』という誘いを受け参加したYouTubeラジオのネタとして各種資料や統計を漁って知ったのが、先に挙げた手帳の交付を受けたもの、すなわち障害者と呼ばれる人が全人口に占める割合は7.4%であること(平成30年度資料)。そしてその数値は総人口における小中学生の割合7.6%とそう変わらないということでした。


 わが家のような町内にコンビニのない都市の末端部でも、高層マンションが立ち並ぶ再開発住宅地でも小中学生の姿は日常的に見かけるでしょう。

 障害者と呼ばれる人は同じくらいの割合で目にする可能性もあるのです。


 このような事実に立脚し、知識と情報に接しなければ、真の意味でのノーマライゼーション(誰もが普通であれる共生社会)の建設は難しいと考えました。

 そんな情報を発信していくのはやはり望まないにも関わらず障害を負ってしまい、各種の社会制度に助けられて恩恵を受けている当事者の務めだと思ったのです。


 予定通りなら、この夏以降は札幌市のボランティアとして、障がい者講師として活動して行くことになりますが、それ以外にも何とか自分で発信するチャンネルを探して行きたいです。


 怪異譚好き、妖怪好き(でもスピリチュアル系は嫌い🤣)な私が、柄にもなく真面目な話になりました。

 たまには真面目にもなります。後4年で高齢者ですからいつまでもふざけてばかりではいられません。


 文中自分の表現では障害という文字を使い、引用している本文のママのものは「障がい」と表記してあります。こんなところも面倒臭いこだわりですグラサン