裸で逃げた男はイエス | われは河の子

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今年の3月4日に、青森県新郷村戸来に伝わるキリストの墓の記事を書きました。


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この伝承の元になった、古史古伝の「竹内文書」に伝わるのが、

あの裸で逃げた男こそ、イエスその人だったという説です。

あの夜逮捕され、ゴルゴダの丘で刑死したのは、実は身代りとなった弟のイスキリで、
イエスは、その後逃げおおせて日本まで来て、青森まで来て死んだというのです。

その際に、いろいろユダヤの伝統が持ち込まれて、戸来(へらい)という地名もヘブライに由来するとか、不思議な盆踊り歌が伝えられているとか書きました。

イエスがはるばる日本まで来る必要はまったく感じられませんが、
十字架身代り説には、ある種の説得力もあります。

身代りとなった弟の存在。
イエスに弟がいたなんて、と思いますか?
イスキリという名が、どこから竹内文書に伝わったのかはわかりませんが、イエスに少なくとも4人の兄弟がいたことマルコ伝に書かれています。

『この人は大工ではないか。
マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか』 マルコ伝6章3節

この兄弟の誰か、あるいは別人がイエスに入れ替わって、逮捕者は気がつかなかったのでしょうか?

気がつかなかったのです。
なぜなら逮捕者たちはイエスの顔を知りません。
だからこそ、裏切り者ユダは合図としてイエスに接吻する約束を交わしていたのです。
『わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえて、まちがいなく引っぱっていけ』 マルコ伝14章44節

ユダは裏切り者ではなく、イエスのトリックの協力者だったのでしょうか?

あらかじめ打ち合わせていた通りの入れ替えが行われたのなら、使徒たちが逃げ出した理由もわかります。
全員逃亡が最初からの計画だったのでしょう。

唯一、身代りの安否を確認するためにイエスのみがついていったのです。
それを見とがめられ、自身も捕まりそうになったために亜麻布を脱ぎ捨てて逃げたのでしょうか?
単なる野次馬や、イエスの取り巻きなら捕らえられるでしょうか?
その若者は、逮捕され連行される男とよく似ていたのではないでしょうか?

さらに、身代りの奪還計画もあったのかもしれません。
ペテロが、裁判の中庭に潜んでいたからです。
だが彼も、見とがめられて逃げざるを得ませんでした。

奪還計画が頓挫して、身代りが十字架にかけられ、脱出の機会が失われたことを知って、身代りは悲痛な叫びを発します。

『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』
それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」マルコ伝15章34節

神と約束したはずのイエスが、最期になぜこんな情けないセリフを吐いたのか、
それが本物のイエスではなく、自分の生還が絶望だとわかった身代りの心の叫びだったと思うとうなずけます。

そしてイエスは復活します。
しかし、屍体が生き返ったところを見た者は誰もいません。
墓の中にはイエスの亡骸はなくなっていて、真っ白な衣を着た若者が、イエスはよみがえったと告げただけなのです。

その後、イエスはガリラヤに行ったとか、マグダラのマリヤの前に姿を現したとかいわれていますが、
それが本物のイエスだったのでしょう。

実はイエスの墓の伝承は、青森だけではなく、世界各地にあるのです。

さて、皆さんはどうお考えになるでしょうか?

そういえば、
ゴルゴ13とは、ゴルゴダの丘の13番目の人物をあらわすコードネームですね。
十字架上で息絶えた身代り。
それを隠れた所から見つめる12人の使徒たち。
13番目の男こそ、イエスその人だったのでしょうか?
意味深ですね。

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