海と船の不思議 68 ルシタニア号事件 | われは河の子

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ルシタニア号
(写真はお借りしました)

ルシタニア号は、リバプールとニューヨーク間で定期航路を持っていたイギリス船籍の豪華客船でした。

しかし、第一次世界大戦中の1915年5月7日、南アイルランド沖でドイツ軍のUボート(潜水艦)の魚雷攻撃を受け沈没。
1198人が犠牲となりました。

当時孤立主義(モンロー主義)を掲げて、大戦には不参加だったアメリカは、128人の米国人を失ったことで世論が沸騰し、連合国側としてドイツに宣戦するきっかけになりました。

というのが、高校の世界史で私が習った内容です。

ところが、この事件にはキナ臭い背景かあるようです。

実はルシタニアは、積荷として173トンもの弾薬を載せていたというのです。
これでは当時の戦時国際法においても、対戦国に攻撃されても仕方がないといわれます。
英米両政府ともこれを否認していましたが、今世紀に入り、ディスカバリーチャンネル同行の調査チームが潜水捜査を行い、海底から400万発以上のライフル弾が発見されました。

さらにこの時の調査では、沈んでいるルシタニアは、爆雷によって破壊された痕跡と、不発のヘッジホッグ爆雷も発見されました。
沈没は、ドイツ軍による2本の魚雷攻撃が原因で、その際にはどこからも爆雷が投擲された事実はありません。

さらにヘッジホッグ爆雷とは、イギリス海軍が後の第二次世界大戦中に開発したもので、もちろんルシタニアの沈没当時は存在しえません。

ディスカバリーチャンネルは、アイルランドの港町コーヴの住民が、1950年代の特定の2週間に、イギリス海軍がルシタニア沈没地点で爆雷を落として、それが保存状態を極めて悪くしたと信じている内容を含んだドキュメント番組を放送しています。

発見されるとやましいものがあったのでしょうね。

ドイツのやったことは残酷ですが、歴とした戦争です。
それよりもイギリスが仕組んだ陰謀の方が非道なのかもしれません。

ちなみにアメリカがこの大戦に参戦するのは、ルシタニア号事件から2年も経った後なのです。