S山君の話 | われは河の子

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 今から39年前の京都。ここで何度か紹介しているが、私は洛北八瀬にあった予備校寮で浪人生活を送っていました。
予備校寮とはいえ、予備校の直営ではなく、左京区にあった予備校が委託して在校生のために一括して借り上げていたところで、三畳間ながら個室で、二食付きでした。一・二階合わせて30人近い男たちがたむろしておりましたが、集団の常で仲良くなった仲間たちごとにグループが形成されていました。
 私たち二階組は、3〜4つの小グループに分裂しておりましたが、そのどこにも属していなかったのが階段を上ってすぐ左の部屋の住人 S山君でした。
 なぜ誰とも親しくならなかったのか?
 彼の風貌と醸し出す雰囲気が余人を寄せつけなかったといっていいでしょう。
 人を差別してはいけませんが、ひと言でいうと不気味だったのです。なんかヤバそうな感じ。
 背の高さは並みでしたが、痩せ型に長髪の銀縁眼鏡付きで、いく分猫背だったでしょうか、スリッパを引きずるように歩くので、深夜彼が廊下を歩いているのは「スターン、スターン」という独自のリズムでそれとわかりました。

 グループ分けがあったとはいえ、食事の時には食堂でワイワイガヤガヤと皆の会話はとりとめなく弾んだのですが、彼はそれにも加わろうとしませんでした。寮母のおばさんは「変わった子やねぇ」と不思議そうにこぼしていました。
 会話に加わろうとするしないばかりか、彼の特異性は随所に現れました。
若い男ばかり2ダース以上住まう寮にしては、風呂は小さく、湯船は家庭用のステンレス製のもので、入浴は一二階ごと一日置きで、隣り合う部屋ごとに二人一組となって入る決まりで、毎日のスケジュール表が貼り出されていました。
 S山は『毎回終い湯でいいから一人で入りたい」と主張し、もとより組になっていた S路君も、いつも一人で入れるなら別に不満はないという事でs山の特例が認められました。
 当初一緒に入浴した S路君の説明によると、肩まである髪を女のような格好で洗う姿は、決して見好いものではなく、風呂の中でもほとんど会話はなかったそうです。

 なんかヤバイ雰囲気というのには共通項があるようで、それから数年後、東京と埼玉で起こった幼女連続誘拐殺人事件を起こした宮崎勤というシリアルキラーが現れましたが、逮捕後公開された彼の写真を見て「痩せたら S山にそっくりじゃん!」と思いました。
 季節が過ぎ、皆にとって二度目の受験が近づいて来て、寮の中にピリピリとした雰囲気が漲って来るに連れ、『S山が暴発するんじゃないか?』という懸念も皆の中に広まって行きました。

 そしてその日がやって来ました。

 その夜は、廊下の一番端のツカサの部屋に私とツカサほか3人くらいが集まって深夜まで勉強もせずにおしゃべりをしておりました。
と、突然どこかの部屋の窓が音を立てて開いたかと思うと、漆黒の夜空に向かって、
『$〆#@※£♪〒〜!』という言葉にならない叫びがこだましたのです。
「 S山だ!」
「皆殺しだ!」
私たちは蜘蛛の子を散らすように自分の部屋に駆け戻ると鍵をかけて、じっと息を殺して、その後の様子を伺っていました。
 幸いにその後 S山が包丁を振り回して暴れることはありませんでしたが、恐怖の一夜のなんと長かったことでしょうか。

 そのように、受験直前まで遊んでいたような我が寮生たちが優秀であるはずがなく、私は幸いに志望校に合格できましたが。どこにも受からず討ち死にしたもの多数でした。 S山はどこかに受かったものかは全くわかりません。

 いずれにせよ彼もそろそろ定年を考える年齢になっているはずです。
 どこでも何をしていることでしょう。
 べつに会いたくはありませんけどね。

 今回の京アニ事件のような理不尽な殺戮事件が起こるたびに、遠い昔に一つ屋根の下で暮らしたひとりの男のことを思い出します。