ゆれる、まなざし | われは河の子

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 先日、女優でモデルの真行寺君枝さんと相互フォロワーになりました。

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 真行寺さんといえば、私たちの世代には、1976年に資生堂が放った『ゆれる、まなざし』のキャンペーンのモデルとして採用されてデビュー。

 同曲を歌った小椋佳のヒットと共に人気を呼んだことが懐かしく思い出されます。


 この時真行寺さん16歳の現役高校1年生ですが、当時のCMを今見ても、とても10代の少女とは思えぬ色香に惑わされます。美人ってすごいですね❣️


 この頃から資生堂は競合するカネボウ化粧品との熾烈なCMキャンペーン競争を繰り広げ、現在まで語り継がれる数々のヒット曲を生み出しますが、真行寺さんには大変申し訳ないのですが、私的には1979年のキャンペーン、柳ジョージとレイニー・ウッドが歌った『スマイル オン ミー 微笑の法則』と、そのキャンペーンのモデルとなった星野真弓さんが好きでした。


 写真はお借りしました。


 しかし星野真弓さんはいつの間にか俳優で歌手の寺尾聡の奥方に収まってしまいました。


 今でこそ明かす事実ですが、大学4回生の頃、就職活動中の私は化粧品メーカー志望でした。

 大学の就職課による模擬面談で『なぜ君はコスメメーカー志望なんだ?』と聞かれ、『女性に美しくなって欲しいからです。』と答えました。🤣


 実際、東京銀座に本社があるメーカーの本社での役員面接まで通り、内々定をいただきましたが、何が災いしたのか土壇場で取り消しを受けるという、苦く懐かしい思い出もあります。


 内内定に舞い上がり、それまでに同時進行していた他社をみんな捨ててしまったので、秋になってから一からの就職活動再開で、活動期の遅い地元北海道の大手酒類大卸業社に採用されて、社会人デビューを果たしたのですが、入社2ヶ月後に配達助手として乗った2トントラックが帰路に大型トレーラーの頭部分に追突されて酷い鞭打ち症になり、仕事を続けることができなくなり、医者に『責任のある仕事はできないが、規則正しい生活は送らなければならない』と言われ、それならまた学校に戻るしかないな?ということで北大の研究生として潜り込んだ経緯があります。

 20代の頃から美女と酒が大好きだったんです😍

 だから今はすももんのビー玉でお酒が飲みたいのです❣️


 話は飛びますが、なんで女優さんのような華やかな世界の人が私のひたすら怪しい河童ブログに結びついたのかと思いメッセージを差し上げたところ、ご丁寧な返信をいただきました。

 真行寺さんはお父様が北海道ご出身ということで、そんなか細いご縁からブログを読み込んでいただいたようでした。

 彼女も実は波乱に満ちた半生だったようですが、現在は基礎化粧品のオリジナルブランドの『KLMIE』を経営なさっているそうで、さらに新たに美容講座もスタートされるそうです。

 そんな真行寺さんから、

『どうぞお体幾重にもおいたわりいただき、メタモルフォーゼをなさってくださいね。』という心のこもったお言葉をいただきました。


 メタモルフォーゼとは、昆虫がサナギから成虫に変わる「変態」を表す言葉ですが、この場合、私がSCS療法によって変身したことを述べられているのでしょう?

 まさか『元から変態ですから❣️』って返す訳には行かないじゃないですか?🤣


 変態の図グラサン


 現在私の片麻痺仲間には、片麻痺になった女性こそお洒落を楽しんで欲しい、片麻痺女性が美しくなるための活動をしたいと、SPG s(持続可能な子育て目標)ビューティー・ディレクターを名乗る仲間がおりますので、

 早速彼女に真行寺さんの活動のことも伝えました。

 障害者に限定することではなく、片麻痺の障害者でも普通の女性と同じように化粧を楽しみたいというコンセプトを打ち出した商品開発をしたいとアピールしてくださいと差し出がましい口を出しました。そうしたら早速真行寺さんのブログをチェックしてみますとお返事が来ました。

 ヤル気のある障害者の行動は早いです‼️