しばらく更新をお休みしていましたので本日2発目の投稿です。
もはや社会現象と化している「鬼滅の刃」。
昨夜のツイキャス「かおりんの部屋」でも話題に上がり、夢ー民谷(むーみん谷、かおりんの部屋の別称)の谷長ぬらりひょんNOJIさんはどっぷりハマっているし、キャス主のかおりんも話に乗ってくる。みぃとさんは九州を走るSL無限列車を見に行こうと目論んでいる。
かようにおっさん、おばはんらをも巻き込んで加熱するブームにあっては、一億総評論家と化して、何か一言言いたくなるのが常のようで、先日の北海道新聞一面コラム『卓上四季』でも、鬼退治伝説で有名な源頼光をモチーフとした謡曲『土蜘蛛』において、病に伏す主人頼光のために典薬頭から薬をもらってくる侍女胡蝶について述べていました。
もちろん鬼殺隊の蟲柱、薬使いの胡蝶しのぶに投影されていることは明らかです。
人見知りで人物像を明かさない作者、吾峠呼世晴さんの心を読むことは難しく、その記紀神話や民俗学的データベースは如何ばかりであるのか、各々が勝手に推察するしかありませんが、私も河童研究家、妖怪愛好家の端くれとして、鬼滅の刃は、山の物語として読み解くべきものであると愚行いたします。
日本民俗学の先駆者柳田國男は名著「遠野物語」の巻頭、初版の序文中において
「国内の山村において遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。」と記しました。
代々炭焼を生業とし、山中の家に家族のみで暮らし、平地人たる町人との商取引こそあれど、学校に通った様子もない炭治郎や禰󠄀豆子たちは、定住せずに山中を漂泊する山窩(サンカ)ではないにしろ、柳田國男のいう山人であることは間違いありますまい。
鬼滅の刃は正に彼らによって戦慄させられた物語であるのです。泉下の柳田國男以って冥すべしです。
物語のステージは後に繁華の浅草や吉原遊廓などにも移りますが、ストーリーの序盤では竈門家がある山のみならず、炭治郎が修行する狭霧山や、最終選考が行われる藤襲山などが舞台となっています。
そのことからも、ストーリー中では、顔立ちが優しすぎると鬼に馬鹿にされたために現役中から被っているとされる鱗滝左近次の天狗の面👺も、
山中で剣術を指南する天狗、すなわち牛若丸に剣術を教えた鞍馬山の天狗をモチーフにしていることは想像に難くありません。
源氏の御曹子牛若丸は後に義経となり、稀代の兵法者へと変貌して平氏を滅亡させます。
炭治郎も、血縁ではないようですが、最初の鬼狩りにして日の呼吸の使い手の継国縁壱から耳飾りを受け継いだ者という意味での御曹子であり、過酷な修行の末に超人的な飛翔力を身につけるところなどは牛若丸を彷彿とさせます。
現代の都市生活者が忘れかけ、私たちのDNAの中にだけ残っている山への畏怖や憧憬と、日本人の民俗学的嗜好が鬼滅ブームの底辺を支えているのだと考えます。
いずれ「猿の罰」の合間に禰󠄀豆子についても考察してみたいと思います。
