ハヤカワミステリ文庫 1976年
出版社勤務のエドワード・スティーブンズは、会社のドル箱作家で犯罪研究者の新作原稿に添えられていた17世記のフランスの毒殺魔ド、ヴランヴィエ侯爵婦人の肖像画の写真を見て驚愕した。それは顔立ちといい、黒子の位置といい、身につけた奇怪な装身具といい、彼の妻マリーに瓜二つだったからである。
さらに広大な土地を持つ隣家デスパード荘の当主で弁護士のマーク・デスパードから、一週間前に死んだ、マークの叔父マイルズ老の死に、毒殺の疑いが持たれ、マークの妻ルーシーに嫌疑がかけられていることを相談され、マークの依頼で、マイルズの遺体を改めるために封印された地下納骨所を暴く事に協力するが、そこには何もないはずという妻マリーの予言通りに、マイルズの棺から遺体は消えていた。
今から40年ほど前までは、カーの代表作といえば、「皇帝のかぎ煙草入れ」か「帽子蒐集狂事件」「黒死荘(プレーグコート)の殺人」辺りが挙げられていましたが、長く絶版だったハヤカワポケミス版に替わって、文庫版で本書が刊行されてからは、この作品をベストと見なす向きが日本では一般的になっています。
私が持っているのは、この文庫版の初版ですが、現在ではさらに新訳版が出ています。
ブランヴィリエ侯爵婦人はブルボン王朝期の実在の毒殺婦で、結婚前の本名をマリー・マドレーヌ・ドルー・ドブレーといい、ヴランヴィリエ侯爵と結婚後に、愛人と派手な不倫生活を重ね、遺産目当てに実父と、兄妹たちを毒殺し、さらに彼らの娘や夫も手にかけました。共犯者だった愛人が毒の製作中に事故死して、彼の手記から容疑がかかり逮捕され、拷問の末に自白を強要される火刑法廷で死刑判決を受けて、ギロチンで断首され、その遺体を火あぶりにされました。
そこで本書に戻ると、主人公の妻マリーの旧姓は、ドーブリーという設定で、なぜか彼女は火を異常に怖がります。
また、デスパード老が死んだ夜、彼の部屋を覗き見した使用人女が、古風のドレスを着た、首がちゃんと付いていないように見える婦人が塞がれた壁を通り抜けたと証言したりして、甦る不死者伝承が、引き合いに出されます。
納骨所からの消失トリックは、「密室の王」と、異名を取ったカーのお家芸で、よく考え抜かれていますが、本書の一番の読みどころは、この作品を本格ミステリとして読むか、オカルト小説として読むかで結末が違ってくるという大胆な禁じ手を使ったことです。
ハリー・ポッターが、ほうきに乗って空を飛ぶことが許されるのは、そもそもそれがファンタジー小説だからであり、ウルトラマンがスペシウム光線を発射することができるのも、それが空想科学シリーズと銘打っているからです。
不可思議な謎を合理的推論によって解決するミステリの世界においても、巨匠たちは様々な禁じ手を敢えて使って来ました。
横綱白鵬が、はるか格下の力士に対して張り差しで立ち合うのにも似ています。
初期のコナン・ドイルさえ、自身の生み出した名探偵シャーロック・ホームズを一度死なせた設定の上で、のちに蘇らせませたし、エラリー・クイーンが別名義のバーナビー・ロスとして発表した悲劇四部作の最終作「ドルリー・レーン最後の事件」しかり。アガサ・クリスティの「アクロイド殺し」の禁じ手論争も有名です。
現在では、書籍・映像作品問わず、主人公が根拠なくタイムスリップするのはごく当たり前の事でありますが、その先駆者はこのカーに他ありません。(本作の設定ではありませんけどね)
余談ですが、本書の裏主役とも呼べる故デスパード老ですが、老と訳されて表記されておりますが、没年齢は56歳という設定です。
現在の私より2歳も若いです。
私もみんつち老なんですね。
チャラチャラしたブログを書くのはいい加減どんなものでしょうね?